カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

単純に信じるかどうか だとしたら?

何も意図せず自然体であることって

実はとても 美しいのかもしれないよ

その証拠であるように思えることはたくさんあるけれど

たとえばこの写真を 見てほしい

 

一番最初の花は 誰かに形を整えてもらったわけでなく

自然にこの美しさを持っている

あえてリンクで紹介してみるよ

最後の水滴の美しさも 見てほしいな

 

◎ niwazekisho さん
「あ~っ・・」
http://ow.ly/3xVBOn

 

自分に自信を持つのってね

自分の自然な感覚を 信じてみることから始まって

その 自分の自然な感覚を信じてみようと思えるためには

そもそもそのとき 自分が何を感じているかを 

きちんと捉えることが 大切なのかも

 

他者の気持ちがどうだ とか

相手からどう思われるかという 採点結果ばかり見ていたら

自分がどう感じているかを 見逃していくってことにもなっているかもよ

 

他者の感覚や都合に 合わせることに

自分が必死になるからね

他者を読み取ることに夢中で

自分の感覚のほうは 結構 放置してるよ たぶんね

 

で 他者とうまくいかないときに初めて

自分や他者を責めて その否定の嫌な感覚だけを

毎回たっぷり味わうというサイクル

 

そりゃ自分のことも 嫌いになるよ

自分の感覚を 感じるときにはたいてい

自分を批判することになってるはずだもの

 

で たまたま他者から褒められたときは

有頂天な気分を味わえるから

他者に褒めてもらおうとばかりするのかも

 

そんなふうに

あなたが ふだんの自分の感覚を無視し続けるから

自分のこと 嫌いになるサイクルにはまって

自分を信じられず 自分に自信も持てなくなる

ふだんは他人が感じることばっかり 気にすることにもなるのだと思うよ

 

逆なのにね 本当は

 

心屋さんが強く言っているだけでなく

他の人もよくおっしゃっているように

自分を嫌うか 自分を好きでいるか

そのスタートは

『ただ そうしてみる』という根拠のないところから

始めてみるだけでいいのかもしれない

 

赤ちゃんには 自分好きも自分嫌いも その視点自体が存在しない

そして判断のもとになる他者は 当然

相手側のそのときどきの都合によって あなたのこと 悪くも良くも言うから

そのどちらかを その都度 自分が感じてみて 信じてみるかどうかを決めていく

 

あなたも 幼いときにはただ 自分を信じているところから 始まったの

それって何か ものすごい根拠や理由 あったと思える?

そこにいる 存在を いいとか悪いとか言うのは

「あとから」くっつけた 都合だよね?

 

ある いる というものは ただの事実

とある状態でしかない

それを いい悪い と評価するのは そのときの都合によって だよね?

 

すでに自然に 存在している自分を

いい悪いと言うのは 後天的に始めたことで

そっちを当たり前にするからこそ 

他者から悪く言われることもある自分を

信じるためには根拠や理由が 必要だわ と 

あとから 自分が思っていったんだよね?

 

いいと言える ほめてあげるための交換条件を 自分に課したの

わざわざ 自分に そんなものを出せと言い始めたのよ 自分でね

 

で 出さない間は私 自分を認めてあげないわよ って? 

命ある自然の存在を 良し悪しで判断できるっのて 神様みたいだね

それとも見張り役かな……自分で自分を見張って 何を得たいかな?

お母さんかお父さんがそうやって迫ってきた? 

あるいは兄弟姉妹が? 友だちが?

その真似っ子かな? 嫌われないように真似してみた?

自分を罰するとか疑うとか 最初は誰かに言われたから やってるのじゃない?

 

いつまで 他人の真似をして 自分を見張るのかな

あなた自身の自然な感覚や感情は どこに置き去りにしてきた?

置き去りにしたのに 幸せを感じたい 自分を好きになりたいとか

他人と一緒に外側から 見張ってやっていくの?

 

それでどうやって内側の自分が 幸せ 感じられるのだろうね

あなたは あなたの外側からしか 自分を見ていない

他人の振りして 他人の意見の真似を しているのに

 

自分が好きって 自分を信じるって

きっとそんな 大それた根拠が必要なことじゃないよ

結局はそこに戻って 捉え直してみるしかないのじゃないかな

 

外側の練習ばかり積み過ぎて 内側の自分がわからなくなってて

でも当然 あなたの感覚はあなたの内側にあって

だから延々 混乱したままなのじゃないかな

 

それは客観視でなくて 

『あなたが知ってる誰か』の意見 感性 言葉の鵜呑みだよ

本当は鵜呑みだけでなく 自己流の酷いめの解釈まで くっついてたりするけど

 

その 誰かの振りする真似っ子 いつまでも続けなくていいよ

自分は誰かの意見に従うだけの存在でなくてよいのだと

自分は 自分のものの見方を大切にしてもよくて

他者もまた その人自身のものの見方を大切にしていいのだと

そこを 知っていこうよ

 

違っていても 信じられる人がいて

ほとんど同じ感覚の人でも 合わない部分はあって

それは普通のことで あなたのせいでないのよ

 

あなたと誰かは 当たり前に違うの それだけなの

気に入らないあの人は あなたと感じることが違うから

もしかしたらあなたの知らないやり方で すごい進化をする可能性も

あったりするかもよ? 

そのとき 相手は間違っていて 自分の感覚はいいと 言い切れるかな?

その逆パターンが起こることも 想像できるんじゃないかな?

 

だから自分とはそもそも違う存在の 他者の意見だけを 鵜呑みにして 

そんなに必死に自分を見張って

すべてをコントロールするのって

自分を信じるために 必要なことではないと思えるよ……

 

違うのは 自然なこと

違いを ゆるしていいのだということ

あなたの美しさを開かせられるのは

あなた自身がすでに備えている力で できることで

他者とは違う 貴重な存在の あなたにしかできないことなのだということ

少しずつでいいから 知っていこうよ……

 

2015_06_02

Photo by Foto-Rabe
Pixabay

 

減点方式での自己否定

自分自身に対してダメだ

そう思うことがあった

それは 時間が過ぎれば 過去の話だよね

 

それを延々覚えていて

次のダメが出たときに

ほら また

さらにマイナス10点

と 引き算したことだけ記憶に加えていると

 

記憶には どんどん 引き算の数値だけが残っていく

 

そしてまた そういうやり方をする人は

足し算のほうは なぜか滅多にしないの

 

できても 当たり前だと思っちゃうのか

満足してはいけないとでも言いたいのか わからないけれど

とにかく 足し算は とても不得意

 

そうなれば累計は どんどん減る一方で

どこまでいっても合計がプラスには転じない

 

だからさ 自分で転じさせることができないがゆえに

他人の評価をもらいたくなる

もしかしたら それでなんとか つじつま 合わせたくなっちゃうのかもよ

 

他人から言われて信じられるのなら

自分で感じて 信じてもいいのにね

 

自分の口から出る言葉は

自分のマイナス点ばかりで

それが基本形になっちゃってるから

自己へのプラス評価の仕方 忘れちゃったのかもね

 

でも 生まれたときに自己否定を知っていた人はいないから

明らかに 後天的に学んだわけで

後天的にマイナス点のつけ方 学べるなら

後天的に プラス点のつけ方も

本当は 学べるんだよね

 

ただ あなたがそれを選ばない

なぜか選んではいけないと決め

マイナス評価だけを 累積計算して

どんどん積み上げていく

その方法を選んでいるだけであってさ

 

過去のあなたが 今のあなたと同じだと決めつけるための

イヤな証拠集めをすることだけ

必ず自分に ゆるしているのだ

 

経験を積めば 悪く だけでなく

良く も学べるのに

わざわざ 悪いほうだけ 蓄積させて

だから私はダメ を強化していく

 

確かに親のせいもあると思うよ

でも親のやり方を「今でも」選んでいるのは

間違いなく自分から やってることなの

親のものの見方を

いまだに継承しないといけないと

決めつけているのは 自分自身

 

もしそのやり方で あまりにも今 苦しくなっているのなら

その減点only記憶方式 さすがにいったん やめてみたら?

 

過去のあなたに比べて 今のあなたは 少しは学んでると思えるよ

だからたまには 違ったやり方 試してみてもいいんじゃない?

 

正解は 本当に 一つだけじゃない

本当に正解が一つしかない ってこ
いうものは

すごく少ないと思うの

 

たとえばあなたの都合だけで 他の人の身体・精神・心の自由を奪ったり 

さらには生命を奪ったりすること

それは確かに やってはいけないことで

それ以外の 正解はないけれど

(そう それがたとえ 自分の子どもであったとしてもね やっちゃいけないのだ)

 

その他のことについては 決して 

何か一つだけが正解ってこと ないのかもしれない

 

何か愚痴を言うのも 聞いてもらう相手を選んで 言わせてってお願いして

自分の気持ちの整理をするためなら 全然問題ないしね

 

すべてを他者のせいにすること

すべてを自分のせいにすること

それらを 延々 累積計算することだけが

あなたをまっとうな人間にするための唯一の方法だとは

決して 私は 思えないんだ

そしてそれは 他者に対する評価についても同じで

『いつもダメ』な人は あらゆることでダメとは限らず

あなたに対して他の面を見せていなかっただけだったりするかも

 

また あなたと同じような感覚を持ってる人でも

その相手のことを あなたほどには批判しないかもしれないよ

 

どうしても 憎らしい 自分の自由をすべて取り上げちゃうようなタイプの

そこまで憎らしい人は まあ 仕方ないとして

関係を『あなたが』続けていきたい相手なら

ダメな部分の蓄積 に集中しなくてもよいと思える

 

わかるかな……

最後に 少しはヒントになるかもしれないと 私が感じた記事も

ご紹介しておくね

感覚 としての つかみ方 伝わるといいなと願います

この「つかみ方」を 相手から認められたいがゆえに 相手に使うのでなく

感じたことを なかったことにするのでもなく

とくに自分に対する批判の 蓄積をやめるために

自分も他者も 変化してよいことを ゆるすために

知ってほしいと願います

 

認められたいがゆえのプラス点もマイナス点も 

蓄積しないでいい「見方」だって あるということを……

 

◎さとこ さん
過去に置きざりにされた人
http://amba.to/1HYzPBT

 

2015_06_01

Photo by Shirley
Pixabay

 

「得た喜び」の あとの日常

何かを得たあと それを保ちたいなら

保つための工夫は必要で

 

その 工夫 というのは

得ていなかったときには存在していなかったこと

得たあとの 日々の中で 行っていくこと

 

しかも得たものが

人間関係であった場合は

相手との折り合いやすり合わせ もまた

日常

の中に組み込まれてくるわけで

 

得られさえすれば幸せいっぱいになるはずなのに

どうして? という事態とも 向き合わなくちゃいけない

 

そりゃそうです

得る ということも 経過のひとつだから

得たことで変化した部分には

対応しなくちゃいけないのよね

 

それが面倒だから とか 新しい状況において

何かヘマするのが怖いから とかいう理由で

得たものに対して 対応をおざなりにしたり 逆にひたすら見張りまくったり

得たんだから 側にある いる のが

当たり前であるかのように

得たものへの きちんとした丁寧な対応を しなくなれば

得たものは使っているウチに 消えていきます

 

お金が欲しい

うん では 得たあとにどう対応する?

使ったら消える 物質というものを

また再び得ることに奔走する?

 

彼氏が 彼女が 友だちが 人気が 評判が……

はい そのあとに来るのは

お互い より 理解し合おうとするための

創意工夫が必要な 日常 です

 

それを経ながら 続けながら

「情」の部分を育てていく

その勇気と ある種の努力です

 

こうすればこうなるに違いない という仮定は

あくまでも仮定であって

その通りになるとは限らない 当然ね

 

それを一方的に

こうなるものでしょうが! と 押し付けたら 

相手のほうは 自分の感じることを無視され

こちらの感じることだけ大事にして 従え と命令されたように思えて

イヤになるかもしれないよ?

 

思いはからいと 折り合い というものも

日常生活の中に 新しく 発生していくのです

しかもその都度 その都度 毎回ね

 

それを経るからこそ 「情」の部分も育っていき

信頼関係も生まれる

 

ということで この話の内容が

他者や物質との間だけでなく

自分との間でも必要なこと

そろそろ気づいてくださいね

 

癇癪 起こしたり

すぐ失望したり

すぐ罵倒したり

 

そんなことを延々

自分との間でやっていたら

いつまで経っても 自分が嫌いなままですよ

 

折り合いつけて

良いところも見てあげて 探してあげて

思いはからいを 育てていく

 

欲しいのは それじゃないもん! と

一方的に受け身になる『日常』も

こうあるべきなのに! と押し付ける『日常』も

そろそろ やり方 変えていいのかも しれませんよ

 

得たあとに続く 日常でも 大切に扱うからこそ

得たもの(人にせよ物質にせよ)との間で

喜びもまた 繰りかえされていくのです

 

そこを 手抜き しないでね

そこは 勘違い しないでね

そこは どうか 簡単にあきらめないでね

 

結果に対する 良い悪いを批評して 好き嫌いを述べるだけなら

幼い子どもでもできることだから

その先の 日常の中での工夫 

自分の感覚 相手の感覚の 押し付け一方ではない工夫

自分もやるということを あきらめないで くださいね

 

追伸:

当然のことながら

あなたが自分にウソをついたり

耐えてガマンして丸く収めたくて

『勝手に』不安ゆえに奉仕するのは

あるいは相手にも それを強いるのは

うまくいく方法では まったく ないので

それを「日常」には どうかしないでくださいね

 

『奉仕』とは 見返りでなく やれる喜びのために 行うものです

 

2015_05_30

Photo by PublicDomainPictures
Pixabay