苦しかったときのこと(7)

時短で職場に復帰してみたら、ちょうど同じ時期に、

仕事先の知人が鬱病で仕事を休み、復帰したことを知った。

私とチームを組んで仕事をしたこともある男性だった。

たまたま機会があって、彼と一緒にランチを食べた。

短い時間しか働けないこと、鬱病という病のこと。

そうした話をしているときに、彼が言った。

「“死”という選択肢が、こんなに簡単に現れるなんて、

思ってもみなかったよ。

死ぬことって、意外に身近に来るもんなんだね」と。

まったくの同感だった。

「そうなんですよ、ホント、二択ですよね。

どっちかしかなくて、目の前に選択肢が現れて」

お互い、それについて驚いたということを、確かめ合った。

そして「鬱病って、そういうものなんだ~」と二人で納得した。

死ぬことをまだ選択肢として持っていた私は、その後、

時短で働きながら徐々に、「生きる意味」も探すようになった。

しばらくは死ねないと思っていたし、

死ぬのはやっぱり怖かったからだ。

うまく死ねなかったら、一生、不自由な身体で

後悔し続けるかもしれない。

植物人間になったら、それこそ家族に迷惑をかける。

だからさ、でも、こんな私でも、生きてていいのかな。

ちょっとだけ、働けるようになってる気もするから、

無理しないで、地味に生きていけるかな。無理かな。

安いアパートに住んで、慎ましく暮らせば、なんとか……。

ある意味、ワラにもすがる思いだった。

相変わらず、自殺の裏サイトなどで死ぬ機会や方法を探りつつ、

一方で、「生きていてもいい理由」を探し続けた。

そうして半年が過ぎようとしていた頃。

鬱病だったその知人の男性が、再発・再入院の末、自死を選んだのだった。

~つづく~

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