カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

自分にムチを打って

頑張らないとダメだ って 脅されたかな

それが当たり前になってるから

自分をほめてくれそうな人か

付きあうことで 自分が優越感を得られそうな人か

ダメだと言ってくれそうな人にばかり 注目する

 

そしてまた できなければ 罰して

達成しなければ 罰する

 

そうすれば いつか認めてもらえて

自分は安心できるようになると思っているだろうけれど

 

ねえ そのやり方で

心から安心したこと あるのかな

深い満足を得たこと あるのかな

それが 続いたこと あるかな?

 

一瞬で終わって 翌日にはまた

罰する だからやる を

繰り返してはいないかな

 

ねえ そのやり方

いつまで経っても

安心も満足も 本当には得られないけれど

 

それでも 頑張ってる自分を見せないと

他人に 見せないと

他者から 愛されないと思ってる?

 

すでに自分が自分を 愛すること やめてるのに

他人からの愛情や友情で 本気で満足できると 信じてる?

 

その 思い込みをやめるのは

とても怖いだろうとは思えるけれど

 

いつまで経っても いつまで頑張っても

自分が幸せになれないのは

私は できていなくて しかも

頑張らないと 人間というものはダメになるという気持ち

それを当たり前のことにしている

自分の価値観のほうだと思えるよ

 

それさ 誰に教えられたかは わからないけれど

はっきり言うよ ごめん ウソだから

頑張りまくってた私が 実感したことあるから

たぶんね ウソだということが『事実』だと思えるんだ

 

頑張っている人は 美しいこともあるけれど

それゆえに それだけで 永遠に愛されるわけではない

自分の勘違い そろそろ 捉え直してみてもいいと思えるよ

 

自分を痛めつけてまで 頑張って得るものは

頑張りをやめた瞬間 消えるし

そんな不安定なもの

当然 自分の本当の安心には つながらないからさ

 

厳しいとは 思うけれど 

わざわざ 不安定なことばかりして

安心を得ようとしていること

気づいていっても いいと思える

 

そんなことしなくても あなたの良さは 必ず他のところにあって

それを見てくれる人も 必ずいるよ

 

ただ あなたが今は その価値を低く見て

無視しているだけだから……

 

それってさ すごくもったいないこと 続けているよ……

 

2015_05_29

Photo by ray3
Pixabay

 

引き続き……明日があるということは

昨日の、続きです。

 

明日が来るのが普通である、という前提に立っていると、

死を望む人にはそれが苦痛になります。

 

この書き方でおわかりでしょうが、明日が来るのは、

厳密に言えば、前提条件にはなり得ません。

新聞の社会面を見れば、一目瞭然。

明日が来ない人も、たくさんおられらます。

新聞に載るような『事件』性のあるものだけでも、

毎日、死はたくさんあって。

 

寿命を迎えた方だけでなく、たまたま新聞に載ることはなくとも

事故で亡くなられる方は、毎日、どこかにおられます。

 

何より私たちは、3.11などの出来事も、身をもって知っているわけで。

つまり、明日という日が前提にできるというのは、

どこか、何かで『安定した環境は備えている』ことの証でもあります。

 

単純に考えても、戦争や内戦が勃発している地域なら、

私たちと同じようには、明日を前提にできませんよね。

家が、なくなるかもしれないし。

身内や友達が、いなくなるかもしれない。

建物ごと吹っ飛んで、あるエリアそのものが消滅してしまうかもしれない。

 

そういう恐怖心は、今は少なくとも、持たないでいられるわけです。

まあ、海外へ戦いに行くようになれば、どうなるかわかりませんけど、

とりあえず、今は。

 

で、明日を前提にしないで済むとしたら、あなたはとりあえず今日、

これからの時間、何をしたいですか?

 

明日は、あるかどうかわからないけれど、とりあえず。

 

その希望、できれば叶えてあげてみてください、自分のために。

それこそ、そんなこと考えるのは無理、寝たい、ということなら、

自分のために、それを「意識して」叶えてあげてもいいのだと思えます。

 

他のことを何もしたくないし、眠くもない人なら、

何もしないで過ごしてみることを意識するだけでも、いいかもしれません。

 

意識して、何もやらないことを、選ぶ。

私は森田療法を受けたことはありませんが、

「意識的に」何もしないことを、あえて自分で選び始めると、

確かに世界観は変わるだろうな、と思えます。

 

退屈しても、何もしないでいるのですから。

 

わざわざ、明日、などという時間の概念をセッティングしなくてもいい環境なら、

一度、徹底して、何もしないことを自分にゆるす、というのは、

アリな方法かな、と思えます。

 

仕事等の拘束時間がどうしても発生する人でも、

あえて何もしない時間を、自分のために作る。

30分などの短さでなく、できれば2時間以上くらい。

 

その間は『考えをめぐらせること』も極力、やめていいと思えます。

 

するとたぶんね、やがては辛くなります、その時間が。

何もしないでいる、ということは、基本的に

自分にとっては不自然なんだな、とわかるかと思います。

 

そんなふうにして、一つひとつ。

毎日、これをこういうふうにやりたいな、と思えることをやる。

それがないなら、自分で見つけられるようになるために、

あえて意識して、何もやらないことを試してみる。

 

もしかしたらこういうところから、

自分に嘘をつくことも、減っていくかもしれませんよ。

『意識して』という部分が、自分で自分を苦しめてしまう状態の人にとっては、

とてもよい練習になるように、私には感じられるのです。

 

最後に。

自分に嘘をつくことを意識しないでやるようになってしまうと、

とてもややこしい事態になる、ということを、

『カエル姉さん』さんが昨夜、説明してくれたように感じたので、

その記事もリンクしておきます。

 

この記事に、何か、引っかかるものを感じるなら。

自分の感情をなるべくごまかすことなく過ごすこと、また、

本当に「本心から」自分を喜ばせてあげることを、

少しだけでもいいから、自分のために、選んであげてくださいね。

 

◎カエル姉さん☆リライトで未来をカエル!心屋認定カウンセラー
「お金」と「罪悪感」と「被害者意識」
http://amba.to/1HMms7R

 

2015_05_28

Photo by NT-Design
ID:201410202300
GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0

 

明日があるという辛さ

鬱の病で、自分の死を願う人にとって

『明日があるという事実』が

ものすごく苦痛であることは、

私も経験しています。

 

このままではイヤだ、と思う気力すら、

自分にはもう湧かない、と素直に思えるでしょう。

 

本当は、そんなときだからこそ、

徹底して、自分に優しくしてあげてよいのです。

そこまで、自分を傷めてしまっているからこそ。

 

今は、そう思えなくても、

自分は本当は、まだまだ捨てたもの、

ではないのです。

 

今はそんな言葉すら、

聞きたくないかもしれませんが、

鬱による苦しみは、

本当は、永遠、ではありません。

 

永遠だと思う気持ちもわかりますが、

あなたが、抜け出したくなったときから、

永遠ではなくなり始めます。

 

そのためには、薬の加減だけでなく、

何を自分のためにしてよいのか、を、

自分に許可することが大切になっていきますが、

そういうふうに工夫することで、

本当は、死という究極の苦しみへたどり着く道を、

選ばなくてもよいのです。

 

人には、必ず平等に、命を終わらせる瞬間が訪れます。

そこは誰にも変えられません。

生きものであるから、必ず死はやってきます。

 

ならば逃げ出すために、

先に死を選んでもいいじゃないか、と

私も考えていましたが、

死に至るまでの苦しみが怖すぎて、

その道を選べませんでした。

 

そして私は、それさえ選べない自分の弱さを、

自分で罵倒していました。

 

が、しかし。

私の場合は、ですが、

周囲の環境が激変して、自ら先に死ぬという選択が

できなくなったあとで、それもかなりあとで、

気づいたのです。

 

あそこで死へ逃げていたら、

私は一生、自分を許さないままで、

終わってしまっていたのだな、と。

その奥に潜んでいた、自分が見ないようにしていたこと。

その「意味」がわかったから、私は言います。

 

その『許さないほう』を 選ばなくても

本当は

だいじょうぶ だよ 

と。

 

2015_05_27

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