カテゴリー別アーカイブ: 苦しみ

いつ 始めるか

息をする = いきをする = いきる

どこかの本に 書いてあった 生きるとは そういうシンプルな ものであると

歩けること 走れること 食べられること 笑えること 泣けること

働けること 学べること 気の置けない人と のんびり時間を過ごすこと

家でテレビを観て座っていられること 眠れること 眠れる場所があること

お風呂に入れること お酒を飲んで一息つけること 甘いものを食べてホッとすること

病や お金や 家族の都合などにより こうしたことができない人が それぞれにいて

その人にとっては あなたは「できている」人になる

恵まれていること云々 と言っているのではなく

あなたが すでにできていること こんなの当たり前だと思っていること

それらが 実は「そうあるように」あなたがちゃんとしているのだということに 気づいてほしい

親から与えられた 努力はしてない と思っていても

悲しいかな 親子関係が上手くいかない人だって たくさんいるのだ

あなたが もっているものは あなたが思っているより ずっとたくさんあって

あなたは あなたが思っているより ずっとちゃんと していて

あなたがそこまで否定するほど 自分がひどいものではないと 気づいてほしいのだ

健康な身体を保っていることだって すばらしい財産なのだから

もっているものを 痛めつけるのも 手放すのも 確かにあなたの自由だけれど

わざわざ 自分を壊し 自分の病を治していく気持ちが湧かないのは

自分が自分を ただとにかく 延々と 嫌っているからだということ 否定し続けるからだということ

否定してきたから 鬱という病になり 鬱という病になったからさらに 自分を否定しているのだということ

その結果 周囲を含むいろいろなことが うまくいかなくなっているのだということ

そうしたからくりに 悪循環というからくりに 気づいてもらえたらと思う

あなたは 自分を否定しなくていい 自分を 本当は もっと好きになっていい

あなたは もっとゆるく 自分を 大事にしていいのだ

いますぐでなくても どうか その悪循環に気づいて

あなたが本気で 自分を否定する罠から

抜け出そうとし始めてくれることを 祈る

それは「チャンス」を待つのではなく ただ あなたが決意すればいいだけだから

あなたが この自己否定をもうやめていく と 決意すれば その瞬間から 始められる

そのためのサポートも この国であれば 受けられるのだから

あるがままに

たとえば 悲しいという気持ちが起こったとき

その気持ちを なかったことにはできないし それを感じた「経験」も なかったことにはできない

でも 鬱のときには その「悲しい」という気持ちを さらに自分のなかで発展させてしまう

あのときも ああだったから あのとき ああしていれば こうしていれば

悲しみを感じた経験での 自分のふるまいを思い返し さらにもっと過去の 経験も混ぜて

私がいけなかっただの あのときこうしていればだのという 後悔や苦しみをつけ加えて

やっぱり自分は と 卑下につなげて 追い込んで苦しくする 材料に変えていく

悲しい というのは 心で感じた「感情」なのに

そこへさらに 「記憶」や「思考」をいっぱいくっつけて 苦しみへ変えるのだ

これは 悲しいだけに限らず 怒り とまどい そういったものでも 起こりうる

なぜそうするかといえば あなたのなかで なんとか そうした感情と折り合いをつけたいからで

だからこそ いろいろくっつけてしまうというのも わからなくはないんだけれど

鬱のときには 結局 自分を追い込む思考へつなげてしまうから タチが悪いのだ

悲しい という感情を 悲しい という感情のまま ただ ありのままに 味わってごらん?

怒りがわいてきたときには 怒りの感情 そのものを 感じてごらん?

余計な思考の発展を つけ加えずに

そうすると 悲しいときは テンションがきゅうっと上がったりすることなく

しみじみと「悲しいよ……」ってなるだろう

怒りは メラメラと湧いてくるけれど

自分がこういうふうに怒りを感じるのか と なんだか別の形で 見つめることになるだろう

そこに 自分を卑下する要素を 「わざわざ」加える必要はないのだ

感じたくなくて なんとかしようとあがくから かえって 気持ちを高ぶらせることになる

感情が湧いている自分がいることを 素直に認めても 別にかまわないのだ

あなたは この世でたった一人の 大切な 独立した人間であって 感情がない 人形ではないのだから

うれしさも 楽しさも 怒りも 悲しさも 感じていいのだ

そこに 理由をくっつけなくていいのだ

おもしろいことに そうしてしみじみ あるいはメラメラ 自分の感情を見つめていると

それがちょっと 自分から離れているもののように 思えてくる

そしてやがて 静かに 涙が終わったりするのだ

悔しさも 重さも 一緒に しんと 収まっていく

もちろん 鬱の波の状態によっては 何度も繰り返し 感情が湧いてくることはある

でも 思考を加えて 理由づけして 無理矢理押さえようとしなくてもいいのだ

そのたびごとに しみじみと メラメラと あるがままに 感じてみればいいのだ

あらゆることを 自分の「問題」につなげてしまう いまだからこそ

そうした「あるがまま」を 自分にゆるしてほしい

思考と感情は 常にセットでなくてもいいことを

何か起こるたびに 常に自分を苦しい方向へと導き(そういう脳みそになっているのだから)

自分がダメだと 結論づける必要がないことを 知ってもらえたらと 思う

時間を優しい味方に……

時間を 味方につけよう

自分を責める方向へ 使うのではなく

自分を 楽にする方向へ 使う

心地いい時間 まったりする時間 のんびり呼吸する時間

そういう時間を 増やそう

そうやって 過ごすと 自分をゆるめるペースややり方が

やがて 自分で わかるようになる

すると 落ち着くまでに どれくらいか 自分で つかめるようになっていく

こうなったら 時間は優しいよ 自分が 楽になるときを 増やしてくれる

どうしたら 自分の気持ちが切り替わるか

どうやったら 追い詰める思考をやめられるか

それをまず 探してみることが 必要

自分を 追い詰めすぎると 自分を 傷つけたくなるから

自分を 消したくなるから

どうして 上手くいかないか?

ずっと 自分を 許せないから

ずっと 自分を 責め続けているから

ずっと ずっと ずっと 追い詰めているからだよ

もしかして これまでにも 自分を許す チャンスはあったかもしれない

気持ちを 切り替え始める 機会はあったかもしれない

でも 自分を責めているとね そのチャンスに 気づけないの

だって自分はダメで どうしようもないって 決めつけているからね

そんな機会が来たことに 気づけなくなってる

あるいは 変な方向へ 進んでしまう

そしてまた 自分へのダメを増やすのだ

だから 先に 自分を嫌いになってる部分を

そのこんがらがった気持ちのかたまりのところを

ほどいてみなくちゃいけない

でも すぐには上手に ほどけないから

まずは 心地いい時間を増やすことが 先なのだ

心地いい時間が増えて 自分を責める時間や

ものごとを悔やむ時間が減れば

自分の頭の働きが 少し普通に 戻ってきて

そうしたらもっと冷静に なぜ自分が自分を責めるのかを

客観的に わかるようになる

そうやって やがて 自分を責めるループから

離れていく機会も つかめるようになるのだ

自分の外側の事態が 好転することが 先ではない

自分の内側の嵐を 自力で変えていくことができると 

そのことに 気づくほうが先なのだ

人から一生 魚を与えてもらうのではなく

魚の捕り方を学ぶほうが いいよね

捕り方のコツや練習サポートは 力を借りていいけど

練習するのは自分で 練習する時間もまた 必要

だからまずは 心地いい時間を 自分に 増やそう

悲しみを風化させるっていう優しさも 時間は持っているから

そういうふうに 時間を味方につけよう

時間が あなたの 優しい仲間に なっていきますように

心をこめて 祈る