マイナス思考からの脱却(1)

連休は、これからの自分を考える時間に費やした。

私自身、まだ完全に安定しているわけではない。

でも、いろいろとやっていきたい方向は定まった。

あとは、行動していくだけである。

無理のない範囲で、でもじっくり、しっかりと。

そこは「無茶をしない程度に動ける自分」を信じていこうと思う。

元気は、伝染する。自分が元気でいれば、接する人の気持ちも明るくなる。

それはさらに他の人を明るくすることになる。回り回って、被災地の方にも届く。

だから今は、私は「1日ずつ」を自分の単位にしていく。

元気に、明るい気持ちになれることを1つでも見つけ、楽しむ生活を送っていくつもりだ。

いろいろ考えていく中で、自分の中にまだ残っていたマイナス思考や、

私がよく陥ってしまう「悪循環パターンの考え方」などが見つかった。

これが災いして、立ち直りが遅くなったかもな、と思えたこともいくつかあったので、

記憶も掘り起こしながら、私が経験してきた「マイナス思考からの脱却」について、しばらく語っていこうと思う。

何よりまず、一番大きな大前提。

どんな事情で死にたくなっていようとも、どんな状態で苦しんでいても。

あなたは「生まれた」というその事実だけで、生きていていい存在である。

あなたは「生まれることを望まれたから」(それが偶然であっても、たとえ母親の私利私欲からであっても)、

今、ここで生きて、息をしているのである。

平均で十月十日(とつきとおか、つまり40週間ほど)、早い人でも約半年の間、

母親があなたを「お腹の中」で育てない限り、あなたは生まれなかった。

素直に考えてほしい。あらゆるホルモンバランスの変化、体調の変化、羊水とあなたの重さ、

その間中、身体の自由がさまざまに制限されることも、自分の命が危険になる可能性も、

生まれてくるときの痛みも承知のうえで、あなたが「生まれてきていい」と思った人がいるから、

あなたは今、一人の人間として存在している。

その事実だけでもう、あなたは“最後まで”生きてていいのだ。

その後の事情がどう変わろうとも、最初の段階で生を受けたという事実だけで、生きていい存在である。

すぐには理解できない人もいるだろうけれど、これをとりあえず、頭に置いておいてほしい。

私は「生まれた人は、普通にお迎えが来る日まで生きてていい」という前提で語っていく。

ではまず、重病の人向けに、私の経験談から。

私が死にたかったときは、本当に毎日、まったくといっていいほど動けなかった。

身体が重い病気にかかったときと、ほぼ同じ状態である。

最初はとくに眠かった。単純に起きていられないので寝る。

夜になってやっと少し起き上がり、食べものを調達しに外へ行ける。

朝日は見たくない、元気になるとは思えない。

日中の日の光もいや。夕暮れのオレンジ色だけ、ちょっとホッとする。

夜中にかけて、インターネットの死にまつわるサイトを、主にウロウロする。

気が向いたときに少しだけ、「生きるとは何か」を検索してみる。

正直、この状態のときは、できることは少ないのではないかと思う。

「飽きた」と心の底から思えるまで、病院など可能な緊急対策だけをして、あとは寝よう。

極力、難しいことは何も考えず、この先のことも考えず、

ただシンプルに、時間を過ごしていくほうがいいのだと思える。

なぜなら、脳がまともに動いてくれないからだ。絶対に、脳はヘンな状態になっている。

何をしても楽しくないし、何を考えても、いいことは思いつかない。

心が複雑骨折を起こした直後で、固定されてじっとしているしかない状態である。

それが3日で済む人もいれば、1年、それ以上かかる人もいると思う。

もともとの傷の重症度と、あなたの「傷口をほじくり返す思考、グサグサと傷口を刃物で刺す思考」が、

どれくらい少なくて済むか。それによって、期間は変わるだろう。

私のような「ネットで死の情報探し」もたぶん本当は、傷をほじくり返す行為であったと、自分では思う。

誰かの不幸自慢と自分の不幸を比較しても、意味がないのだ、本当は。

みんな実は苦しい、自分だけじゃない、という事実の確認程度に、とどめておくといいのだと思う。

重体患者は、自分が重体であることを、ちゃんと理解しよう。

本当の意味で「飽きる」まで、じっと休んでいよう。

今は寝ることで単純に、思考する時間を減らそう。

これが第一番目、ギリギリの状態である場合の、脱却方法である。

今の状況は見ないことにして、ただ眠ることも、とても大切な自分の治療なのだ。

つづきは明日。

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