カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

余計なこと、してますが(笑)

このブログを書くことを中心に、

私は、ときに、気持ちが赴くままに話しかけています。

特定の誰かに、の場合もある。

 

この話しかけは、私にとって

ドキドキ、ワクワク、ウキャー!

という類のものではありません。

決して『刺激』ではないのです。

 

誰かの記事を読んだりして、

自分の中に、湧いてくるものがある。

そうすると、私はそれを、文章にしたくなります。

 

ときには、怒りに近いものを感じることもあるけれど

(「他者に対する非難、批判」ばかりが続く記事とかね)、

それを「いやいや、これもまた、それぞれの方に必要な過程であって、

そこを私が邪魔するのも違うし、批判の批判は同じことが続くだけ。

拾うとしたらそこじゃないんだ」と思い直すことで、

自分は、ならば何を大切に感じるか、という見つめ直しに使えたりする。

そうすると、また、書きたいことが湧いてくるわけです。

 

まあ、もちろん私も聖人君子ではないので(笑)

はっきりしたキツイ意見も書くし、

残念だ、と思ったその気持ちを「残念だわ、私とは違うわ」って

表現することもあります。

 

それは、まさに私にとって必要な過程なのだと思えるので、

書きたいときは、隠さずに書く。

 

書いていない秘密も、もちろんある(笑)けれど、

そういうことまで含めて、自分なのです。

 

そして、この年末にひとつ、

来年早々も、たぶんだけれど、ひとつ。

自分にとっては「荒波」になるかもしれないな、

と感じられる局面に、私は向かうでしょう。

さらにきっと、5月頃にももうひとつ。

 

これは今のところの予定として見えているもので、

もちろん、大きな荒波にするつもりもないけれど、

波が来たら来たで、まずはそれに合う、

波乗りボードを選ぶつもりで

(別に私はサーファーではないけれど)、

向かってみるしかない、と思えています。

 

なぜなら、私に起こるすべては、

『自分のため』に通る過程なのだということを、

私はもう「知っている」から。

 

うまくいけばカヌーを持てるかもしれないし、

それどころか豪華客船にめぐり合うかもしれない。

逆に、ボードだと思っていたものが、ただの板切れになるかもしれない。

 

それもまた、私の選択なのです。怖いもの、ではなく、学び。

 

そうして、波を越えていく経験のなかで、私が感じられたことは、

たぶんまたここで、何らかの形で

はき出されることになるでしょう。

 

ここで勝手な語りかけの文章を綴るという、ある見方をすれば

本当に余計なことをしているのだけれど、

たまに、それを拾って、ご自身の

糧にしてくださる人に出会えると、

書いてみてよかった、そう受け止めてくださって

本当にありがとう、と思えます。

 

そしてそれが、私にも、力を与えてくれるのです。

 

ということで、2011年の2月から始めた

このブログは、私の心に、

静かで温かい光をときに届けてくれる、

とても貴重な場となっています。

 

少し早いけれど、今年も、

読んでくださった方に、心から感謝いたします。

 

年末にも記事を書くかもしれないですが、

一足早く、年の終わりのごあいさつを

お伝えしたくなった次第。

 

毎度のことながら、今年も、

余計なお節介をしてすみませんでした。

懲りずにまだ続けますので(笑)、

これからもどうぞ、

よろしくお願いいたします。

 

この1年、私のブログを訪れてくださったすべての方に、

改めて、心から御礼申し上げます。

 

2015_12_28

Photo by foulline
Pixabay

 

あなたが見つめているものを たくさん 例示してみようか

一度うまくいったら

ずっとうまく いき続けなければいけないのに

失敗してはいけないのに

ズレが起こってはいけないのに

 

ねえ こういうふうに書いたら

それがたとえ 仕事でも 勉強でも

人間関係でもさ

 

ものすごく都合いい話じゃない?

 

「あなたにとってだけ 都合よくものごとが

進まなくてはいけないのに」

と言っているのと 同じ意味だっていうの わかるかな

 

相手側のほうの選択肢が

そこに 含まれていないことは わかるかな

 

そんなこと あなたはなぜ 信じているのだろうね

そう思っているから ズレが起こるたびに

自分が人間として劣っているからだ

なんて 自分のせいにもする

 

相手側の選択の自由なんて

そこにはやっぱり 含まれない

 

全部 あなただけの視点

全部 あなただけの 都合

あなたの内側での 葛藤と自己完結

 

その範囲でのみ

完璧さを求めていること わかるかな

 

関わる相手にも

何をどう感じて 何を選ぶか

もちろん あなたと同等に

捉え 持っていいものはあるのに

 

あなたは

私にとっての満点じゃなきゃ

世間に笑われて

私が レベル低い人間だと認定されて

悲しい思いをするのよ! って言ってるの

 

ごめんね それって

ものすごく 傲慢だわ

 

そもそもの その「不満足」という

感覚をあなたに常にもたらしている

土台の部分が ズレているんだと思えるよ

 

そうならないと 世間に認めてもらえない

認めてもらったら そこでやっと私も

自分のこと 認められるはずなのに

っていうふうにやってることも ヘンなのだけれど

 

それよりもっと 土台の部分で

私は世間様にとって 恥ずかしいレベルだから

レベルアップしなくちゃいけない

 

その思い込みが おかしいの

そんなこと思い込んでいるから

あなたはいつでも

「自分が恥ずかしい証拠」ばかり

探して集めるの

 

例を出そうか

それなりにこまめに

掃除してある部屋に入っても

あなたは必ず ホコリを探す

 

窓のサッシの隅っこの 

小さなホコリだけを 拡大鏡で見つめては

ほら まだこんなところが いっぱい汚れてる!

って 嘆くの

 

次の日は 高いタンスの上

また次の日は ソファーの裏側

あなたが ホコリだけを探して見つめるから

部屋全体の整いも 目に入らない

見えるはずなのに 見えないと言い張るしね

 

そりゃ探せば ホコリは必ず見つかるよね

病院の無菌室でもない限り 

絶対 ホコリは日々 見つかるよね

 

で あなたは 普通の家屋に住みながら

いつまでたっても ホコリだけを見つめているの

 

その 視野の偏り わかるかな?

ホコリが ほんのひとひらさえ 

舞っていない状況じゃないと

私の場合は 必ず誰かから 何か言われるに決まってるのよ!

それに他の人なら そのレベルでいいのかもしれないけれど

私はそんな妥協 したらダメなの! 

そんなの 本当に素晴らしいとは言えないし

あの人にも 認めてもらえないのよ!

 

って思い込んでいるのよ

これ おかしいこと わかるかな?

見ていないモノがたくさんあるの 伝わるかな?

だから いかにホコリを立てないか

延々 あらゆる部分で

そんな工夫ばっかり努力しても 無理なんだよね

どんなに頑張っても

どんなに誠意を尽くしてやっても 

そりゃ あなたにとっては

失敗の連続でしかない人生だよ

 

視点が 偏ってることさえ

気づきたくないってことかな

視点が偏ってる なんていうのは

「ものごとをうまく いかせられない人」の

言い訳にすぎない って言うのかな

 

土台 見つめ直したほうがいいよ

すごくヘンな 思い込みがそこにあるよ

何がよくて 何がいけないのか

何が素晴らしくて 何がみすぼらしいのか

その偏った 視点から見たら 

そりゃすごいズレを いろいろ

起こしていくと思うよ

 

ましてや最初にも言ったように

そうすることで 相手の選択の自由 

まるっきり無視だからね

 

で さらに結果としては

私にとって都合よくいかない状況なんて

私が 恥ずかしいレベルの人間だと明かすだけなの 

 

私が ダメであることの立証でしかないと

 

失敗したら(ホコリをみつけたら)必ず

そうなのだと 言い張るわけでしょう

ホコリどころか 糸くずでも落ちてようものなら 

ものすごい勢いで 延々 自己嫌悪

 

あのさ 誰に刷り込まれたかは 知らないけれど

それってなんだか 芸ができたら

ごほうびをもらえる

お腹の空いた仔犬のようだわ

 

そこしか見ないのは 

失敗したとしか思ってないからで

そんなのイヤだからって 自分の都合だけで

いつも芸を披露しようと頑張って

そうやってエサをもらいに行ってるんだよね

 

で そんなふうに嘆いて 延々 空腹で過ごすの?

 

たぶん 過去に

あなたを ひとりの人間としては 扱わない相手から

「私を宝石で飾るかのように お前のこと 自慢させろよ!

そういう形でやっと こちらはあなたを 認めるんだからね!」 って

何かと 命令されてきたんだろうね

 

その相手もまた 自分にとって都合よくあなたが動いてくれ

自分の勲章としての『あなた』を示せることを 望んで

芸を高め 称賛を私にもたらせ! と あなたに押し付けてきた 

 

だからあなたは そういうものなのだと思っていた

自分の中で 自分の都合で 動かしていくものなのだと信じた

 

そして あなたは 相手が言うところの

「立派さ」を体現しないと

愛というエサも 他のいろいろなエサも

もらえないって 信じ切っているのだろうね

 

あなたもまた 自分を

それ以外の道理がない 永遠に芸を見せる必要がある仔犬のように扱い

エサをもらえなければ 反省ばかりして

自分のダメな証拠だけを集め続けるのよ

 

それを 脇で見ながら 

あざ笑っていたのは誰だろうね?

あなたがヒドいやり方で 自己調教するのを見ながら 

「まだなの? またあなたはダメなの!?」と

今 ののしっているのは 誰なんだろうね?

 

最初は あなた以外の人が 

あなたを本当に 嘲笑して

エサをくれなかったんだろうけれど

 

今は もう

刷り込み後の『パブロフの犬』のように

あなたが

自分をバカにして ホコリだけを見つめている

そうやってあなた自身が 

自己採点と卑下を 選んでいる かもね

 

自分に対する自信? そんな話じゃないよ

その そもそもの 土台の偏り

あなたが 見つめているもの

あなたが 求めるもの

そちらの偏りに 気づいてほしいと思うよ

 

何かを努力するんじゃなく

偏りを知って そのヘンな努力自体を

止めることのほうを 選んでほしいと願うよ

 

あなたの その おびえ

その 根本の発想が

もうあなたには 必要ないんだよ……

 

2015_12_27

Photo by petkation
Pixabay

 

ゆるんでいい。

ひとつ前の記事の、追加のような話。

自分の辛さを、ひたすら目の前の誰か、

他人のせいと感じている『新型鬱』さんには、

向いていない話かもしれないけれど……

(あ、非難しているのではないよ、新型の方の中には、

こんな話をしても腹が立つだけ、という人が

いるかもしれないけれど……ってことね)。

 

あなたは、ゆるんでいい。

さんざん、自分を追い詰めてきたのだから、

今は、本気でゆるんでいい。

 

そこまで自分を追い詰めても、うまくいかないでしょう?

そのことは、もう、あなたも、ちゃんと気づけているでしょう?

 

上手に、やろうとしないで。

美しく、仕上げようとしないで。

自分が感じることを、無視しないで。

自分の気持ちを感じずに

こうじゃなきゃいけないのに! って

追い討ちなんて、かけないで。

 

あなたのその理想は、

そんなやり方で自分を追い詰めても、達成されないよ。

むしろもう、どんどん、遠のいてしまうと思う。

 

今までと違うやり方をするの、

本当に怖いだろうけれど、

そこまでもう、追い詰めてしまったのだから

同じやり方が通用しないのは仕方ないのよ。

誰に対しても、だし、

何より自分に対して、もう通じない。使えない。

 

今までとは、真逆に近いやり方、選んでいって。

立派、成功、完璧、素晴らしい、素敵、

そんな憧れは、いったん全部、捨ててみて。

 

もう、自分に、嘘をつかなくていいから。

嘘をついてきたからこそ、

うまくいかなくなってるの。

 

何もかも、八方ふさがり、でしょう?

つまりね、八方ふさがりってことは、

その同じやり方を、これ以上は

しなくてもいいよ、と言われているんだよ。

 

情けなくても、

恥ずかしくても、

格好悪くても、

鈍くさくても、

初めてやるやり方、選んで。

泳げるようになるまで、自転車に乗れるようになるまで、

そういうのと同じように、練習して。

今からは『自分に嘘をつかない練習』を始めて。

 

心地よいやり方、

楽しいやり方、

自分の心が温かくなるやり方だけを、選んで。

 

張り合わないで。

無茶してみる、なんて言葉は、ドブに捨てて流してしまって。

 

ただ丁寧に、接してよ。

自分に対して、丁寧に。

そのあとで、その『自分に丁寧』の範囲内だけで、

まわりのこと、やったほうがいいよ。

 

いちばんに優先するべきは、

あなたが、どんなに自分を嫌いでも、

自分を丁寧に、優しく、親切に、扱ってあげることだ。

 

八方ふさがりになったからこそ、

勇気を出して、今までとは違う視点を、

自分の内側に練習して作っていくしかないんだよ。

 

もう、見栄は、張らなくていいからね。

自分にも、他者にも、

見栄は張らなくいい。

 

休めるときは休んで、

休めないときも、できることだけを、シンプルに、丁寧に、やろう。

 

自分を痛めつけて得たものってね、

得たあとにも、それ、

自分を痛めつけることにしか使えないよ。

自分を痛めつけて縛り付けて得る、という発想自体から、

もうサヨナラしよう。

 

そうしたら、やっと、自分のまわりにある、

愛や光に、気づけるようになるよ。

 

あなたは、生まれてきても良かったから、

生を受けて、今、ここにいる。

あなたの存在こそが、

今まさに、それを証明しているんだよ。

 

だいじょうぶだよ、良かったんだよ。

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

どんなに『ダメ』な人であっても

I wish your Merry Merry Christmas.

静かで優しい時間を、過ごしてください。

心の柔らかいあなたが、

今、ここに存在してくれていてありがとう。

これ、絶対、嘘じゃないから、さ。

 

愛と光が、あなたにも届きますように。

必要なものが、

必要な人のところに、

どうか、届きますように。

 

2015_12_25

Photo by PDPics
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