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折り合い。

いろんな人がいる。

いろんな苦しさがある。

その苦しさは、本人にしかわからない。

端からみたら、なあんだ、そんなこと、かもしれない。

でも、それにまつわることで

過去にとっても痛い目に合っていたら?

周りの人にはわからない苦しさの重なりで

本人には、とっても痛いのかもしれない。

いろんな苦しさがあって、抱えている人がたくさんいる。

それをなるべく苦しくない方向へと、

時が経つのを待ったりしながら

変えていきながら、生きているのだ。

少しでも、苦しくない受け止め方や考え方を探して。

でも、その方向へ移っていく間も、

苦しさの度合いが重く、大きいうちはまだまだつらいんだよね。

たとえ、出来事としてはもう、その渦中にいなくても。

過去の、終わったことだとしても。

苦しいよね、傷が深いほど、治りは遅くなりやすいから。

なかったことには、できないから。

それでもね。

あなたはほんの少しでも、それに耐えて生きてきたことで

何かが、その過去よりは、変わってる。

今、まさに渦中にある人でも、この先、変えていける。

お先は真っ暗なように見えて、そうではないのだ。

だって少なくとも、今日という日付の日が

一生に一度のことであるように、

あなたの毎日も、確実に、どこかが違っているから。

同じように思えても、まったく同じじゃないから。

だからね。あきらめないでほしい。

時間をかけることで、変わる場合は確かにあるから。

傷は、毎日少しずつ、過去のものになっていくから。

自分でだいじょうぶ、という日がやってくるまでは、

苦しい自分がいてもいいんだ、って、まずゆるしてあげよう。

あなたの苦しみは、あなたにしかわからない。

だからだいじょうぶ、と思える考え方や受け止め方、受け入れ方も

あなたが自分で探して、つかんでいくしかないんだけど。

探してる間は、やっぱり苦しいんだよ。

苦しいのは、当たり前だよね、って、

そんな自分を、まず真っ先に、ゆるして、受け入れてあげていいんだよ。

何かで無理やり、納得させるのではなく、

むやみやたらにのたうちまわっても答えが見つからないときは、

今は移行の期間なんだ、

いつか解決できる自分に出会うための準備期間なんだ、と、

肚をくくろう。

悩みながら、苦しみながら、みんな、答えを探してる。

たぶん、それが

折り合い

ってことだと思うんだ。

今はまだ、苦しいよね。

苦しい自分を、ゆるしてあげてね。

あなたが探し続けるのをあきらめない限り、

きっといつか

そうなんだ

と思える日がくるから。

ここから新たに始める、ということ(4)

私はそうした視点の切り替えを、30代後半になるまでできなかった。

姉は同じ両親に育てられても、若い頃から適度に「手を抜く」ことも知っていて、

その辺のバランス感覚は間違いなく、私より長けていると思う。

私のほうが、ずっとずっと不器用なのだ。

でも、それが私。

不器用なりに、間違った部分はあったけどがんばって、

がんばれていたときには、仕事も相当、楽しかった。

その経験は積むことができた。それは今でも心の財産にはなっている。

あとは、やり方を、生き方を、また学んでいけばいい。

ボッキリ折れたけど、その折れたところから、新たに。

折れるまで気づかなかったお馬鹿さんなんだから、うん、もう、それでいいや、と。

折れたからこそ、人の命の尊さを知った。

人の傷の痛みも、前より気遣えるようになったし、変に同情せず、いきなり説教もせず、

人というものを、見つめられるようになった。

私の場合は、折れるまで気づけなかったんだ。

折れた、学んだ。じゃあ、それを次から、生かしていこう。

同じまま、同じところに立ち止まって、親に縛られ、自分を卑下し続ける必要もない。

これは、ポジティブシンキングだろうか。

あるいは、開き直りだろうか。

どう解釈されても、かまわない。情けないヤツだと、人に笑われてもいい。

自分を追い詰めるよりは、よっぽどマシ。

人は生きていくうえで、何かしらの傷やゆがみ、「いびつさ」を、抱えていく。

私は、私自身を殺したくなるような受け止め方、考え方、やり方だけは、もうしないのだ。

周りの目のために、見栄のために生きる必要もない。

私は、バカな自分を、バカだなあ、って、かいぐりかいぐりして、生きていっていいのだ。

そういう自分を、ゆるしてあげて、いいのだと。

こうしてゆるみ始めた自分を、最近、人は「優しい」と言ってくれるようになった。

自分では、そう言われる理由が実はよくわかっていないのだけれど、

もしかしたらそれは、きっと、自分に優しくなれたからだろうと思う。

そういう副産物も生まれているのなら、よかったよかった。

あなたもまた、今、苦しんでいる最中であるのなら。

その苦しみはやがて、学びにすることができる。

なぜそんなことになったのか。なぜそんな目に遭ったのか。

それを見つめ直して、自分にとって「いいように解釈」してあげて、いいのである。

相手が何を思っていたのか。自分はどう受け止めていたから苦しかったのか。

そうした理由を、自分にとって優しい方向で、見つけてあげるのだ。

他人を恨む気持ちも、恨む自分を卑下する気持ちも、

状況を嘆く気持ちも、失敗した自分を後悔する気持ちも。

あらためて見つめ直せるときがきたタイミングで、タマネギの薄皮をむくみたいに少しずつ、

見つめ直していけばいい。

解釈だって、何度でも、変わっていっていいのだ。

かの本村氏も「死刑はそれを宣告されることによって、自分の犯した罪を見直し、悔い改め、

限られた時間を生き直すきっかけとなる」と思うようになった。

その解釈にはすでに、「恨み」ではないものが、含まれている。

苦悩は、そうやって使えれば、決してムダにはならないのだ。

それにたどり着くまで、時間がかかってもかまわない。

時間がかかったことにより、また別の学びや視点が加わり、得られるものがあるから。

あなたは、気づいたときから新たに、自分を解釈し直していけばいい。

いつであっても、遅くはない。気づいたそのときから新たに、やり直していけばいいのである。

たとえそれが晩年の、死の間際であったとしても、本当はかまわないのだ。

ただ、ゆるゆると楽に、幸せに生きられる時間が長いほうがいいとは思えるので、

願わくはそのようなときが、あなたに合ったタイミングで、なるべく早く、訪れますように。

ここから新たに始める、ということ(3)

さて、では自分の例を語ってみよう。

私は自分で自分を壊すまで、「がんばらなくては私の価値がない」という思いにとらわれ続けてきた。

そういうふうに言葉で意識したわけではない。それが当たり前の感覚で生きていた。

そしてそれは、「親から渡された価値観」の強化版、だった。

うちの母のことを話す。

母は、とにかく家族が大事な人だった。自分よりも家族が大事。

家族が健康に、仲良く暮らせることが生き甲斐。

それは見方を変えれば「家族という存在があることによって、自分の存在意義を見出す」やり方だ。

他者が、自分の「幸せの源」であり、「自分の存在意義のよりどころ」だったのだ。

また、他者が「なりたかった自分」の理想に近づいてくれることが、ひとつの「幸せの目安」だった。

このことに子どもの頃は当然、気づいていなかった。違和感を感じたのは、大学を出て就職しようと思ったとき。

私は実家を離れて就職することを選んだ。実家の周辺には、やりたい分野の仕事の就職先がなかったから。

このとき母は反対した。かなり強く、反対した。

そのため、私は遠く離れた地域での就職活動の費用を全額自費でまかなうことになり

(説得して自分の金でやるんだったら、という許可が出たので)、そのためにバイトした。

なぜ、子どもがやりたいことに挑戦するのを、妨げるのだろう?

勉強もがんばって、その仕事に就ける可能性のある大学にも入った。その頃から、

編集者になって本や雑誌を作りたいんだ、と話していた。なのになぜ? と。

そのときはそう思っただけだったが、あとから思えば「家族という形態がなくなること」、

「子どもが自分の目の届かないところへ独立してしまうこと」が、つらかったんだと思うようになった。

家族がいなければ、自分の存在の意味、自分の価値がない、という人だから。

書き方として厳しいと思うが、確かに母には、そういう部分があったように思う。

さて、それとは別に、うちの両親は「がんばってコツコツと積み上げて達成することが、

人の道である」と子どもに教えてきた。がんばらずに手を抜けば、必ず怒られた。

それは「がんばる余地や可能性があるのに、なぜムダにするんだ」という意味合いも含んでいた。

ここにもまた、親の価値観が表れる。私の両親は戦争末期、また戦後の時代に幼少期を過ごした。

どんなに願っても、そもそも「自分のためにがんばること」が許されなかった時代の人だ。

家族のため、みんなのため。本当はそれぞれ、もっと勉強したかったらしい。やりたいこともあったらしい。

でも、そんな「自分の夢」は犠牲にするしかなかった。

みんなで生きていくため、という視点から、暮らしていくしかなかった

(母の「存在意義の感覚」は、こういう点からも養われていったと、今の私は推測している)。

つまり、がんばるのが当たり前の私が、母が嫌がったのに、その母を泣かせてまで、独立したわけである。

しかも、私の独立時期に他の出来事もいろいろ重なり、母は疲労と心労から持病を悪化させ、緊急入院した。

母をそこまで傷つけながら、私は「自分勝手に自分の夢を叶えるべく」スタートした、と、

私は最初から、捉えていたのだ。

そりゃ、がんばりますわな。

がんばって「故郷に錦を飾」らない限り、親に顔向けできませんわな。

こうした気持ちから、がんばる私に「拍車」がかかり、限界なんてものも、がんばって突破しようとして、

壊れたのである。だってそのときの私は、人生における幸せや成功を得るために、

ひたすらがんばる、努力する以外のやり方を、思いつかなかったわけだから。

親は、子どもの幸せを祈ってしつけをした。

そのなかには、自分自身の夢を、子どもに託す部分もあった。

そうして、がんばりすぎる私が生まれた。

親は、私を鬱にするために、そんなしつけを施したわけではないのである。

私に幸せになってもらいたかったはずである。

でもそこに私自身が「親を不幸にしてまで」というプレッシャーを、加えたのだ。

母が泣いたから。母が倒れたから。父もそのために、看病その他、大変になったから。

親の価値観に対するこの解釈が、事実かどうかはわからない。母に確かめたこともない。

なぜならこんな話をした途端、『家族大事』の母が「私のせいで見春が鬱になった」と考えることは、

“120%”間違いないからである。

そして本当に、そういう事実がもしあったにせよ、親が自分を大人になるまで育ててくれたことは間違いなく、

それが偏っていたからといって、親だけが悪いわけではない。

私が、「親の期待を裏切ること」を怖れるあまりに、極端に解釈した面もあったのだ。

そう思ったとき初めて、プレッシャーから逃れられるような気がした。

母を泣かせたこと、緊急入院させてしまったことは申し訳ない。

でも、私は母や父を満足させるために、母や父の夢の代わりを生きるのではない。

自分のために、生きていいのだ。そもそも、そのために、独立したんじゃないか、と。

「立派にやっていかなければならない」という呪縛も、壊れてキャリアを失った段階で、

どうしたって、母や父が望むレベルの「立派さ」にはもう届かない。

そこは、あきらめていいんだ、と。

……自分をののしり続けるのでなく、親を恨むのでもない捉え方。

そういう視点に変わっていったことが、おわかりいただけるだろうか。

私は「なぜ自分が今、こうなっているのか」を、自分で見つめ直し、新たに解釈したのだ。

そして、視点を切り替えていったのだ。

それが正しいかどうか、ではない。そんなことはどうでもいい。

そう思うことで、自分が楽になれたから、そうすることにした。

自分にとって優しいと思える方向へ、考え方を変えると決めたのだ。

つづく