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暗闇があるから、星を見られる

あなたが星を見られるのは、あなたの周りに夜の暗闇があるからこそ。

 

先日、紹介した本(『世界最強の商人』という文庫)に載っていた話だ。

それはまさに、当然のこと、だよね。

 

そして本当はね。

あなたの今の暗闇にも、

すでに光は届いているんだよ。

あなたが空を見上げる気持ちを起こしたとき、

または、すぐにあきらめてしまわなければ、

きっと必ず、光を見つけられるようになっている。

雨や曇りの空は、一生は続かない。

なぜなら、雲は動くから。

 

あなた自身が、うつむくこと「だけ」を

選択しない限り、

光には、巡り会えるんだよ。

 

しかも、暗闇が深いほど、見える光の数は増える。

象徴の話ではなく、本当にそういうふうに、できているのだ。

そして自分のためにいつだって、理由なく

「見上げてみる」気持ちのほうを、

選択してあげていいのだ……。

 

そのことに気づく日が、

あなたに来ることを心から祈ります。

 

2015_01_21

Photo by Pixabay

 

弱さを 受け容れてみることで……

弱い自分がいることは

周囲に甘えることになる

周囲に迷惑をかける自分になる

 

あるいは他者と自分を比較し

周囲から バカにされることとなる

 

そう受け止めることがあるのもわかる

私も過去 そう思っていたし

他の捉え方は見ていなかった

というか 見ようともしていなかった

 

だってそれ 如実に『悪いこと』だったから

 

でね ボロボロになってから 気づいた

自分の弱さをいったん 受け容れてみることは

ダメ人間になることではなく

自分が痛んでいるときに

自分に優しくなれる ひとつの方法であり

さらには 他者の弱さを

『変化の途中』と捉えることもできて

「なぜなのよ!?」

「どうしてあなたは!!」

などの責め 非難の気持ちが減る……

場合によってはしなくなる

そんなことにもつながる視点だった

 

もしかしたら内側で傷ついている人を そうと気づけず

表面の言動だけ見て 自分の心の中で叩きのめしてしまう

あるいは自分の意見に 都合に 合わないからといって

バカにしてしまう

そういう事態は 減ってきたのだ 実際に

(ここで言ってる バカにする という意味は

相手を あざ笑うことでなく 評価して

分からず屋 等の レッテルを貼ることだよ

そういう人だと決めつけて そこでもう 終わらせていた ということ)

 

受け容れることで 初めて

私がそういう決定を 他人に下していたな と 見えた のだ

 

人というのは 思っていたより 複雑で

一見 イヤに見える部分があっても

本質的には そういう人でないことも多いのに

私が勝手に 一部分だけ見て

レッテルを ラベルを貼って

「○○な人」ですね はい 以上 分類おしまい

次からは そのラベルを『見てから』

そのあとで 目の前の相手を見るよ

って やってた

 

なので最初から 構えて 防御して 接したりさ……

 

しかもそれを 他者に対してだけなく 自分にもやってた

自分に対してまずは よいラベルを貼ろうとし

でも悪いラベルも 結局は貼ることになり

ラベルの枚数はどんどんいろいろ 増えていって

それを総合評価 

はい いい人か 悪い人か どちらか

立派か ダメか どちらか

ね なんだよ それ 私 裁判官? だよね

 

弱さを知る ということは

自分にも 他者にも あらかじめ 弱さは 含まれていて

そんなラベル レッテル自体が

そもそも必要ない と 知ることだった

 

内包されているから ときには 現れる

現れるからって その人が即 ダメなわけではない

もちろんその人にも 強い面 いい面はあって

たまたま私には タイミングなのか 相性ゆえか

今のところ 見えないだけなのだ

と 感じるように なった

 

他者への目線が そうなると

自分に対しても 少しずつ視点が変わってきて

うん そりゃ 弱みもあるよな と思え

弱いときには「今はたまたま そういうこと」

強いときにも「今はたまたま そういうこと」

と 右往左往 しないでいられる練習にもなった

表面の勘違い みたいなものが減ることで

自分を 他人を 責めなくてもすむように

少しずつ なれているように思える

 

当然 どの面が弱いかは 人によって違うし

たまたま私の感覚とは 合わない人もいるよな って

それは 仕方ないから 距離を少し置こう って できて

自分の弱さも 相手の弱さも また変化していくから

もしかしたらまたいつか そういう距離も 必要なくなるかも知れないし とか

そういう感じの ゆとり のようなものが

自分の中に 生まれたのだ

 

で そうなってから 気づいた

これって 別の角度から見たら ある意味さ

強くなったとも 言えるんじゃない? と

 

自分の内包している 弱さを 受け容れていることで

私は 自分が今までまったく知らなかった種類の強さを

手にしたんじゃないかな?

少なくとも 動揺 は 減ったもの

 

まあね 対象となる相手によっては

まだまだ ぶれて 揺らされるけど(^◇^;)

 

うん だからさ たぶん 弱くても いいのよ

問題の解決策を探し回って 行動せねばって

迷って右往左往して 何とかすることだけが

自分を楽にするのではなくて

起こった出来事に対して どうする云々 以前に

自分の『あり方』を 変えてみるのも

それなりに いいことなんだな って

 

解決に向けて すぐには動き出せなくても

どうしていいか 今はまだわからなくても

今この瞬間に いったん 目の前にある 

自分の 他者の 弱さを

『当たり前のこと』として まず受け容れてみるのは

決して悪いことばかりではないと 今の私には 思えるわけさ……

 

2015_01_17

Photo by 季節の写真-淀屋橋心理療法センター

 

追伸:これ以上、自分は存在していたくない、という方々へ。

自分を今、まさに責めておられる方へ。

 

先の記事は、自分が存在する、ということ、

その点においてもう、反発を感じられるかと思います。

過去の私もそうでした。

 

でもそれは、「存在したくなくなる」、

そんなになるまで自分の気持ちをないがしろにしてきた、

その、ひとつの結果の表れでもあります。

 

そんなにも、自分にずっと無理をさせているのです。

そんなにも、自分を無視してきたのです。

 

あなたも他人も、神様ではないので、先のことを

「『うまくいかない』と確定させる」ことは、どうしたってできません。

何も決まっていない、わからないことなのに、

そう『決めつけてしまいたくなる』ほど、

これまでのあなたが、実は、自分の感じることを軽く扱ってきたのです。

 

問題は、あなたの存在そのもの、ではありません。

あなたが疲れきっている、

そこまで自分を追い込んでいる、その自分自身の状態のほうです。

 

過去、そこそこ事態がうまくいっていると自分が感じられていたとき、

あなたは自分の存在を疑ったりは、とくにしなかったはずです。

 

疲れきっている、という状況。

そのことを、もっともっと、自覚してみてください。

そして何よりも、疲れきっている自分をゆるして、慰めてあげてください。

 

本当の問題は、立場や状況のほうばかりを大切に考え、

そのとき自分の感じたことを無視し、

疲れても自分をいたわらず、守らないで、ただひたすら、

何とかしようという部分だけを、やってきたことのほうにあるのです。

過去の経験と学びを経た今の私は、

少なくとも、過去の自分を振り返って、そう思っています。

 

自分を一番おろそかにしていたのは、自分自身だったと。

 

どうか、そこまで今、疲れていることのほうを、

今は自分自身で重視してあげて、

まずはいったん、それを和らげることだけに、

注目していただけたらと願います。

 

2015_01_11_2

Photo by takazart
Pixabay