カテゴリー別アーカイブ: 苦しみ

涙は 弱いか

苦しいことがあって 感情が巻き込まれて つい 涙を流すことがある

過去のこと 今のこと 思い出したら 考えたら

ときにはそんな時間も やってくる

その涙は あなたが弱いから 流れるのか

あなたがダメだから あふれるのか

あなたが情けないから 止まらないのか

違うよ 絶対 そうじゃない

あなたは涙で つらさを吐き出そうとしているだけ

その涙は そのために あふれてきたのだ

人の身体は つらいとき 泣いてもいいように できている

つらいときに泣くことは 悪いことじゃないんだよ

それどころか 自分をゆるめる作用をも もたらすのだ

だけど とくに男の人は 泣くこと自体を恥じたりする

むやみに泣いてはいけないと 教わった人もいるだろう

泣くのは弱い 証拠だと

自分をコントロールできない 証拠だと

周囲に迷惑を かけることなのだと

でも本当は 人前だろうが 一人のときだろうが

泣きたいときは 泣いていいのだ

どうしようもないことは この世に確実にあって

そのつらさに 耐えられなかったとき 泣くのだから

まあ 確かに なかには ね

泣くことで 誰かを黙らせたいとか

話をうやむやにして 相手に謝らせたいとか

その場をコントロールしたい人もいる

そんな作戦のような涙なら

確かにちょっと 周囲にとっては迷惑で

もし あなたがそれで 「利益」を得ているなら

いつか その作戦も 通じなくなるよとだけ言っておく

他人はそんなに バカじゃないからさ

今のあなたの涙は きっと そんな涙ではないだろう

つらくて流す涙は つらいからこそ流れるわけで

そういうふうに 心と涙はもともとつながってるのだから うん それでいいのだ

流れれば流れるほど 心のオリは ほどける

本当に文字通り つらさも一緒に 流れていく

その涙はたぶん 今 あなたにこそ 必要なのだろう

泣くことを 何度も繰り返すことも あるだろう

つらさが続けば 当たり前の話で

いつまで泣いていればいいんだと 自分を責めたくなる日も あるかも しれないけれど

人は

いつだって

いつまででも

泣いていいんだよ

その方法は 間違ってなんかいない

大切な 自分の 儀式みたいなもので

今の自分にとって 必要だから 流れてるだけだ

だから 気にせず 何度でも

つらいときには 泣いてしまおう

そんなつらさのまっただ中にある

あなたの気が 少しでも済むように

そんなつらさに まさに今 あなたは耐えているんだもの

耐えてるあなたは すでに 決して 弱い人なんかじゃない

今はホントに つらくて 苦しいだろうけど

涙が出るなら 出るままに 泣いて つらさを流してほしい

いつか 少しずつ 晴れていったらいいね……

痛んだときは

心の傷の深さは 受けた者にしかわからない

14歳のとき そう詩に書いてくれた友達がいた

失恋した私への 慰めの言葉だったけれど

その歳でそれを書いた彼が 子どもながらに

どんなつらさを体験してきたのだろうと

逆に驚いて 友達のことを心配したのを覚えている

傷つく心は 大人になっても持っているもので

大人なんだから 男なんだから

そんなことは 何も関係ない

とくに鬱という病になれば

ものごとを楽しく捉えにくい脳になるから

傷もつきやすいし 深くなりやすいし 忘れにくいのだ

そしてそのことをまた 自己卑下の材料にしてしまう

でもね

それは病の症状で この病になれば誰しもが陥る状態で

あなただけが特別ダメだから 傷ついてしまうわけではない

本当に 病になったら誰でも

つらさがより深くなってしまうのだ

だからどうか 自分がダメだと卑下しないでいてほしい

普通のときなら 気分転換して

忘れたり 気持ちを切り替えたりできるけど

今はそれも難しいからよけいに

深く 重く 傷つくの

その理由が 脳の働きの狂いにあって

あなたがことさらダメだから というわけではないことを わかってほしい

鬱のときの傷は ふだんより深く

その傷の深さは あなたにしか わからないもので

あなたが自分で その状況を 自分にゆるしてあげることが

今は いちばん大切だから……

あなたにとっての うまくいかないやり方

あなたが苦しいのは あなたにとって今の状況が よくないからである

状況がよくないから そうなったのか あなたの受け止め方ややり方が 自分を追い詰めるものだったのか

どちらが先なのかは わからないけれど

あなたは自分を追い詰めるほうへ ものごとを考え

周囲の状況も あなたにとってはよい方向へ進まず

鬱 という病にまで 自分を追い込んでしまった

それが 今の状態である

でもその苦しさは どうしようもないと思えるつらさは 半分以上 病が引き起こしている

自分を追い詰めたあまりに あなたは 脳の働きさえ 変えてしまい

ものごとを よい方向へ 受け止められなくしてしまった

そういうふうに 脳みそをいったん 変えてしまったのであれば

それはまた 自分で 変えていくことはできる

ただし あなたが それを自覚し 治そうと思えば の話

薬剤は確かに 助けにはなるかもしれないけれど 劇的には効かない

あなたが変えるべきは 自分を追い込んでしまう その思考の「クセ」であり

それがどんなクセであるか どういうふうに 自分を追い込むのか

そもそもそんな「クセ」をつけてしまったのはなぜなのかを ひも解いていく必要がある

でないと どんなに薬が効いたところで あなたはまた 自分をすぐ 追い込んでしまうから

その辺りを 解いていくのに 本を読んだり 人の助けも 借りるのだ

友人 先輩 カウンセラー あなたを非難しない人たちに 自分が何を考えているかを話し

どうしてそのように考えるようになったのかを 話す

そうして整理をしていくことで あなたは自分を追い詰めていた 「クセ」を見つけていけるのだ

自分で 自力で 見つけていけるのだ

その「クセ」の正体をつかめば あとは「他の考え方」を練習していくだけである

本当に その「考え方」があなたに必要だったのであれば あなたは病にまで追い込まれなかったはずだ

少なくとも今の段階ではもう その「考え方」は あなたに必要ではなくなったのだ

そんなふうにして 少し自分を遠くから 別の人のように眺めて

自分を追い詰めていたもとの部分を知り そうしなくてもいいのだということを知り

別の新しい考え方 それにもとづく行動の仕方を 知って 練習していく

すると あなたの気持ちが楽になり 気持ちが楽になれば 病も軽快していく

そうやって 病にまで陥った脳みそを 元の働きに 戻していってあげればいいのだ

そのためのポイントは ただひとつ

この病であなたは うまくいかないやり方を 学んだだけなのであるから

自分を卑下し続けないこと 病である自分を 素直に認めること

そこから新たに そう やり直すのではなく 新たに

新しい考え方 新しい受け止め方 新しい生き方を また 学んでいくんだと 決意すること

つまり 今の自分は病である その病にかかっていること自体を 自分にゆるす ことである

それは あきらめとは 違うものだし

あなたが 人に対し 自分に対し 恥ずかしい思いをすることとも 違うのだ

うまくいかない考え方ややり方に 固執せず それをやめて ほかの方法を 試すだけのことである

鬱とは そういう練習をするための 病なのかもしれないと 私には思える

その練習が 今のあなたに必要だよという サインであるとさえ……