仕事のミスと自己批判

世の中には、自分で自分の言葉や思いに煽られて、

怒りはじめたらどんどん勝手に怒っていってしまう人がいます。

私はいつからか、そういう人にぶつかると、

その場でミスを振り返り、反省しながらも、

それとは別に、すごく冷めた気分で状況を見るようになりました。

問題は解決しなければいけない、対応しなければいけないことなので、

その部分に対しては、真摯に考え、謝り、対応します。

ただ、度を越えて激怒されるような方に対しては、

その人のことを少し、冷静に見るのです。

この人が、本当に心の底で怒ってるのは、何に対してだろうって。

自尊心、八つ当たり、日頃のイライラのまとめ発散、

私より上位に立ちたい、人に認めてほしい、

人にかまってほしい、人が(あるいは私が?(笑))ホントは怖い、等々。

言葉の裏にあるもの、この言葉を自分が発するとしたら

それはどんな気持ちのときだろう、って。

そうやって、出来事そのもの以外に、

隠れているものを推し量ることにより、

相手の立場や状況を見つめながら、自分が取った行動についても

より冷静に見て、対応できるのだと思えます。

こちらは少なくとも、余分な怒りを感じる割合が低くなり、

余計なショックを浴びる量が減り、

怒鳴られる、という、人間が単純に怖いと感じやすい状況下で、

その怖さも薄らぎます。

自分と相手の両方を、離れたところから見るような感じなのです。

他人の人間性にまで言及し、激高する人は、多かれ少なかれ、

何か別の不満や、その方自身の人間性の問題点も、

残念ながらもともと抱えておられることも多いように思えます。

急に切れてヒステリックになる人も同様で、

実は自分にとって痛いことだからこそ、なおさら怒ってしまうこともあるのだと。

たとえば仕事で、命に関わるかもしれないミスがあって、

それが誰かのせいであったとしても、

安定している人は、その場でいったんビシッと怒って止め、

大変な事態を打開してから、相手がどうしたらこのミスをなくせるか、

相手の性格まで踏まえて解決策をはかっていきます。

なぜなら、それは仕事であり、同じ職場でお互いに働き続ける以上、

今後も繰り返されることのほうが危険だからです。

仕事は役割分担をし、協力して労働力を提供して、

対価としてのお金を得る作業ですから、

起こったミスそのものをギリギリ責め続けることより、この先、どうしたら円滑に

ミスなく日常的に進行できるかのほうが、よっぽど重要です。

もちろん、自分自身についてもそれは同様です。

後悔し、落ち込み続けても、そのままでは次につながりません。

真摯な対応策に、頭を切り替えたほうがいいのです。

そういう視点で対処するには慣れも、練習も必要なのかもしれませんが、

幸い、私は昔、よい上司や先輩にめぐりあったことで、

そうするものなんだ、ということを

実地で学んでいったように思います。

切り替えは、いつでも始められます。

早いほうがいい、とは限りませんし(状況が長く変化していくこともあるので)、

今からでも、遅くはないのです。少なくとも自分のためにはなります。

今、失敗のつらさを引きずり、苦しんでおられる方は、

どうか、萎縮したまま、その苦しい状態を保ち続けないでください。

少しでもそのときの状況を見直し、見つめ直す機会を

持つことができますよう、心からお祈りし、応援します。

それが仕事である以上、何らかの改善は、していけるのですから。

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