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マイナス思考からの脱却(2)

さて次は、寝ているだけではもう飽きてきて、少し、ご飯も味をわかって食べられるようになってきたとき。

このときが、実はいちばん、頭のなかで自分を悪く評価しやすいのだろうと、私は思っている。

少しくらい回復したところで、状況はほとんど変わっておらず、また、変えることもできない。

「やっぱりこのまま、ダメなんじゃないか」という思いが、グルグルし始めるのである。

長い時間、起きているからそうなるのだけれど、だんだん逆に、眠りづらくなったりもしてくる。

それで昼夜逆転して、暗い情報を探して、あとで余計に落ち込んだり、ね。

とにかく、まだ脳は正常には働いてくれていないから、

どんなにいろいろ考えても、悪いことしか、結果的に浮かんでこない。

結論はほとんど「私はダメだ」の方向へつながっていく。

このころって、たぶんね。

複雑骨折しました、まったく動けない状態ではなくなり、松葉杖でトイレくらいの距離なら

行ってもいいけれど、それも限界がありますよ、くらいの感じなんだと思う。

でも、身体じゃなく心の傷ゆえに、この「トイレくらいなら」の距離が、自分でわからないのだ。

気づいたら、出刃包丁で傷口を突き回して血だらけにしてる。あるいはギブスを半分、たたき壊してる。

……治らないよね、っていうか、悪化するよね、逆に。ばい菌が入って、傷口を化膿させたり、

新たな症状を招いてしまったりもするだろう。

よっぽどのことがない限り、急激には、治らないのだ。ゴメン、そこはたぶん、どうしようもない。

劇的な変化の可能性が、ないわけではないだろうけど。

たとえば鬱の原因になった人と、本当に心から理解し合って話し合えて、素晴らしい状態で和解できたとか、

何か本当に、今後の自分と周囲の両方が大きく変わっていくくらいの、そういう出来事が起きない限り、

劇的な変化は起こせないだろうと思う。

一瞬そう思えても、反動であとからまたひどく落ち込んだり、右往左往も激しいことだろう。

右往左往するのだって、抜け出したいからだもの、本当は。

こんな自分のままでいるの、イヤだもの。

それはたぶん、当たり前の反応だろうとは思う。

でもね、でもね、でも!

せっかく芽生えた双葉を、「成長するの遅いよ!」と引っこ抜いても、それ以上、育たないよね。

悪いことしか思いつかないときに、わざわざ思考をグルグルさせるのは、たぶん、それと同じなのだ。

芽生えたものにきちんと水と栄養を与え、逆にやり過ぎることもないようにし、日の光に当てて。

あとは、育つのを待つしかないのだ。

芽生えたものに、与える栄養と水、光。これが、食べものと、「心地いいもの」だ。

おいしいご飯を食べないと、脳の働きが、よくなってはいかない。

カフェインの摂りすぎは、あとで落ち込みをもたらすし、身体を冷やすような水っぽい野菜は、

夏でもない限り、血の巡りを却って悪くする。トマト、ナス、キュウリなんかは、その代表格。

消化が悪いときに繊維の多い野菜を食べると、繊維質を砕くために胃のほうへ血流が巡り、

脳の血行が悪くなる。中国の人が「医食同源」と言ったのには、ちゃんと理由があるのだ。

なるべく栄養バランスを考えて、消化の良いものを中心に、少なめに食べる。

温かいものを摂って、身体を冷やさないようにする。

刺激の強いもの、甘いものは、なるべく控えめにする。

お酒も、あとで気持ちが落ち込むから、できればやめるか、少量に。

その状態から早く抜け出したいのなら、自分の脳を栄養面で助けてあげること。

そして心地よく感じるものを、罪悪感なしで楽しむ。

ゲームやテレビなど「自分のペースではなく、巻き込まれる」要素の部分が多いものは、

長時間味わうのは勧めない。「ムダな時間を過ごした」と、あとになって思いがちだからだ。

Web検索も少し、同じような傾向にあるものだと思う。

情報がありすぎてキリがないし、良いものも悪いものも混ざってるからだ。それなのに

どこかに答えが見つかりそうで、それを万が一、見落としてしまうのがイヤで、やめられなくなる。

気が向いたら味わえて、自分でいつでもストップできるもの。

音楽鑑賞(ロックは昂揚したあと、逆に落ち込みやすいかもしれない……)。読書。

落語などの、時間が短めのお笑い。自然系の美しいDVDや音源。悲しく&激しくない映画。

お寺などで座禅や瞑想をしたことがあるなら、それもまた「考える時間を減らす」ことにはなるかもしれない。

ただし慣れるまで、悪い結論の思考がグルグルしちゃうことはあるだろうから、無理はしない。

あとは、「遊び」として時間に関係なく、お風呂に入る。

物理的に身体を温めるのは、緊張した身体の力を抜くことができるので効果が高い。

湯冷めしないように気をつければ、サッパリした気分を持続できる。

湯あたりに気をつけつつ、ゆっくり、お湯につかろう。半身浴であれば、長時間でも負担が少ない。

もし散歩に出られるのであれば、天気のいい午前中か夕暮れ前、お日さまの光が

優しくて明るい時間帯に、近場へ(近いことは疲れないために大切)自然を味わいに出かける。

土、樹木、花、水の流れ、香り、風の感触、光、鳥の声、葉ずれの音。

アスファルトの道路沿いではなく、五感を使って感じることができる、なるべく静かな場所を歩いてみる。

あるいはそこで、ただぼんやりと、休憩してみる。

いろいろ考え出したら、(考え出すのだけれど、これがもう、ね)、とにかく単純にやめる。

考えることを、どこかに置き忘れる。出てくる答えは「絶対に正解ではない」ことを、肝に銘じる。

複雑骨折が決して一生続くわけではないのに、このころは「一生だ」としか、思えないから。

「気持ちいいな、心地いいな、気分がいいな」の時間を、できるだけ増やす。

……たぶんだけど。私の経験からの想像だけど。これって、あらゆる手段を使って、

自分が「人という生きもの」であること、自然の中のひとつの存在であることを、

全身で感じて、軽く楽しんでみること、なんだと思う。

笑うことも、感動して泣くことも、それを心に優しい形で感じられる方法だと思える。

とにかく心地よく楽しめることが、この時期には、一番一番、大切なのだと。

この間に、もし家族から責められても、「もう少し待って」と心からわびて、あとは、ゴメン、放置しよう。

それでいい。ただ単純に、脇によけてしまうこと。自分の感覚を、自分が一番、大事にしてあげよう。

責められ続けてつらい状態になったら、病院などで話して、他の人から説得してもらおう。

複雑骨折を「いつ治るのよ!」と責められても、治癒は早くはならない。逆に悪化させるだろう。

芽が出ても、そこに毒をまくようなものだ。

キリがないなら、逃げ出してしまうくらいでいい。責任はいつか、あとからまとめてフォローすればいい。

フォローは必ずできる。ただし今は脳が正常じゃない。まともにちゃんと、できるはずがない。

そして脳が一番正常でないのは、まさに今、この時期なのだ。

それはもう、本当に「骨折に向かって」責めるようなものだ。骨が弱ければ、治ってから鍛えていけばいい。

今は、脳にいろいろな栄養素を届け、心地よさを感じる時間を増やすことだけを、考えよう。

考えるのは、そこだけでいいのだ。

あと、何度も言うが、涙もまた心を楽にするので、絶対に我慢しないで、飽きるまで泣くこと。

これらはすべて、治療行為である。

意識しないと、上手に長くは続けられない。難しいのは、十分、わかっている。

でも、それでも、ぜひやってほしい。これは絶対に絶対に、「逃げ」ではなく、

私の感覚で言えば「治癒への最短距離の疾走」でさえある。

明日以降も脱却について、もう少し話を続けてみようと思う。

マイナス思考からの脱却(1)

連休は、これからの自分を考える時間に費やした。

私自身、まだ完全に安定しているわけではない。

でも、いろいろとやっていきたい方向は定まった。

あとは、行動していくだけである。

無理のない範囲で、でもじっくり、しっかりと。

そこは「無茶をしない程度に動ける自分」を信じていこうと思う。

元気は、伝染する。自分が元気でいれば、接する人の気持ちも明るくなる。

それはさらに他の人を明るくすることになる。回り回って、被災地の方にも届く。

だから今は、私は「1日ずつ」を自分の単位にしていく。

元気に、明るい気持ちになれることを1つでも見つけ、楽しむ生活を送っていくつもりだ。

いろいろ考えていく中で、自分の中にまだ残っていたマイナス思考や、

私がよく陥ってしまう「悪循環パターンの考え方」などが見つかった。

これが災いして、立ち直りが遅くなったかもな、と思えたこともいくつかあったので、

記憶も掘り起こしながら、私が経験してきた「マイナス思考からの脱却」について、しばらく語っていこうと思う。

何よりまず、一番大きな大前提。

どんな事情で死にたくなっていようとも、どんな状態で苦しんでいても。

あなたは「生まれた」というその事実だけで、生きていていい存在である。

あなたは「生まれることを望まれたから」(それが偶然であっても、たとえ母親の私利私欲からであっても)、

今、ここで生きて、息をしているのである。

平均で十月十日(とつきとおか、つまり40週間ほど)、早い人でも約半年の間、

母親があなたを「お腹の中」で育てない限り、あなたは生まれなかった。

素直に考えてほしい。あらゆるホルモンバランスの変化、体調の変化、羊水とあなたの重さ、

その間中、身体の自由がさまざまに制限されることも、自分の命が危険になる可能性も、

生まれてくるときの痛みも承知のうえで、あなたが「生まれてきていい」と思った人がいるから、

あなたは今、一人の人間として存在している。

その事実だけでもう、あなたは“最後まで”生きてていいのだ。

その後の事情がどう変わろうとも、最初の段階で生を受けたという事実だけで、生きていい存在である。

すぐには理解できない人もいるだろうけれど、これをとりあえず、頭に置いておいてほしい。

私は「生まれた人は、普通にお迎えが来る日まで生きてていい」という前提で語っていく。

ではまず、重病の人向けに、私の経験談から。

私が死にたかったときは、本当に毎日、まったくといっていいほど動けなかった。

身体が重い病気にかかったときと、ほぼ同じ状態である。

最初はとくに眠かった。単純に起きていられないので寝る。

夜になってやっと少し起き上がり、食べものを調達しに外へ行ける。

朝日は見たくない、元気になるとは思えない。

日中の日の光もいや。夕暮れのオレンジ色だけ、ちょっとホッとする。

夜中にかけて、インターネットの死にまつわるサイトを、主にウロウロする。

気が向いたときに少しだけ、「生きるとは何か」を検索してみる。

正直、この状態のときは、できることは少ないのではないかと思う。

「飽きた」と心の底から思えるまで、病院など可能な緊急対策だけをして、あとは寝よう。

極力、難しいことは何も考えず、この先のことも考えず、

ただシンプルに、時間を過ごしていくほうがいいのだと思える。

なぜなら、脳がまともに動いてくれないからだ。絶対に、脳はヘンな状態になっている。

何をしても楽しくないし、何を考えても、いいことは思いつかない。

心が複雑骨折を起こした直後で、固定されてじっとしているしかない状態である。

それが3日で済む人もいれば、1年、それ以上かかる人もいると思う。

もともとの傷の重症度と、あなたの「傷口をほじくり返す思考、グサグサと傷口を刃物で刺す思考」が、

どれくらい少なくて済むか。それによって、期間は変わるだろう。

私のような「ネットで死の情報探し」もたぶん本当は、傷をほじくり返す行為であったと、自分では思う。

誰かの不幸自慢と自分の不幸を比較しても、意味がないのだ、本当は。

みんな実は苦しい、自分だけじゃない、という事実の確認程度に、とどめておくといいのだと思う。

重体患者は、自分が重体であることを、ちゃんと理解しよう。

本当の意味で「飽きる」まで、じっと休んでいよう。

今は寝ることで単純に、思考する時間を減らそう。

これが第一番目、ギリギリの状態である場合の、脱却方法である。

今の状況は見ないことにして、ただ眠ることも、とても大切な自分の治療なのだ。

つづきは明日。

苦しかったときのこと(8)

仕事で、社内の人が大勢、彼と関わっていたため、

会社中が騒然となった。

泣き崩れる人がいて、言葉を失う人もいた。

私はもう、どうしていいか、わからなかった。

またもや、仲間を失ってしまったという悲しみ。

自死という選択が、どんな結果を生むか、

それを目の前で見せられていることに対する動揺。

何より、彼自身の口から、死という言葉を聞いていたのに、

もしかして、一番近い位置にいたかもしれないのに、

何も知らず、何もできなかった自分を責めた。

自分のことで精一杯で、彼のことを気にかけてなかった。

彼の苦しみを、一番わかってあげられたかもしれないのに、

私、自分のことしか、考えてなかった。

そんななかで、彼と仕事をよく組み、長年一緒にやってきた

女性の上司が、憔悴しきって言った。

「私、何もしてあげられなった。何も、できなかった」と。

彼女のことを、仮にAさんと呼ばせていただく。

Aさんは、私のことも、本当に親身になって助け、励ましてくれていた人だった。

そのときの私にとっては、Aさんの存在、彼女の気持ちが、ひとつの支えになっていた。

だからそれを聞いた瞬間、反射的に私はこう言い放った。

「でもAさん、私は生きてます。

私も同じ時期に鬱になって、同じようなことを考えました。

でも私は、Aさんのお蔭で、今、生きてるんですよ!」と。

そしてその直後、こう言った自分が、

「もう死ねない」ことに気づいた。

こんなにも苦しんでいるAさんを、これ以上傷つけたくない。

自死という行為がこんなにつらい気持ちを人に与えるなんて、知らなかった。

私でさえ、これほどのつらさ、悲しさ、重さをを感じてる……。

そう思ったら、もう、自死という選択肢は選べなかった。

あとに残ったのは「生きていてもいい理由を見つける」ことだけだった。

こうして、私は「生きる意味」のほうだけを模索し始めた。

なんとか生きてもいい、自分に対するその言い訳を、見つけたかったのだ。

この知人の死は、さらに尾を引く。

彼の死をきっかけとして、ある別の知人男性も、鬱になっていった。

彼もまた、仕事仲間であったが、2年後、自死を選んだのだ。

その人の場合は、ある意味、覚悟の上での選択だったと思う。

自死というものが、周囲に与える影響も自分でわかりつつ、

それでもなお、死を選んだのだから。

このときの悲しさと、自死の連鎖という事態は、私にとって決定的だった。

私の死をきっかけにして、こんな悲しい連鎖など、起こしたくない。絶対に。

最初に死を選んだ知人も、それよって誰かが死ぬことなど、

まったく考えていなかっただろう。

ましてや、親しい仕事仲間であった人が、

自責の念から鬱となり、やがて自死するなんて、思いもしなかったに違いない。

自死は、誰にどんな形で影響を及ぼすか、まったくわからないのだ。

そしてきっと、影響を受けるのは、自分にとって身近な存在の人。

よりによって自分の「味方である人」を苦しめることになる。

だったらもう、私は、自分からは絶対に死なない。死ねない。

この、鬱という心の苦しみは、生きていきながら、解決していくしかないのだ。

そう思った。

~この項 終わり~