さて、では自分の例を語ってみよう。
私は自分で自分を壊すまで、「がんばらなくては私の価値がない」という思いにとらわれ続けてきた。
そういうふうに言葉で意識したわけではない。それが当たり前の感覚で生きていた。
そしてそれは、「親から渡された価値観」の強化版、だった。
うちの母のことを話す。
母は、とにかく家族が大事な人だった。自分よりも家族が大事。
家族が健康に、仲良く暮らせることが生き甲斐。
それは見方を変えれば「家族という存在があることによって、自分の存在意義を見出す」やり方だ。
他者が、自分の「幸せの源」であり、「自分の存在意義のよりどころ」だったのだ。
また、他者が「なりたかった自分」の理想に近づいてくれることが、ひとつの「幸せの目安」だった。
このことに子どもの頃は当然、気づいていなかった。違和感を感じたのは、大学を出て就職しようと思ったとき。
私は実家を離れて就職することを選んだ。実家の周辺には、やりたい分野の仕事の就職先がなかったから。
このとき母は反対した。かなり強く、反対した。
そのため、私は遠く離れた地域での就職活動の費用を全額自費でまかなうことになり
(説得して自分の金でやるんだったら、という許可が出たので)、そのためにバイトした。
なぜ、子どもがやりたいことに挑戦するのを、妨げるのだろう?
勉強もがんばって、その仕事に就ける可能性のある大学にも入った。その頃から、
編集者になって本や雑誌を作りたいんだ、と話していた。なのになぜ? と。
そのときはそう思っただけだったが、あとから思えば「家族という形態がなくなること」、
「子どもが自分の目の届かないところへ独立してしまうこと」が、つらかったんだと思うようになった。
家族がいなければ、自分の存在の意味、自分の価値がない、という人だから。
書き方として厳しいと思うが、確かに母には、そういう部分があったように思う。
さて、それとは別に、うちの両親は「がんばってコツコツと積み上げて達成することが、
人の道である」と子どもに教えてきた。がんばらずに手を抜けば、必ず怒られた。
それは「がんばる余地や可能性があるのに、なぜムダにするんだ」という意味合いも含んでいた。
ここにもまた、親の価値観が表れる。私の両親は戦争末期、また戦後の時代に幼少期を過ごした。
どんなに願っても、そもそも「自分のためにがんばること」が許されなかった時代の人だ。
家族のため、みんなのため。本当はそれぞれ、もっと勉強したかったらしい。やりたいこともあったらしい。
でも、そんな「自分の夢」は犠牲にするしかなかった。
みんなで生きていくため、という視点から、暮らしていくしかなかった
(母の「存在意義の感覚」は、こういう点からも養われていったと、今の私は推測している)。
つまり、がんばるのが当たり前の私が、母が嫌がったのに、その母を泣かせてまで、独立したわけである。
しかも、私の独立時期に他の出来事もいろいろ重なり、母は疲労と心労から持病を悪化させ、緊急入院した。
母をそこまで傷つけながら、私は「自分勝手に自分の夢を叶えるべく」スタートした、と、
私は最初から、捉えていたのだ。
そりゃ、がんばりますわな。
がんばって「故郷に錦を飾」らない限り、親に顔向けできませんわな。
こうした気持ちから、がんばる私に「拍車」がかかり、限界なんてものも、がんばって突破しようとして、
壊れたのである。だってそのときの私は、人生における幸せや成功を得るために、
ひたすらがんばる、努力する以外のやり方を、思いつかなかったわけだから。
親は、子どもの幸せを祈ってしつけをした。
そのなかには、自分自身の夢を、子どもに託す部分もあった。
そうして、がんばりすぎる私が生まれた。
親は、私を鬱にするために、そんなしつけを施したわけではないのである。
私に幸せになってもらいたかったはずである。
でもそこに私自身が「親を不幸にしてまで」というプレッシャーを、加えたのだ。
母が泣いたから。母が倒れたから。父もそのために、看病その他、大変になったから。
親の価値観に対するこの解釈が、事実かどうかはわからない。母に確かめたこともない。
なぜならこんな話をした途端、『家族大事』の母が「私のせいで見春が鬱になった」と考えることは、
“120%”間違いないからである。
そして本当に、そういう事実がもしあったにせよ、親が自分を大人になるまで育ててくれたことは間違いなく、
それが偏っていたからといって、親だけが悪いわけではない。
私が、「親の期待を裏切ること」を怖れるあまりに、極端に解釈した面もあったのだ。
そう思ったとき初めて、プレッシャーから逃れられるような気がした。
母を泣かせたこと、緊急入院させてしまったことは申し訳ない。
でも、私は母や父を満足させるために、母や父の夢の代わりを生きるのではない。
自分のために、生きていいのだ。そもそも、そのために、独立したんじゃないか、と。
「立派にやっていかなければならない」という呪縛も、壊れてキャリアを失った段階で、
どうしたって、母や父が望むレベルの「立派さ」にはもう届かない。
そこは、あきらめていいんだ、と。
……自分をののしり続けるのでなく、親を恨むのでもない捉え方。
そういう視点に変わっていったことが、おわかりいただけるだろうか。
私は「なぜ自分が今、こうなっているのか」を、自分で見つめ直し、新たに解釈したのだ。
そして、視点を切り替えていったのだ。
それが正しいかどうか、ではない。そんなことはどうでもいい。
そう思うことで、自分が楽になれたから、そうすることにした。
自分にとって優しいと思える方向へ、考え方を変えると決めたのだ。
つづく