カテゴリー別アーカイブ: 苦しみ

苦しかったときのこと(7)

時短で職場に復帰してみたら、ちょうど同じ時期に、

仕事先の知人が鬱病で仕事を休み、復帰したことを知った。

私とチームを組んで仕事をしたこともある男性だった。

たまたま機会があって、彼と一緒にランチを食べた。

短い時間しか働けないこと、鬱病という病のこと。

そうした話をしているときに、彼が言った。

「“死”という選択肢が、こんなに簡単に現れるなんて、

思ってもみなかったよ。

死ぬことって、意外に身近に来るもんなんだね」と。

まったくの同感だった。

「そうなんですよ、ホント、二択ですよね。

どっちかしかなくて、目の前に選択肢が現れて」

お互い、それについて驚いたということを、確かめ合った。

そして「鬱病って、そういうものなんだ~」と二人で納得した。

死ぬことをまだ選択肢として持っていた私は、その後、

時短で働きながら徐々に、「生きる意味」も探すようになった。

しばらくは死ねないと思っていたし、

死ぬのはやっぱり怖かったからだ。

うまく死ねなかったら、一生、不自由な身体で

後悔し続けるかもしれない。

植物人間になったら、それこそ家族に迷惑をかける。

だからさ、でも、こんな私でも、生きてていいのかな。

ちょっとだけ、働けるようになってる気もするから、

無理しないで、地味に生きていけるかな。無理かな。

安いアパートに住んで、慎ましく暮らせば、なんとか……。

ある意味、ワラにもすがる思いだった。

相変わらず、自殺の裏サイトなどで死ぬ機会や方法を探りつつ、

一方で、「生きていてもいい理由」を探し続けた。

そうして半年が過ぎようとしていた頃。

鬱病だったその知人の男性が、再発・再入院の末、自死を選んだのだった。

~つづく~

苦しかったときのこと(6)

このときに、やっと、自分で気づいた。

人が死ぬって、こういうことなんだ。

身内の葬儀のときとはまったく違う、重いつらさと悲しさが、

自分の中にはっきり、存在していた。

そして、側で一緒に泣いている仲間たちは、

自分と同じ思いを感じていた。

会えないなんて。もう二度と、会えないなんて、と。

……ああ、じゃあ、だめだ。今はちょっとまだ、死ねないや。

今、さらに私が死んじゃうと、

この仲間まで、おかしくなっちゃいそうで。

大切な人たちを、これ以上痛めつけてどうする。

私が今、死んだら、今度は彼女たちが鬱になるかもしれない。

自分がこの病気で、これほど苦しんでるのに、

大事な仲間を、同じ状態に陥れるかもしれない。

たとえ死ぬにしても、せめて、それだけは避けたい。

それだけは、私、人としてやっちゃだめだ。

もうちょっと、時期を待つしかない。

じゃあ、仕方ない、今は、とりあえず右に曲がろう。

どうせこの先また、すぐにT字路は現れるんだろうから、

そのときに「できるだけ迷惑をかけない死に方」を考えてみよう。

すぐに死ねないなら、しばらく生きるしかないのなら。

今のところは、1月から職場に復帰するしかないんだ。

こうして、「とりあえずしばらくは生きておく」ことにした。

復活できるとは、まったく思っていなかった。

自分の死が周囲に与えるダメージを、減らす方法を探してみなくちゃ。

そう考え、死という選択を単純に「中断」したのだ。

~つづく~

苦しかったときのこと(5)

そして、出口の曲がり角を選択する日は、唐突に訪れた。

12月中旬に入ってすぐ、1本の電話がかかってきたのだ。

友人の夫からだった。

彼は、友人が事故で急逝した、と告げた。

友人は、最初に入った会社の同期。

バブルの時代に、社会人としての楽しい時期を、

一緒に過ごした仲間だった。

大好きだった。ずっと、私の理解者でいてくれた人だった。

最近は彼女の子育てが忙しく、

会うことも、連絡を取る回数も、減ってはいた。

でも、子どもが幼稚園くらいになったら

またゆっくり過ごそうね、と、お互い了解し合っていた。

まさか、よりによってこんなときに、彼女が死ぬなんて。

頭が真っ白になり、翌日の通夜のことを聞くだけで精一杯だった。

仲間内で、彼女と一番仲が良かったのは私だったので、

夫だった人は、最初に私へ連絡をくれた。

それで、他の仲間たちには私から連絡することとなり、

数人に電話して用件だけ伝え、待ち合わせ場所を決めた。

通夜の日。

葬儀の会場に入るなり、目に飛び込んできたのは、

笑顔の彼女の遺影と、真っ白な菊の花の祭壇。

「あの彼女は、もういないのだ」

それは、もう「衝撃」でしかなかった。

ずっと、泣き続けた。どんなに泣いても、泣いても、泣いても、

涙は止まらなかった。

彼女には、二度と会えなくなったのだから。

~つづく~