カテゴリー別アーカイブ: 苦しみ

願うこと、実現していくこと

人が何かをやり遂げるとき。

そこに至るまでの過程で、まず最初にするのは、

その「達成」を思い描くことだ。

わかりやすい例で言えば、アップル社の故スティーブ・ジョブズ氏が

もっと気軽に、音楽を生活のあらゆる場面に溶け込ませて

楽しめるようにしたい、と願ったから、

iPodという機器が生まれ、ネットの音楽ダウンロード市場が活性化し、

そのためのソフトが、パソコン上でどんどん進化した。

彼は、街を歩いたり、ジョギングしたり、お風呂につかりながら

音楽を聞いている人たち、そういうシーンや世の中をまず思い描いて、

それを実現するために、実際の行動を決め、動き始めたのだ。

こうしたことは、私たちでも、日常、普通に行っている。

仕事における売上目標は、シーンを思い描く代わりに数値を使うわけだし、

高校や大学への合格、といったものも、まず達成ラインを決め、

そのために何をどこまで勉強すればいいか、はかって計画する。

計画、は夢、である場合もある。

そんなふうに、私たちは何かを思い描き、そのために必要な状態・状況までを、

実際の行動で埋めながら、近づいていくのだ。

さて。

ただし、思い描き、ひたすら行動によって実現へと埋めて近づいていけば、

それが必ず100%実現できるかと言えば、当たり前だがそうではない。

思い描く内容と実際の状況が、かけ離れすぎて結局は近づききれなかったり、

途中で変化や変更を余儀なくされるようなことが起こったりする。

このとき、現実と理想のギャップの「無理さ加減」を理解できなかったり、

埋められないのは私のせいだ、と自分を責め始めると、

鬱になったり、自分を嫌いになったりする。

時期、環境、向き不向き、近づき方、いろいろな要素がからんでくるのだから、

自分に合わない、埋められないやり方を選んで、

やってみてしまうことは、往々にしてあり得るのだ。

なのに、そのやり方で達成しなくちゃいけないんだ、と決めつけたりしたら、

苦しくなるのは当然だ。

たとえていうなら、富士登山。

登山道を使わなくても、使っても、頂上にたどり着くという結果は同じ。

5合目までは、車で登る方法もある。

そんなさまざまな方法を検討しないで、未知のルートだけを見て、

それが唯一、正しいんだ、と決めつけてしまったら、

ケガするかもしれないし、熊に会うかもしれないし、

道に迷うかもしれなくて大変だろう。

どうしても未知のルートを使って登頂したいなら、

何度もアタックして調べながら進んだり、

ほかの山で練習する必要だって、あるかもしれない。

思い描くことは、実現への第一歩だから、とても大切。

でもあなたは、何をどこまで思い描くだろうか?

それは、どうしたら達成できるか、十分に検討可能なものだろうか?

実現への道を、自分で思いつけ、行動を計画し、実行できるだろうか?

今は、そもそもそれが無理な体調だったりは、しないだろうか?

理想を無理に描くなら、それは妄想である。

また、理想にどうしたら近づけるかを柔軟に検討せず、

あるやり方のみにこだわったら、それは単なる無謀かもしれない。

ましてや、それを達成できない自分を卑下し続けるようなら、

あなたは妄想による無謀な計画によって自分を落としめていることになるのだ。

訳わからなくなるはずだよ、それじゃあね。

なぜ、自分が今、苦しいのかを、冷静に、客観的に見てみる必要があるのは、

こうした混乱状態から、自分を引き離すことが大切だから。

鬱の方は特に、自分を苦しめる理由が重なりすぎて、

自分で考えるだけでは訳わからん、ということにもなりやすいから、

冷静になるために、カウンセラーさんなどに手伝ってもらうことは

とても有効なのだ。

鬱じゃなくても、第三者の視点は役立つことがある。

こんがらがって、がんじがらめになって、

せっかく描いた、妄想ではない、よい夢まで

自分には無理だと否定してしまわないよう祈ります。

あなたの今のその夢は、実現への大切な入り口なのだから。

仕事のミスと自己批判

世の中には、自分で自分の言葉や思いに煽られて、

怒りはじめたらどんどん勝手に怒っていってしまう人がいます。

私はいつからか、そういう人にぶつかると、

その場でミスを振り返り、反省しながらも、

それとは別に、すごく冷めた気分で状況を見るようになりました。

問題は解決しなければいけない、対応しなければいけないことなので、

その部分に対しては、真摯に考え、謝り、対応します。

ただ、度を越えて激怒されるような方に対しては、

その人のことを少し、冷静に見るのです。

この人が、本当に心の底で怒ってるのは、何に対してだろうって。

自尊心、八つ当たり、日頃のイライラのまとめ発散、

私より上位に立ちたい、人に認めてほしい、

人にかまってほしい、人が(あるいは私が?(笑))ホントは怖い、等々。

言葉の裏にあるもの、この言葉を自分が発するとしたら

それはどんな気持ちのときだろう、って。

そうやって、出来事そのもの以外に、

隠れているものを推し量ることにより、

相手の立場や状況を見つめながら、自分が取った行動についても

より冷静に見て、対応できるのだと思えます。

こちらは少なくとも、余分な怒りを感じる割合が低くなり、

余計なショックを浴びる量が減り、

怒鳴られる、という、人間が単純に怖いと感じやすい状況下で、

その怖さも薄らぎます。

自分と相手の両方を、離れたところから見るような感じなのです。

他人の人間性にまで言及し、激高する人は、多かれ少なかれ、

何か別の不満や、その方自身の人間性の問題点も、

残念ながらもともと抱えておられることも多いように思えます。

急に切れてヒステリックになる人も同様で、

実は自分にとって痛いことだからこそ、なおさら怒ってしまうこともあるのだと。

たとえば仕事で、命に関わるかもしれないミスがあって、

それが誰かのせいであったとしても、

安定している人は、その場でいったんビシッと怒って止め、

大変な事態を打開してから、相手がどうしたらこのミスをなくせるか、

相手の性格まで踏まえて解決策をはかっていきます。

なぜなら、それは仕事であり、同じ職場でお互いに働き続ける以上、

今後も繰り返されることのほうが危険だからです。

仕事は役割分担をし、協力して労働力を提供して、

対価としてのお金を得る作業ですから、

起こったミスそのものをギリギリ責め続けることより、この先、どうしたら円滑に

ミスなく日常的に進行できるかのほうが、よっぽど重要です。

もちろん、自分自身についてもそれは同様です。

後悔し、落ち込み続けても、そのままでは次につながりません。

真摯な対応策に、頭を切り替えたほうがいいのです。

そういう視点で対処するには慣れも、練習も必要なのかもしれませんが、

幸い、私は昔、よい上司や先輩にめぐりあったことで、

そうするものなんだ、ということを

実地で学んでいったように思います。

切り替えは、いつでも始められます。

早いほうがいい、とは限りませんし(状況が長く変化していくこともあるので)、

今からでも、遅くはないのです。少なくとも自分のためにはなります。

今、失敗のつらさを引きずり、苦しんでおられる方は、

どうか、萎縮したまま、その苦しい状態を保ち続けないでください。

少しでもそのときの状況を見直し、見つめ直す機会を

持つことができますよう、心からお祈りし、応援します。

それが仕事である以上、何らかの改善は、していけるのですから。

仕事のトラブル、自分のトラブル

鬱という病にかかると、自己否定が強くなるため、

トラブルを複雑に考えやすく、引きずりやすい。

たとえば誰かに文句を言われたとする。

言われた内容が、勘違いや間違いだ、と思えても、

うまくそれを説明できなかったりするために

自分が仕事でミスしたことになってしまう場合がある。

あるいは、仕事上の役割としてのことを責められているのに、

自分自身の性格や人間性を非難されているように感じてしまい、

激しく落ち込んだり、あとあとまで引きずり続けたりする。

相手の八つ当たりだったりする可能性だってあるのに、

自己卑下につなげてしまうのだ。

こうした苦しみを避けるためには、まず、

自分がまともな脳ミソの状態ではないことを、しっかり自覚しよう。

病のときは、ミスは起こるものなのだ。

開き直れ、と言っているわけではなく、

自分が滑りやすい氷の上を歩いているような状態だと自覚することで、

焦っても仕方ないと、慌てる可能性が低くなるのだ。

あなたの能力が根本からダメになったのではない。

病で一時的に、落ちてしまうことがあるだけの話だ。

そこをきちんと、割り切ると、焦らなくなり、実際にミスは減る。

丁寧に対処するしかなくなってくるからだ。

表面上を取りつくろおうとして、焦って失敗を重ねるより、

ペースが落ちても丁寧にできるほうが、

仕事上での評価は下がりにくい。

あとは、仕事の役割と自分自身を、しっかり分ける。

あなたの責任は、あくまでもその仕事の範囲内にあり、

あなたのすべての人格、全意識を投入して、やるものではない。

鬱のときは完全に仕事用のあなた、でいいのだ。

これもまた、そう 決めて割り切るしかない。

でもそうすれば、仕事の役割の面でのトラブルにより、

自分を追い詰める危険性が減るのだ。

私の経験では、上司に相談し、対処しきれない類いの、ワケのわからない

相手の主張を、上の対応任せにしてもらったこともあった。

それでも、いいのだ。

自分は病なのだから。

どうか、必要のない落ち込みを抱えこまないようにしてほしい。

仕事に感情を持ち込むのは、もともと、

自分にとってよくないやり方であるのだから、

そうなりやすい今は、原点に返るつもりで、しっかり、切り離そう。

感情で、仕事をしない。

理性と知性で対応するのが、仕事である。

それが、原点なのだ。