カテゴリー別アーカイブ: 苦しみ

自分を 痛めつけなくていいよ

アメーバなうでも ご紹介した

カウンセラーの衛藤さんの言葉から ふと 思いを馳せた

 

私の身体は 遠い遠い昔 

どこかの星が寿命を迎えて 粉々になって

それらが漂ううちに 地球という星になって 

その欠片で つくられている

 

私の身体は 熱いときには 毛穴を開き 水分を蒸発させ

体温を下げようとしてくれる

寒いときには 鳥肌になるくらいにまで 毛穴を閉じ

熱を保とうと してくれる

 

悪い菌が入ってきたら それを消滅させるための細胞が働き

古い骨や肉は 新しい細胞に置き換えられ

血をめぐらせ 酸素を取り入れ

古い細胞は集めて濾して まとめて

それらを定期的に 排出してくれる

 

身体は 常に 私をできるだけ元気に 生かそうとしてくれている

 

本当に 危険な目に遭ったとき

たとえば 日本では普通 あり得ないけれど 

道でライオンに巡り会ったりして 緊張がすごく高まると

その瞬間 身体は逃げて生き延びるために緊急体制へと突入し

食べ物の消化活動さえ 止まることもあるという

必要な成分を 常に体内に蓄え

食べ物が入らないときは その蓄えを使い

何とかして バランスを保とうとしてくれる

 

それを私たちは忘れて 食べ過ぎてみては 太ったとダイエットし

身体の機能そのものを 無茶させるために使う

鬱だって 何らかの過度な負荷が掛かり過ぎ続けたからこそ

脳が生き延びようとするあまり

過剰反応のようになり 

普通でない働きが 起こるのだという

 

しかもね

何かをするとき 私の身体の細胞は

協調してそれに付き合ってくれる

リンゴを食べたいと思えば 腕を伸ばしてリンゴをつかみ

手を動かして 皮をむき

口を動かして 飲み込みやすい大きさにまで砕き

味を 食感を 香りを感じながら飲み込み

それを 働くためのさまざまなものにまた 変えてくれるのだ

それは私が 岩のような物質 ではなく 

命を持った生き物だからこそ できることだ

 

何かをしようとすること

それ自体 すごいんだよね

そうやって身体を動かすということ

意志に沿って 何かをする ということ

それ自体が 仕組みからして すごい話で

尊くて 貴重なことなんだよ

 

なのに私は昔 することよりも

やったあとの結果 だけを気にして

しかも周りの人からの反応 を気にして

そっちばっかり 見つめていた

 

思い通りに動いてくれる 自分という存在のことは 

軽く扱って ないがしろにしてたんだ

何かをしようと思えたこと また やったという事実は 軽く扱ってさ

いつも 結果として起こること しか 見なかった

 

結局 それで 身体に過剰反応まで起こさせて

自分の細胞たちに 無理をさせ続けて

鬱に なった

 

そもそも 私の身体の細胞たちが すごいんだよ

そういう仕組みをつくった 命というもの それ自体がすでに すごいんだ

結果なんて そのときの話でしかないし

仕組みが すでにその時点で素晴らしいんだ

 

なぜ そこに私は 勝ち負けのような

競い合いのような価値観を 組み込まなくちゃいけなかったんだろう?

 

人はみんな 一人ひとり 素晴らしい仕組みを持っていて

しかも 違いをうまく使って 協調していくためにこそ 

個性溢れる この仕組みを個別に 持つことができているそうだよ……

 

なのに なぜ 私は自分と他人に 優劣をつけていたんだろう?

なぜ他者より立派でありたかったんだろう?

皆 違うからこそ すごくて

違っていても 一人ひとり 90兆個の細胞が働く仕組みを持っていて 

自分を含む全員が 素晴らしい存在なのに

 

いったい私は

何を 争わなくちゃ いけないんだろう?

 

協調 協働 するからこそ 身体も 私たちも

それぞれに素晴らしいんだ それでよかったんだよ

 

やったあとの結果より やれたことそのものが 

もう 奇跡みたいに すごいんだ

 

だから ねえ これ以上 そんなにも 自分を痛めつけないでね

私も 自分という仕組みのすごさを 

噛みしめながら ありがたいと感じながら

生きていこうと 思うんだ

 

何かをする 何かをしたいと思う

したいと思っているのに動けないこと は決して 悪いわけではない

そんな複雑なことまで考えていられること自体が

そもそも もう すごいことなんだよ?

 

悩むことのできる 今のその 自分のすごさを

まさに今 この瞬間に

もう一度 味わってみてほしいと願う

 

美しい花も 素晴らしいけれど

それと同じくらい 

どんな瞬間のあなたも 常に 素晴らしいのだから

冬に葉を落として丸裸になっても

それは 次の成長のための準備に過ぎない

そんな 木々と 同じように

あなたの 今の苦しみもまた

そうやって立ち止まることで 次につながるよ

今はそう思えなくてもいつか あなたがそれを望みさえすれば ね

あなたは 花や動物や他者にだって 親切や愛を示せるのだから……

 

だから それ以上 自分を痛めつける必要はないよ

あなたは今 もうすでに 素晴らしい存在だよ……

 

最後に ひとつ 言葉を追加しておくね

そうできたらいいなと 本当にいいなと思えた 本のなかの言葉

 

「今から私はすべての人を愛そう。

今この瞬間から、憎しみを私のすべての血管から追い払おう。

なぜならば、私には憎んでいる時間はないからだ。

愛するためだけに時間を使いたい。」

ーオグ・マンディーノ

(『世界最強の商人』角川文庫 P102より)

 

いずれお迎えは 必ず来る

限られた時間を生きる私たちだからこそ

この言葉を 贈るね

そしてもちろん この愛という仕組みは

自分に向けても 使っていくものだよ……

 

衛藤さん ブログ

◎衛藤信之のひとりごと
『星の子。』
http://ameblo.jp/n-etoh/entry-11961219365.html

オグ・マンディーノ『世界最強の商人』
角川文庫 ¥562(税込)
http://ow.ly/3v3vS8

2014_12_07_1

 

 

追伸:「どうせ無理」が自分を、のちに他人を、痛めつける

先に書いた記事の内容につながる話。

友だちに教えてもらって、ある動画をシェアします。

 

無理だと思うから自分を痛めつけ、

他人を傷つけ、奪うしかなくなる。

 

そしてその無理、という言葉を言われたとき、

それを鵜呑みにして信じるほうを選ぶのも自分なのだ……。

 

人は自分に足りない部分があるからこそ、

助け合えるという気持ちも素晴らしい。

幸せは、あきらめないで、いい。

 

そう。誰かから、もらわなくてもだいじょうぶ。

幸せは自分で、自分から、見つけたり作り出せたり、するんだよ。

視点を変えていけば……そして、少しずつでも、やっていけば。

 

だからといって、体調等が悪いのに無茶するのは禁物だけれど、

否定でない方向の「だったらこうしてみれば?」を、

少しずつでも自分自身に対して、唱えていけますように。

 

いつか必ず、自分が、自分を救えるし、変えられる。

それをはっきり実感できる日が、

いろいろな方に、訪れますように。

 

植松電気 植松努さん TEDの動画(YouTube)
『思いは招く』

リンク先
http://youtu.be/gBumdOWWMhY

 

2014_11_01_12

 

 

他者比較の視点から生まれる「後悔」

この3週間はいろいろ バタバタしていて

その中でふと 空いた時間に 気づいたこと

 

大切な人も いずれ あるいは間もなく

この世の修行を終えて去っていくのだという

当たり前のことながら 切ない事実

 

自分の命を 捨てようとしていた私が

身近な人の命が消えゆくことを思い

いつか訪れるであろう その日のことを考え

涙を浮かべる

 

過去の恋人 家族 友人 仕事上の仲間

すでに病を得ている人もいて

それぞれが やがて順番に この世での学びを終え

肉体を離れ 故郷へ還っていく

 

そう感じる自分のことを振り返ってみれば 

私はあの31歳のとき

この道でなく 別の あの道を選んでいたら

鬱になることもなく 必死に生きて 働いていただろうか

あの道を選んだとした場合 今の状況を考えると

切羽詰まって働いていることだけは 確かだろうな……

 

いやいや でも昔の私なら 今よりもっともっと

おバカで硬くて視野が狭いままだから

それで あの道を選んでいたら

もっとずっと 追い詰められていて 傲慢で

さらにたいへんになって もっと早くに 鬱に陥ったかもしれない

 

そうしたら 泣く泣く実家に泣きついていったのかな

あり得ない選択肢と知りつつ どうしようもなくて

そうしたら 今 こうして

ブログを書いている私など 絶対に存在しなかった

 

きっと 知人たちが亡くなるよりもっと前に

大事な友達が事故死するより前に

まんまと壊れていたか 自分を追い詰めていたか……

 

うん マジでありえる話だな

カチカチの 力みまくり人間だったから

そういう はっきりとわかりやすい選択肢だけでも

遡って考えていけば 31歳 28歳 22歳 15歳のときに

それぞれあって

それらは本当に その後の人生がはっきり変わる

明確な分かれ道だった

 

そのときは 最善を選んだつもりでいて

でも まさか こうつながっていくとは……という

想像を超えてばかりの 道だった

 

それぞれのときに 人間として ときには女性として

選んできた道があって 今 ここに私がこんなふうにいる……

しかもまだ 生きられていて(笑)

それどころか 生かされている と思えている

 

それはなんて 不思議なことだろう

 

振り返ってみても あのとき それぞれを選んだこと

そこに「大後悔」は存在しない

鬱という病の罹患も あの性格の私なら

遅かれ早かれ だけだったような気もする

きっとどこかでボッキリ折れて 今のように

視野も視点も ガラッと変わらざるを得なくなっていただろう

 

要はそういう学び方を 私が自分に設定していただけだ

そうなるように 自分で自分を明らかに仕向けていった

 

でも 後悔しても「始まらない」ことだけは

なぜか以前から 知っていた気がするし

今なら もっとはっきりわかる

 

後悔という行為自体が そもそも

他者や自分に対する「ある種の点数稼ぎの意識」ゆえに

「できなかったと捉えた」部分の 残滓だということを

 

ものごとを美しく「仕上げ」たり 見事に「格好つけ」られなくて

上手に「見栄を張れない」自分を

許さないままでいるからこそ

そうやって延々 残滓にして引きずるのだ

 

なぜ 許しちゃいけないんだろうね?

そんな点数稼ぎ 本当に全然 いらなかったし

この先もまったく いらないのに

 

だって どんなふうに自分を規定して

どんなふうに生きたっていいのだから

7点の私も 3点の私も 80点のときも50点のときも

自分で自分のことを全部 肯定していいのだから

 

それを「許せない」と思う その(ごめんね)傲慢さを

あなたが大事にして手放さないから こそ

自分に過大な期待をかけたあげくに

過小評価する「のみ」にとどまる

 

うん ある意味 傲慢で卑屈なのだよ それ

 

どれだけ自分を 「いずれ」素晴らしく

「する」「なれる」と思っているのか つまりは

どれだけ 他人より優れ 他人に勝とうとしているのか

他者より立派

他者より上の立場になり

もしかしたら他者を見下しもしたいという

その点に おいてね

 

実は自分の人生って「他人と比較する」ものではないし

「誰かより優れた人」に「なれる」のでもなくて

本当は ただ単純に もともと 自分は素晴らしいんだけど

 

そっちの話は 完全無視 するんだよね

その視野 すごく偏ってるよね

両方とも 知ること できるのにね

 

だから まあ その苦い残滓のほうを大事にしまくって

後悔しつづけることを選ぶのも お好きにどうぞ なのだけれど

間違いなく それを選んでいるのは あなた自身だということは

知っていてもらえたらと思う

 

自分はそんなつもりはない

誰かに何かされたからなんだ というときであっても

誰かに何か「された」から ゆえではなく

「何かされたと捉える」ほうを

あなた自身が選んでいるのだ

(そう 以前の それを知らなかった私と同じようにね)

 

大きな選択 小さな選択 それぞれの結果で

あなたはなぜか「他者より立派」なほうを

願うかもしれないけれど

 

本当は 今日のあなたが 明日のあなたをつくる

毎日が その小さな一歩一歩の 積み重ね

なのに点数稼ぎの視点だけだと そこで見える「幸せ」の形は

とても限定的で偏っているから

それを一気に または いずれドカンと

はっきり捕まえられる なんてことは

本当に「すごいラッキー」であって

宝くじで3億当たれば……と同じくらいに

夢想 に 近いのかもしれない

 

「得る」んじゃない 「ああなったら得られる」んじゃない

すでに「そう」だったものを わかりやすく膨らませるだけなのだ

 

だからこそ日々の自分を 他者とも 過去の自分とも

頭の中だけにある 理想の自分とも「比較せずにまず肯定する」ことが

よい方向へ進む近道の 必須条件になりうるのだ

 

でもまあ そこをガン無視したければ 遠回りになりそうだけれど

がんばってみて と私は言う

それもまた あなたの選択であり あなたの学び方だからね

 

「こうなりさえすれば」の願いを見つめ

今のよさや ありがたさを無視するほうの視野を

あなたが 選び続けていくということだ

 

私も以前 思い切りそれをやっていた

そして私は 鬱になってでも こう変われてよかったと思っている

昔も昔で別にね 実は あれで自分にとってはよかったわけだし

(カチカチのおバカさんだった自分に笑える)

今もどこかに 硬さはきっと 残ってるだろう

 

でもこれからの人生は

できるだけ 楽しむこと「のみ」に注目していきたい

苦さ 苦しささえも「自分で笑えちゃう楽しみ」に変える

 

そうやって味わいながら もっともっと

自分を好きになることを 学んでいきたい

 

もちろんときには 泣くだろうし怒るだろう

でも そのときどきの自分を「愛しむ」方向 そっちを見つめていく

それで いいのだと 今は本気で思える

だから「比較」とか「後悔」という文字は

もう 私の辞書にはいらないのだ

 

みんな それぞれ 違ってて 私もみんなも すごい からさ

ま 他者比較のほうは すでに死にたくなるほど してみたことだしね(^^;)ゞ

 

そうやって 生きていきたい これからも……

 

2014_10_26