苦しかったときのこと(6)

このときに、やっと、自分で気づいた。

人が死ぬって、こういうことなんだ。

身内の葬儀のときとはまったく違う、重いつらさと悲しさが、

自分の中にはっきり、存在していた。

そして、側で一緒に泣いている仲間たちは、

自分と同じ思いを感じていた。

会えないなんて。もう二度と、会えないなんて、と。

……ああ、じゃあ、だめだ。今はちょっとまだ、死ねないや。

今、さらに私が死んじゃうと、

この仲間まで、おかしくなっちゃいそうで。

大切な人たちを、これ以上痛めつけてどうする。

私が今、死んだら、今度は彼女たちが鬱になるかもしれない。

自分がこの病気で、これほど苦しんでるのに、

大事な仲間を、同じ状態に陥れるかもしれない。

たとえ死ぬにしても、せめて、それだけは避けたい。

それだけは、私、人としてやっちゃだめだ。

もうちょっと、時期を待つしかない。

じゃあ、仕方ない、今は、とりあえず右に曲がろう。

どうせこの先また、すぐにT字路は現れるんだろうから、

そのときに「できるだけ迷惑をかけない死に方」を考えてみよう。

すぐに死ねないなら、しばらく生きるしかないのなら。

今のところは、1月から職場に復帰するしかないんだ。

こうして、「とりあえずしばらくは生きておく」ことにした。

復活できるとは、まったく思っていなかった。

自分の死が周囲に与えるダメージを、減らす方法を探してみなくちゃ。

そう考え、死という選択を単純に「中断」したのだ。

~つづく~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

code