先日から ときどき
『欠点』という言葉が 目に止まり
そう 欠点は 点 なのだけれど それをね
まあ 点だと 思えないのが
鬱の脳みそなんだよな……と思っていたら
武田双雲さんが まさに今日のブログで
「点だけに どうにでも料理できるのだ」
と書かれていた
◎武田双雲
欠点を活かす。
http://ow.ly/3xLbib
この表現に従えば
さしずめ 鬱々とした脳みそが勝手に
点を大きく大きく 延ばして チョコレートがかかったケーキのごとく
あなた全体を欠点でコーティングしている そんなイメージになっていることだろう
そして自分にとってのそれは 見た目だけでもう
中身まで全部『ひどい自分』が詰まっているのだと感じられ
自身で完璧に そう決めつけている感じ
ところがどっこい
それは たまたま 脳みそが広げてはいるものの
ただのコーティングであって さらに元は「点でしかない」というのが 真実でね
しかもその点は マジで自分の
『美点』と表裏一体だったり するのだわ
ゆるやかでこだわらない人は ときに大ざっぱになるという それ
神経質な人は きちんと最後まで美しく仕上げられるという それ
そしてさらに言ってしまえば 『美点』もまた 点のひとつってだけなんだよね
まあ 鬱々とした頭ではそんなふうに 逆転なんかできるか! と
思い込んでしまう罠にハマるわけだけれど
それが 罠であると 知っているかどうかは
結構 大切なことなので覚えていてほしい
あなたが行っている 今のその 自己否定は
鬱々としているからこそ 起こっていることで
本来なら そこまで否定する必要がないことも
症状として 否定しまくっているのだということもね
しかもさ
あ 世間には 鬱を風邪にたとえて話すと
そんな単純なものじゃない! と怒り出す方もいらっしゃるそうですが
症状 というものについてのたとえなので
まあ どうか ゆるしてね
で その 脳みそが点を勝手に広げてしまうというのが
鬱の頭の まさに『症状』でさ
普通 『症状』が悪化しているときは 安静にするほうが
早く「身体自体の治癒力」を 高められることは理解できるよね
入院も安静も それをやってるわけで
なのに鬱の人の中には なぜか
「なんとかしてしまわなければいけない」と よけいに動き回って
行動の「結果を出すこと」だけで 症状を止めようと試す人がいる
それは たとえれば
風邪で 鼻水と咳が出まくっている最中に
これはおかしい! 体力つけなきゃ!
ならば私は 踊りまくって体力つけるわ!
風邪なんか 治すしかないのだから!
だから そうよ! それしかないのよ!
ダンシング! ダンシング!
って やってるに等しいわけで……
咳と鼻水 延々ずっと出しまくりながら
24時間 365日 ちょっと寝るとき以外は休まず 踊りまくり続けていたら
風邪 ますます治らなそうに 思えない?
さらには汗で冷えて 体力 別の面からも 減らしてるってこと
血液や栄養等を 原因であるウイルスの退治に たくさん使わず
運動するほうへ使ってしまうこと
それらも 想像できるよね?
言ってる意味 伝わってるよね?
何らかの素晴らしい行動や 何らかの変化目標や 何らかの達成 ではない
今の『症状が出る原因への 別のアプローチ方法』を
なぜ 試してはいけないのかな?
あなたがこだわる その『治すためのやり方』以外にも
たくさん 試せることはあって
しかもそれは あなたには 効果的かもしれないのに
試しさえしないというのは なぜだろうね……
あなたの欠けている部分
誰だって普通にある 偏り
それはいつだって『点』に戻していいのに
あなたの素晴らしさを いつか他者に思い知らせるためには
『点の存在』すら 決して ゆるしてはいけないとでも?
他者とは 度合いが違う? レベルが違う?
では たとえば 一生 寝たきりの人は
一生 自分を罵倒し続けなくては いけなくて
一生 「私は不幸のまま」だと 自分で捉え続けなくてはならないと?
何を見つめて生きていくかを 人は 他者から決めてもらわねばならず
そんなことを 自分で絶対に 決めてはいけないと……?
Illustration by hubpic.com
ID:201502091100
GATAG フリーイラスト素材集