あるがままに

たとえば 悲しいという気持ちが起こったとき

その気持ちを なかったことにはできないし それを感じた「経験」も なかったことにはできない

でも 鬱のときには その「悲しい」という気持ちを さらに自分のなかで発展させてしまう

あのときも ああだったから あのとき ああしていれば こうしていれば

悲しみを感じた経験での 自分のふるまいを思い返し さらにもっと過去の 経験も混ぜて

私がいけなかっただの あのときこうしていればだのという 後悔や苦しみをつけ加えて

やっぱり自分は と 卑下につなげて 追い込んで苦しくする 材料に変えていく

悲しい というのは 心で感じた「感情」なのに

そこへさらに 「記憶」や「思考」をいっぱいくっつけて 苦しみへ変えるのだ

これは 悲しいだけに限らず 怒り とまどい そういったものでも 起こりうる

なぜそうするかといえば あなたのなかで なんとか そうした感情と折り合いをつけたいからで

だからこそ いろいろくっつけてしまうというのも わからなくはないんだけれど

鬱のときには 結局 自分を追い込む思考へつなげてしまうから タチが悪いのだ

悲しい という感情を 悲しい という感情のまま ただ ありのままに 味わってごらん?

怒りがわいてきたときには 怒りの感情 そのものを 感じてごらん?

余計な思考の発展を つけ加えずに

そうすると 悲しいときは テンションがきゅうっと上がったりすることなく

しみじみと「悲しいよ……」ってなるだろう

怒りは メラメラと湧いてくるけれど

自分がこういうふうに怒りを感じるのか と なんだか別の形で 見つめることになるだろう

そこに 自分を卑下する要素を 「わざわざ」加える必要はないのだ

感じたくなくて なんとかしようとあがくから かえって 気持ちを高ぶらせることになる

感情が湧いている自分がいることを 素直に認めても 別にかまわないのだ

あなたは この世でたった一人の 大切な 独立した人間であって 感情がない 人形ではないのだから

うれしさも 楽しさも 怒りも 悲しさも 感じていいのだ

そこに 理由をくっつけなくていいのだ

おもしろいことに そうしてしみじみ あるいはメラメラ 自分の感情を見つめていると

それがちょっと 自分から離れているもののように 思えてくる

そしてやがて 静かに 涙が終わったりするのだ

悔しさも 重さも 一緒に しんと 収まっていく

もちろん 鬱の波の状態によっては 何度も繰り返し 感情が湧いてくることはある

でも 思考を加えて 理由づけして 無理矢理押さえようとしなくてもいいのだ

そのたびごとに しみじみと メラメラと あるがままに 感じてみればいいのだ

あらゆることを 自分の「問題」につなげてしまう いまだからこそ

そうした「あるがまま」を 自分にゆるしてほしい

思考と感情は 常にセットでなくてもいいことを

何か起こるたびに 常に自分を苦しい方向へと導き(そういう脳みそになっているのだから)

自分がダメだと 結論づける必要がないことを 知ってもらえたらと 思う

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