「得た喜び」の あとの日常

何かを得たあと それを保ちたいなら

保つための工夫は必要で

 

その 工夫 というのは

得ていなかったときには存在していなかったこと

得たあとの 日々の中で 行っていくこと

 

しかも得たものが

人間関係であった場合は

相手との折り合いやすり合わせ もまた

日常

の中に組み込まれてくるわけで

 

得られさえすれば幸せいっぱいになるはずなのに

どうして? という事態とも 向き合わなくちゃいけない

 

そりゃそうです

得る ということも 経過のひとつだから

得たことで変化した部分には

対応しなくちゃいけないのよね

 

それが面倒だから とか 新しい状況において

何かヘマするのが怖いから とかいう理由で

得たものに対して 対応をおざなりにしたり 逆にひたすら見張りまくったり

得たんだから 側にある いる のが

当たり前であるかのように

得たものへの きちんとした丁寧な対応を しなくなれば

得たものは使っているウチに 消えていきます

 

お金が欲しい

うん では 得たあとにどう対応する?

使ったら消える 物質というものを

また再び得ることに奔走する?

 

彼氏が 彼女が 友だちが 人気が 評判が……

はい そのあとに来るのは

お互い より 理解し合おうとするための

創意工夫が必要な 日常 です

 

それを経ながら 続けながら

「情」の部分を育てていく

その勇気と ある種の努力です

 

こうすればこうなるに違いない という仮定は

あくまでも仮定であって

その通りになるとは限らない 当然ね

 

それを一方的に

こうなるものでしょうが! と 押し付けたら 

相手のほうは 自分の感じることを無視され

こちらの感じることだけ大事にして 従え と命令されたように思えて

イヤになるかもしれないよ?

 

思いはからいと 折り合い というものも

日常生活の中に 新しく 発生していくのです

しかもその都度 その都度 毎回ね

 

それを経るからこそ 「情」の部分も育っていき

信頼関係も生まれる

 

ということで この話の内容が

他者や物質との間だけでなく

自分との間でも必要なこと

そろそろ気づいてくださいね

 

癇癪 起こしたり

すぐ失望したり

すぐ罵倒したり

 

そんなことを延々

自分との間でやっていたら

いつまで経っても 自分が嫌いなままですよ

 

折り合いつけて

良いところも見てあげて 探してあげて

思いはからいを 育てていく

 

欲しいのは それじゃないもん! と

一方的に受け身になる『日常』も

こうあるべきなのに! と押し付ける『日常』も

そろそろ やり方 変えていいのかも しれませんよ

 

得たあとに続く 日常でも 大切に扱うからこそ

得たもの(人にせよ物質にせよ)との間で

喜びもまた 繰りかえされていくのです

 

そこを 手抜き しないでね

そこは 勘違い しないでね

そこは どうか 簡単にあきらめないでね

 

結果に対する 良い悪いを批評して 好き嫌いを述べるだけなら

幼い子どもでもできることだから

その先の 日常の中での工夫 

自分の感覚 相手の感覚の 押し付け一方ではない工夫

自分もやるということを あきらめないで くださいね

 

追伸:

当然のことながら

あなたが自分にウソをついたり

耐えてガマンして丸く収めたくて

『勝手に』不安ゆえに奉仕するのは

あるいは相手にも それを強いるのは

うまくいく方法では まったく ないので

それを「日常」には どうかしないでくださいね

 

『奉仕』とは 見返りでなく やれる喜びのために 行うものです

 

2015_05_30

Photo by PublicDomainPictures
Pixabay

 

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