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受け止め方を変えるために。~その1~

鬱になるきっかけは、千差万別だ。

家族、身内、友達、仕事、事故、病気、結婚、引っ越し、勉強、進学……。

さまざまな理由があって、それが複数、重なるときもある。

でも、いずにせよあなたは、自分に負荷をかけた。

自分のやれる範囲以上のことをやったり、

新しい環境に慣れないまま、無理や無茶をした。

さらに、鬱という病が始まったあとでも、

起こる「症状」は似ている。

今までできていたことが、できなくなるのである。

やりたくなくなる。やっても失敗する。

だからよけいに、やる気が失せる。

このとき、たいていの人は「やれない自分」を責める。

やる気なんて、気持ちの問題なんだから、

本当はなんとかすれば、出るはず、

気持ちなんだから、自分次第でなんとでもなるはず!

と、考えるからだ。

が、しかし。

この病気は、脳の作動が狂うことが、少なくとも医学的に判明している。

脳の作動が狂うと、気持ちと思考は一致しない。

しかも、体調もおかしくなる。

厳然たる事実として、うまく「やる気」を引き出せないし、

体調だって悪くなる「脳」になっているのだ。

なのにあなたは、脳が不調になっているとは、気づけない。

なぜなら、頭痛がするわけでもなく、

ただやる気が失せる、疲れる、くらいしか、感じ取れないからだ。

しかし、そこまで脳の作動が狂ってしまったら、

薬を飲んで、すぐなんとかなる、というわけにもいかない。

多少、楽になっていくなることもあるけれど、

複雑な仕組みの脳に効く、ということは、

その分、脳の他の仕組みにも働いて、副作用が出やすかったりもするのだ。

たとえば禁断症状が起きたり、ね。

では、どうすればいいのだろう。

引っ越しをやめる?

結婚をやめる?

いや、環境を変えることが、上手に作用する場合もあるが、

また新たに「うまくいかなかった自分」を抱え込む可能性もある。

ならば、その病を治していくには。

負荷になってしまった、そもそもの原因、を

取りのぞいていくほうがいい。

物理的に、ではなく、心理的に。

あなたが無理や無茶をしようと思ったのは、

そのほうがいい、とか、

そうしなければいけない、と思ったから。

でも、それは本当に

「そのほうがいい」ことだったのか?

「そうしなければいけない」ことだったのか?

そこから、探っていくのである。

探っていくと、何かしら、「そう思う」きっかけとなったものが見つかる。

過去に同じようなことがあって、そう決めた、のか、

親のしつけによって「そうあるべき」と刷り込まれたのか。

そうした、何か、もとになるような考え方、受けとめ方、価値観、に

やがて、ぶつかっていくはずだ。

で、そこで自問するのだ。

それは、本当に「正しい」という類のものなのか。

それ以外の選択肢はないのか。

それ以外の、いい考え方はないのか、と。

この作業は、自力でできることもあるが、なかなか難しい。

だから、サポートを受けることも、ときには必要だ。

たとえば自分に合うタイプの、上手なプロカウンセラーは、

この答えを、自分が自分の中から見つけ出せるように、導いてくれる。

自分と相性のよいカウンセラーを探す必要はあるが、

探す価値は確かにあるのだ。

……長くなるので、すみません、明日もつづく

自分を追い詰めるとき

脳みその具合がおかしくなって その具合の悪さが進行しているときは

とにかく 自分がイヤで でも動けなくて どうしようもなくて

こんなの どうしたらいいんだ と 真っ暗になる

でも それが脳みそのせいだとは思えなくて 自分は 自分でいろいろ考えていて

全部ダメだから どうしていいか わからなくなる

でもね それは 大きなケガをして出血している最中に

「どうして血が止まらないの 私って なんてダメなの」と言っているのと同じなのだ

病ゆえに そうなっているのに 自分を責めたら 果たして 出血は 止まるだろうか?

怒りなどで血流が早くなって よけいに血が流れないだろうか?

だからこそ 安静 という言葉の意味を 知ってほしいのだ

ただ じっとしているのではない あなたの頭の中の 悲惨な思考を 止める必要がある

出血と違って 「頭で考えること」は 自分で止めることができるから

あなたが悪いのは 受け止め方により 自分を追い込んでしまう「クセ」がついていること

「クセ」によって 自分を苦しめているのだということ その部分だけである

その「クセ」は 自分で治していけるし そのために必要なサポートも 受けられる

でも 出血真っ最中の まさにその瞬間は いくらいろいろ考えようとしても 無理な話で

まずはその流れを 静かに いったん 止めていかなくてはいけないのだ

止められるようになって ただやみくもに 自分を否定することがなくなって

少しは起きていられるようになって 少しは動けるようになってきたときに

やっと ちょっとずつ 自分を苦しめる「思考のクセ」について 考えてみることができる

頭の中からは何回も 悪い思考が流れ出すだろう

日によっては何度でも 悪い思考が 出血したように流れ出して止まらない

これは 鬱という病が「波」という性質を持つから

止まった と思っても また始まることがあるのだ

波が起こるのは 頭のなかの いろいろなホルモンなどのバランスが狂っているせいで

あなたがいけないわけではない それはもう 病の症状として仕方ないこと

そう あなたはそういう病気の「病人」なのだ そこをまず わかってほしい

自分を責め続けたところで 事態は変わらず 悪い思考は止まらず やがて ぐったりするだろう

責めることで 病を 自分でさらに悪化させているから 出血をさらに ひどくさせるから

ぐったりするのは 当たり前なのだ

それを忘れるために ODやリスカをしたくなる あるいは酒に逃げたり ドラッグに逃げたり

いずれにせよ あなたは逃げられない 波はやがてまた 深くなるだろう

寝る 身体を温かくする ゆっくり呼吸する 風を感じる ほっとひと息つく

思考の流血を止め そうやって 自分をゆるめ 責めるのは「病」だと納得し

すべてが悪いわけではないことを 自分に認めてあげること

あなたを苦しめ続けるのは 周囲の状況だけではない

あなたが あなたを一番 苦しめているのだと 追い詰めているのだということを 知ってほしい

自分で自分を追い詰めると 24時間 365日

きりがなく 自分をいじめ続けることになることを 知ってほしい

そして そんな思考を止めてほしい 理由はなくても 強制的でも 今は納得できなくても

とにかく 追い詰めるのをまず やめることが その病にはとてもとても 大切だから

どうか 自分を これ以上 いじめないで

そんなことをしなくても あなたは今 もう十分 苦しんでいるのだから

もう一度 否定について

自分を否定しやすくなっている その頭を

酷使することで 得られるものは 何もない

鬱という病のなかでは 否定は確かに続きやすい

でも それを続けたら 失っていくだけだ

自分への 残っていた信頼の欠けらも 環境も 人間関係も

自死という選択肢は 魅力的に思えても

そこへたどり着くために あなたはこの先 さらに何かを失い続け

自分を傷つけ 落としめ 苦しませなければならないだろう

本当に 自分の生活を 取り戻したいなら

今の弱い自分を まるごと受け止め 休み ゆるめていくしかない

そこでいったん 立ち止まり

自分がどれほど 自分を痛め 傷つけ 苦しめてきたかを

自覚することが 必要なのだ

何をきっかけに 自分は 自分を嫌っているのかを

どこをどんなふうに 否定しているのかを

それは いつから始まったのかを

そして何より なぜあなたは そのとき自分をそう捉えたのかを

まずはただ 知っていくのだ

それは誰の教え? どんな教訓? どんな価値観?

それらを見つけていくと

自分が ある出来事を どう捉えたか

鬱になるきっかけは なんだったのか

そういう「今まで放置していた 心のごりごりした固まり」を ほどいていくことができる

それがほどければ 文字通り 新しい考え方 新しいやり方が 「勝手に」湧いてくる

あなたのなかに あったのに あなたには見えていなかった「こうすればいい」が 見えてくるのだ

だから ごりごりの固まりのまま 自分を評価し続け 否定するのは もうやめよう

カウンセリングなどのサポートを受けたり 自分で文字にして 書いてみたりしながら

自分の固まりの「中身」を あらわにしていこう

もちろん 鬱という病気の「波」や「症状」を 丁寧に乗りこなしながら ね

あなたのなかの 固い大地の下には 学びを得た新しい「生き方の種」が埋まっている

それを耕し 水をやり 芽生えさせ 成長させられるのは あなただけ

他の 誰にも なし得ない あなただけの種 あなただけの 貴重なものなのである