カテゴリー別アーカイブ: 死と責任感

それでも がんばらないで

がんばろう という言葉を思い浮かべると 冷静さをなくす

気合いを入れて集中するのだと 自分に言い聞かせることになる

その気合いも集中も 無理な病気だからこそ

あなたは今 がんばれない のだ

なんとか こなさなくちゃいけないことが あるとする

では なんとかこなす だけでいい

気合いも入れず 集中もせず 平常心のまま 淡々と

ただ そのかわり なるべく心をこめて 丁寧にやる

決して 力んではいけない それを断言できるほど この病に「がんばる」は難しい

その結果が 成功 ではなかったとする 平凡なままだったとする それがどうしたというのだ

病気のあなたが 丁寧に 静かに 心をこめてできたなら それで十分だ

その結果が 失敗 と思えるものだったとする だって仕方ないじゃないか あなたは今 病の最中なのだ

その割り切りができないのは 恥をかきたくないから?

ダメなヤツと 認定されたくないから?

あなたが鬱だということを知らない人には 結局 がんばりが続かない人にしか 見えないのに?

がんばるときと ぼ~っとするときの差が 激しい人にしか 見えないのに?

そっちのほうが よほど「不思議な人」に思われて 恥ずかしくないだろうか?

それよりも 淡々と丁寧に 平凡でも作業する人のほうが ましだと思わないだろうか?

恥をかく ダメだと思われたくない そもそも それゆえに

あなたはこれまで 自分を追い込んできて いまやもう 嫌っているのではないか?

周囲の評価を気にするあまり 自分で自分をすでに 貶めてきたのではないか?

その気持ちを 厳しい人なら 見栄っ張り とさえ 評するだろう

ごめんね まさに私がそうだったから もしかしたらいまだに それは残っているかもしれないから

この件については はっきりと言います

いつも がんばりたがる人は それで苦しくなった人は

今日から がんばるのをあきらめてください あなたは今 がんばってはいけない状態です と

見栄を張るのをやめ 自分の状態を 取り繕うのをやめ 病を認め

がんばるかわりに 静かに丁寧に 心をこめて 行動し 人に接し

作業自体は やれると思える範囲のことだけにとどめて

少しくらいなら楽しめる そんな範囲のことだけに とどめて でも集中はしないで

それ以外は 自分の病を治すことのほうに 専念してください

この病を治すほうが 先なのです

病になろうとも 自分を偽り 他人もごまかし 取り繕って 生きていくことが 大切ではないのです

どうか どうか 割り切ってください

それが 自分の今の状態を 明るい方向へ変えていく 一番の 早道につながるのです

痛いほど それが怖い気持ちはわかるけれど

それでも私は 言います

どうか 今はがんばらないで と

死ぬときに得るもの

なんだかぶっそうなタイトルでごめんなさい。

自分が死を望んでいたときのことを思い出したので、書きたくなった。

私が求めていたのは「これ以上の苦しみが続かないこと」だった。

それは、今、冷静に考えれば、「死」という選択肢を選ばなくても得られるものだったが、

そのときの私は「鬱」という病のなかで思考回路が極端にせばまって、そういう方向しか

思いつかなかったのだ。

鬱という病がいかに、自分の思考を制限するか、その最中にいるときにはわからなかった。

ダメ、以外の言葉が、思いつかなかったのに、それを「異常」とは思わなかったのだから。

逃げたかった。「今の自分」を見ているのもイヤだった。

そう、ダメな部分しか見つからない自分をイヤだと思っていた。情けなくて、ある意味、憎んでた。

自分が自分を、世界で一番、嫌ってた。

そうやって自分で自分を追い詰め始めると、本当にキリがない。

24時間、待ったなし。目が覚めてから寝るまで、いつでもふと、始めてしまう。

しかも始めると、止まらないのだ。これから先の自分についていろいろなパターンを考え、

そのすべてが「無理」という結論になり、そんな情けない自分を責める。

……そして、逃れたい、と思って選ぶ自死という手段で、私は、こんな人生からの逃避を願い、

「平穏」と「安楽」を手に入れたいと思った。

でも、その後、未遂した方の本を何冊か読んで感じたのだが、

最後の瞬間、ほとんどの人が感じていたのは「絶望」だった。

社会や他人への絶望、ではない。

それを実行する自分を究極に「情けない」と感じ、ある意味、罵倒して否定する思いだ。

最後の最後に、自分が感じるものがそんな自己否定であることを、

私は悲しい、と思った。

結果として私自身は、実行する前に自死を思いとどまらざるを得なかったわけだが、

最後の最後が自分への絶望である、というその事実は、

私をさらに、思いとどまらせることになった。

そのころには、「自己否定が止まらない」理由は、病の症状だと、わかり始めていたからだ。

それならば、この病を、治すしかない、と。

一番下に落ちたからこそ、これ以上、落ちることも失うものもないからこそ、

立ち直るしかない、と思った。

……死を望む人には、救われない話になってしまてごめんなさい。

でも、それが事実であることは、伝えたかった。

平穏、は、自死を選んで死ぬときには、こない。

自然に死を迎えることになった人たちだけが得る可能性のある、境地であると。

命は ひとつ

あなたの命は あなた以外の 誰も持っていなくて

あなたも ひとつしか 持っていないから

私には それが とても貴重で大切なものだと 思える

人は生まれたら 自然にお迎えが来る日まで 細胞が勝手に「生きるように」設定されていて

だから 身体は 最後まで生きようとする

それをわざわざ 頭の中で言い訳をこしらえ 消そうとするから 混乱も生じてくる

自分自身が 生か死かを迷い

実際に死を選んだ知人もいて その事実を受け容れた以上

私にはもう 死を止める「資格」はないのだけれど

「絶対に 何が何でもダメ」と言い放つ自信も ないのだけれど

鬱という「病」によって 死に至ろうとする その過程は

もともとの設定に 逆行することになり

それだけでもう かなり苦しいことなので

できれば それ以外の方向も 知ってほしいと思える

今の瞬間 常に「死」だけが 選択肢ではないのだと

本当に あらゆる治療の努力も 人に話を聞いてもらうことも 自分を変えてみることも 全部試して

それこそたくさんの医者やカウンセラーからさえ サジを投げられるようなことにならない限り

あなたが その「病」を治し その思い込みを治す方法は 残されているのであり

わざわざ 自分にとってもっとも苦しい 死への道を  たどる必要もないのだと

この病気には 確かに波もあるし 自己卑下したくなる瞬間は 訪れやすい

でもそれはすべて「症状」であり あなたの頭の中が “生きようとするあまりに”ミスを犯すのだ

それほど 私たちは いったん生まれたら 生きる方向へ 導かれるのだ

少なくとも あなたの身体は お迎えが来た 最後の瞬間まで 生きるのだ

いつか自然に死ぬまで 生きるように設定されているからこそ その脳のミスが 苦しいのだ

その 脳のミスは 治していける

あなたが自分の自己卑下を いったん中断し

脳に 過ちを犯すほどの大きな負担をかける割合を 徐々に減らし

そのミスに至った 自分自身と周囲に対する受け止め方のポイントを 見つけていけばいい

原因が見つけられれば 対処もできる そうすれば 別の道もまた開くのだ

そのためにも 脳の負担をまず 減らすことを 自分で 覚えていこうとすることが 大切なのだ

ただもう イヤだから と そこにとどまって 同じ考え方のパターンを 繰り返す限り

あなたは ミスを見つけるのが 難しいままで ずっと囚われつづける

人に話したり 心のプロに相談したり 本を読んだり

気持ちを切り替えるチャンスは 探せばいくらでもあるのだ

どうか その ひとつしかない あなたの命を

頭のなかのミスによって どうでもいいようなものにせず

あなたの命が 大切な大切な 貴重なたったひとつであることを

もう一度 思い出してもらえればと願う

とんでもない言い方かもしれないが あえて言う

「死ぬのは一度きり」であり それこそ「いつでも自死は実行しうる」けれど

もし死の瞬間 後悔したとしても あなたは二度と それを取り戻せないのだ

だから あらゆる方法を 試してみてほしいと思う

ありとあらゆる方法を それこそ試し尽くしたあとなら 後悔も減ると思うから

何より 今あなたが思い込んでいる「もう 死しか選択がない」というのは

私には 本当は 嘘だと思えるから

あなたは そんな捨てたもんじゃない とても貴重で大切な人 なのだ