時短で職場に復帰してみたら、ちょうど同じ時期に、
仕事先の知人が鬱病で仕事を休み、復帰したことを知った。
私とチームを組んで仕事をしたこともある男性だった。
たまたま機会があって、彼と一緒にランチを食べた。
短い時間しか働けないこと、鬱病という病のこと。
そうした話をしているときに、彼が言った。
「“死”という選択肢が、こんなに簡単に現れるなんて、
思ってもみなかったよ。
死ぬことって、意外に身近に来るもんなんだね」と。
まったくの同感だった。
「そうなんですよ、ホント、二択ですよね。
どっちかしかなくて、目の前に選択肢が現れて」
お互い、それについて驚いたということを、確かめ合った。
そして「鬱病って、そういうものなんだ~」と二人で納得した。
死ぬことをまだ選択肢として持っていた私は、その後、
時短で働きながら徐々に、「生きる意味」も探すようになった。
しばらくは死ねないと思っていたし、
死ぬのはやっぱり怖かったからだ。
うまく死ねなかったら、一生、不自由な身体で
後悔し続けるかもしれない。
植物人間になったら、それこそ家族に迷惑をかける。
だからさ、でも、こんな私でも、生きてていいのかな。
ちょっとだけ、働けるようになってる気もするから、
無理しないで、地味に生きていけるかな。無理かな。
安いアパートに住んで、慎ましく暮らせば、なんとか……。
ある意味、ワラにもすがる思いだった。
相変わらず、自殺の裏サイトなどで死ぬ機会や方法を探りつつ、
一方で、「生きていてもいい理由」を探し続けた。
そうして半年が過ぎようとしていた頃。
鬱病だったその知人の男性が、再発・再入院の末、自死を選んだのだった。
~つづく~