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気にしすぎるけど反対に

私の知っている ご家族で

とーっても柔らかで温かい ステキな空気感を放つ方々がいる

 

あのね まず お父さんが 子リスのようなの

たいてい笑顔で イメージとして いつもニコニコされている方なんだけれど

内心 とても怖がりで 他人に対して緊張されてるんだな って ハッキリわかるの

普段から すこーし ビクビクされている感じ 

ちょっとね キョドキョドって されている感じなの

普通に話もされているんだけどね 伝わってくるの

 

自分の子どもたちに対しても ついウッカリ

「すみません」とか敬語に近い言葉 とっさに 使われることもあって

ああ もう 他者を怖がること シタテに出ることが 習慣になっておられるというか

他人と接するのに 普段から緊張するクセ おありなんだなと伝わってくる

 

でもね 誰もそれを 否定していない

何よりご本人が 自分の子リスのような振る舞い 普通に責めておられない

だってどう見てもそれ お父さんの 優しさと誠実さの現れでもあるから

お父さんがすみませんって言っても誰もツッコミ入れないし

会話が多少 たどたどしくても お母さんも子どもたちも 

楽しんで「もう お父さんったら♪」ってなっておられる様子でね

それが周囲にもハッキリ 明確に わかるの

 

もちろん

そう受け止めるお母さんの素晴らしさもあるよ

でもいちばんは お父さんが そういう自分であることを 自己卑下してない

だからこそお母さんも 家族として一緒にいること できるんだと思える

 

気の弱さや 気を遣いすぎることは

その方ご本人の 心の温かさと広さ 誠実さ 優しさ 寛大さ

そういう種類の「良い面」の現れでもあることを

長所は短所とそういうセットでもあることを

お父さん自身が たぶんとてもよくわかっておられて 

自分をウジウジと責めておられないから

それゆえに ほほ笑ましさとして 周囲であるこちらにも「ちゃんと」届いてくる

 

お父さんのおかげで 家族みんなが なんかいつも微笑んでいられるのですね 

のほほんとすることができているのですね

お父さん自身も その役割 味わっておられますねって 勝手にこちらに届いてくるの

 

とても仲良しなの なんだか温かいの お父さんのおかげなの

それが標準って なかなかステキじゃない?

 

私が何度も『自分で捉え方 変えられる』よ

そうすれば まわりも変わっていくことがあるよ って言ってるの そういうことだよ

つい 気にしておびえてキョドキョドするクセを

「悪」「欠点」「悪いこと」と自分が捉えた瞬間に

他者と上手く口をきけなくなるよね それって

 

そうしたら それを微笑ましく感じてくれている相手さえ

自分から拒否することにもなり得ているってことだよ

全員が全員 あなたほど 自分をバカにしないし

あなたほど それを 全員が 責めてはいないんだよ

 

おびえてしまうのを 他者が微笑ましく感じて笑うことは

そんなにダメなことなの?

 

実際の他者とのつきあいで 

本当に自分をバカにする人のことを

必ず自分が見つめ続けていく

そちらだけに注目して 生きていかないとダメなの?

 

そんなに 何がなんでも正反対の
自信満々で堂々 立派にならなくちゃいけないの?

男だから? 女だから?

制限だらけの価値観だね それ

 

自分がそう決めつけていれば 間違いなく

みずから そう感じる人たちだけに注目していくし

当然 同じ価値観の人たちと 仲よくなっちゃうよね

おびえてしまうことを自己卑下しているか

逆に 相手をバカにするイヤミタイプか

いずれにしても『否定』好きな そういう人ばかりに 注目して

微笑ましく感じてくれる人のことは スルーしていく

 

で もしかしたら

私はダメなんだよ 弱いんだよ 

あいつはいつも失礼なんだよ って不満や愚痴しか言わない人たちとばかり 

なんだかいつも 仲良しになることもありえる

 

そして一生 自分を嫌いなまま 

友達と会えば 他者の非難や批判や自己卑下ばっかり言い合って

そうそう いつもそうなんだよ って

そこだけを見て 気にして 生きていくの?

 

もうひとつ 例を言おうか 前にも一度 書いたことあるんだけど

エニアグラムという スーフィー教における人間学の捉え方があってね

 

私みたいな 成功Loveの人 認めて欲しい がどうしても強い人は

それゆえにリーダーシップを発揮できたり

あるいは ものごとを効率よく推進することに

ハッキリと集中していく能力を発揮できる反面で

 

すぐ自分の手柄に うぬぼれちゃったり

効率しか考えなくて 他のやり方 捉え方を見渡せる

余裕や広さをなくしちゃったりもする

裏返しの部分ではそういう短所も明確に持っているからさ

 

だからそれを 裏返して発揮しないように

エニアグラムの教えでは 成功Love型の人に

『少なくとも2年間毎日 根っこを上にして逆さまに

埋め直した木に 水をやり続ける』

という修業をさせたんだって(今も学びとして行われているのかな?)

 

どう考えても非効率で 

どう考えても『何の役にも立たない』と思える その水やり係を

最低2年間も毎日 やらされたら

そりゃあ そこから 何か気づけていけそうだよね

イヤなことだからこそ ここに何か学びがあるかもってこと

さすがに自分でも考えてみたくなるよね

 

だって気づけなきゃ 2年間で終わらないかもよ? って

自分が 感じ始めちゃうからさ

 

それと同じ捉え方 あなたはしたらダメなの?

 

合わないこと イヤなことが現実に起こっているときに

これは 何を 意味していて

どう 捉えてみればいいんだろう 

何に 気をつければいいんだろうって

見つめ直してみたらダメなの?

 

成功Love型の 私のようなタイプなら

自分がおごり高ぶって 勘違いしていないか なるべくいつも 周囲も見渡そう

尊大に成り果てないよう 冷静な視点でもあり続けていこう と

思えるようになるよね? 

だってイヤなことって 修業でもあるのだもん

そのイヤなことからも 学べるよね? 

 

あなたも そうあっては いけないの?

長所と短所がセットであることを

踏まえて 生きてはいけないの?

 

何がなんでも 望ましい人間になれなければ もうそれ以外はすべて

短所の面からしか 能力を発揮することしかできない

そんなダメ人間の一生しか 残されていない?

 

私のようなタイプなら 自分が尊大に 絶対陥っていく 勘違いヤローだと信じ込んで

尊大なことを 実際 毎日やりまくってしまうかもしれないと 

内心ではひたすらおびえて

しかも他者は必ず 私のことを悪く受け止めるに違いないと決めつけて

ずっと自分を否定しまくりながら 上手くいかない人間関係の部分だけを見つめて

反省して反省して反省して 自分ギライのまま

生き続けなくてはいけないと?

 

だって私 尊大なんだもの

そういう性格なんだもの

ダメ人間なんだもの

って そっちだけを見て 私は生きていかなければいけないの?

私はただの迷惑なだけの 危険な存在なの?

 

それ 本当にそのやり方捉え方しか 許されないの?

私はそれ以外の捉え方しちゃいけないの?

 

問いかけを 繰り返してごめんね でもあなたも自分の中で延々 繰り返してるからさ

伝わるかな 自分が何を「思い込み」しているか

どんな視点だけで 自己を捉えて嫌っているか

少しでも 参考になれば幸いです

 

ねえ それ 違う方向からの捉え方

探してみたらダメなの?

 

2015_05_02

Photo by Andrew Kodama
ccライブラリー

 

それは本当に 点 なのに

先日から ときどき

『欠点』という言葉が 目に止まり

 

そう 欠点は 点 なのだけれど それをね

まあ 点だと 思えないのが

鬱の脳みそなんだよな……と思っていたら

 

武田双雲さんが まさに今日のブログで

「点だけに どうにでも料理できるのだ」

と書かれていた

 

◎武田双雲
欠点を活かす。
http://ow.ly/3xLbib

 

この表現に従えば

さしずめ 鬱々とした脳みそが勝手に

点を大きく大きく 延ばして チョコレートがかかったケーキのごとく

あなた全体を欠点でコーティングしている そんなイメージになっていることだろう

 

そして自分にとってのそれは 見た目だけでもう

中身まで全部『ひどい自分』が詰まっているのだと感じられ

自身で完璧に そう決めつけている感じ

 

ところがどっこい

それは たまたま 脳みそが広げてはいるものの

ただのコーティングであって さらに元は「点でしかない」というのが 真実でね

しかもその点は マジで自分の

『美点』と表裏一体だったり するのだわ

 

ゆるやかでこだわらない人は ときに大ざっぱになるという それ

神経質な人は きちんと最後まで美しく仕上げられるという それ

そしてさらに言ってしまえば 『美点』もまた 点のひとつってだけなんだよね

 

まあ 鬱々とした頭ではそんなふうに 逆転なんかできるか! と

思い込んでしまう罠にハマるわけだけれど

それが 罠であると 知っているかどうかは

結構 大切なことなので覚えていてほしい

 

あなたが行っている 今のその 自己否定は

鬱々としているからこそ 起こっていることで

本来なら そこまで否定する必要がないことも

症状として 否定しまくっているのだということもね

 

しかもさ

あ 世間には 鬱を風邪にたとえて話すと

そんな単純なものじゃない! と怒り出す方もいらっしゃるそうですが

症状 というものについてのたとえなので

まあ どうか ゆるしてね

 

で その 脳みそが点を勝手に広げてしまうというのが

鬱の頭の まさに『症状』でさ

普通 『症状』が悪化しているときは 安静にするほうが

早く「身体自体の治癒力」を 高められることは理解できるよね

入院も安静も それをやってるわけで

 

なのに鬱の人の中には なぜか

「なんとかしてしまわなければいけない」と よけいに動き回って

行動の「結果を出すこと」だけで 症状を止めようと試す人がいる

 

それは たとえれば

風邪で 鼻水と咳が出まくっている最中に

これはおかしい! 体力つけなきゃ! 

ならば私は 踊りまくって体力つけるわ!

風邪なんか 治すしかないのだから!
 

 

だから そうよ! それしかないのよ!

ダンシング! ダンシング!

 

って やってるに等しいわけで……

 

咳と鼻水 延々ずっと出しまくりながら

24時間 365日 ちょっと寝るとき以外は休まず 踊りまくり続けていたら

風邪 ますます治らなそうに 思えない?

さらには汗で冷えて 体力 別の面からも 減らしてるってこと

血液や栄養等を 原因であるウイルスの退治に たくさん使わず 

運動するほうへ使ってしまうこと

それらも 想像できるよね?

 

言ってる意味 伝わってるよね?

 

何らかの素晴らしい行動や 何らかの変化目標や 何らかの達成 ではない

今の『症状が出る原因への 別のアプローチ方法』を

なぜ 試してはいけないのかな?

 

あなたがこだわる その『治すためのやり方』以外にも

たくさん 試せることはあって

しかもそれは あなたには 効果的かもしれないのに

試しさえしないというのは なぜだろうね……

 

あなたの欠けている部分

誰だって普通にある 偏り

それはいつだって『点』に戻していいのに

あなたの素晴らしさを いつか他者に思い知らせるためには

『点の存在』すら 決して ゆるしてはいけないとでも?

他者とは 度合いが違う? レベルが違う?

では たとえば 一生 寝たきりの人は

一生 自分を罵倒し続けなくては いけなくて

一生 「私は不幸のまま」だと 自分で捉え続けなくてはならないと?

何を見つめて生きていくかを 人は 他者から決めてもらわねばならず

そんなことを 自分で絶対に 決めてはいけないと……?

 

2015_04_22_02

Illustration by hubpic.com
ID:201502091100
GATAG フリーイラスト素材集

 

そう受け止めている自分。

人気がある方のブログを読んでいると、

たまに赤裸々に、自分に対する批判について

語ってくれたりもする。

 

たとえば、本気の思いをこめた語りかけを、丁寧にしてみた場合。

その方がどれほど真摯な気持ちから、言葉を選んで書いたとしても

それに対して「気取っている」「勘違いしてる」「格好つけてる」などと

書いてくる人がいるようなのだ。

 

そういう話を読むにつれ、人は本当に、自分の気持ちを

他人にわかりやすく投影するのだな、と思える。

 

歌手など、プロモーターつきの人が戦略的に『人気取り』を仕掛けるのとは違い、

ブログで人気のある方は、きちんと理由があって、そうなっているのだと思える。

一瞬、評判になったとしても、それが続いていくのはやはり、

それなりの評価を受けるだけのことは、されているのだと。

 

たまたま自分の好みではないな、と感じたとして、

それがつまりは『相手が調子に乗って勘違いしてるのだ』などと受け止める方は、

あなたのほうこそ、勘違いしていることに気づけていないのだろうと。

 

だってあなたが気に入らなければ、そうしたものは良くない、おかしい、のであれば

私はよい感覚を持っている、

私の好みは間違ってない、

だから人気のある人でもさ、気取ってれば言うわよ、でしょう?

つまり世の中のルールも、ある意味においては、

本当は私の感覚、私の判断に従うべき! と宣言しているに等しい。

 

どんな王さまだよ、それ。

 

そしてまたね、あなたは自分自身に対しても、

今、それをやってる……ってこと、ないかな?

私は間違いを犯す! と何でもかんでも悪く取る捉え方。

 

他者の判断が、全面的に正しくて素晴らしいわけではないということはわかるよね。

もちろん、自分の判断もしかりなのだ。

 

もう少し、例を挙げてみようか。

教会で、本当に真摯に祈りを捧げている人を見たとして。

それが見知らぬ外国人のおばあちゃんなら、

そのままシンプルに『何か、真摯に祈ってらっしゃるな』と

自分の心の中で、捉えられたりするよね。

 

だがしかし、その祈りを捧げている方が、

自分の気に入らない相手だったとしたら?

 

きっとあなたは

『何かまた、自分勝手なことを祈ってるのだろう』

『神様も大変だこと』

『自分が信心深いことをアピールしてるつもり!?』

などと、勝手に受け止めることもあるでしょう?

 

そうした思いは、自動的に、しかも反射的に即、思い浮かぶはず。

たとえその嫌いな方が、本当に真摯な思いから、

静かな祈りを捧げていたとしてもね。

 

そうなのよ、偏りはあるの。

どうしたって出るの。

だって自分も、感じたり、考えたりする力を、確かに持っているから。

 

だからまず、その偏り自体は、もう責めなくていいよ。

私もひとりの人間なんだなぁ、って思えばいい。

 

昨日はだいじょうぶだったのに、今日はイヤだと感じる。

そんなことは、普通に起こりうる話。

 

とくに鬱になると「そんな! 自分勝手な偏りや、いい加減さなどは許されない、

本当は常に、こうあるべきなのに!」

って方向の思い込みをしがちだけれど。

 

偏らない。変な間違いはまず起こさない。

常に安定した一定の効果、結果を出す。

そうしたもののことを、私たちは『機械』とも呼ぶのだ。

 

つまりあなたは人間でなく、機械であらねばならないと思っているの?

機械みたいに立派になりたいの?

自分が感じることは、無視して? 捨てて?

 

違うよね。

あなたはただ、幸せになりたい、を根底にもっているはず。

楽に呼吸できる、うれしさを感じられる日々を、

なるべくたくさん、過ごしたいのだと、

どこかで望んでいるはず。

 

じゃあ、そのための「手段」「手法」、つまりやり方、

そうしたものの『達成』に執着するのでなくて、

「自分が感じること」のほうを大切にしてごらんよ。

 

それをいちいち、すぐにあれこれ採点するの、まずやめてみなよ。

 

自分のやり方を採点するの、やめてみたらわかるよ。

他人の言動より、自分が感じることをまず見つめてみていいんだってことがね。

 

嫌いな人が真摯な祈りを捧げている。

そして、それをバカにする、疑う私がいる。

ああ、こんなにも、他人を色眼鏡で見ることがあるんだなあ、私。

 

それだけが「そのとき起こっていること」だよね。

それ以外の事実、別にないよね。

あなたが思い込まない限り。

あなたが、そこに『怒り』や『いら立ち』を、さらにかぶせているだけ。

 

そういう日も、そういうときも、あるだけ。

そうでないときも、あるだけ。

そうしないですむ相手も、いるだけ。

 

そこで良いだの悪いだのという判断をかぶせること、

しばらくやめてみたら、また、さらに気づける。

あなたもそうだし、他人もまた、ただ、そうなんだなあ、ってことが。

 

あなたが何かして悪いのでなく、相手の機嫌が悪いだけのこともある。

なのにすぐ、判断をかぶせるから、状態をまともに見つめられなくなる。

 

どうしよう、どうしよう、って焦らなくていいの。

そういうときも、そういうことも、あるってことだけだから。

 

自分が感じていることを、まず、素直に受け止めてごらん。

そういうことが、今、起こっている。

そこを知ることができると、

自分のことも、他人のことも、だんだん批判自体、減るよ。

だって他者の問題や視点をかぶせてこられても、

そうか、あなたはそう感じる『派』なのですね、だから。

 

そうなの、他者を自分だけの一方的な都合で奴隷にでもしない限り、

いい、も悪い、も、そんなにはないの。

違いがあるだけ。

すごく簡単に言ってしまえば、それが自分の好みかどうか、

心地よいかどうか、だけなの。

そこが基本、そこが土台だよ。

 

そこからすぐに『だから私は』『いつも私は』『どうしてあなたは』って

余分な思考をさらに上乗せすること自体、やめてみればいい。

 

これはある花、だけれど、

2015_04_17_1

 

これもまた、花。

2015_04_17_2

Photo by Steve Cornish  from Wikipedia

 

事実は、それだけしかない。

2つめの花をたとえ、世界中の人が美しく感じても

あなたがちょっと不気味だと思えば

「ああ、私はこれを『不気味だと感じる派』なのね」って、

いったん、静かに受け止めてごらん。

 

そう思う自分を、そのままシンプルに、

ただ、知って、静かに感じてごらんよ。

 

余分な上乗せを止めてみること。

まわりの世界そのものが、そこから変わり始めていくよ。