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過ぎ去る時間を怖がらない

鬱は心の病気だから、どれくらいの時間をかければ治るか、というたぐいのものではない。

しかも、自分の環境や考え方を変えていく必要もあるから、「完治○週間」という言葉も

医師から聞けるわけではない。

人によって、その治療過程は本当に千差万別なのだ。

普通の怪我や病気ではないからこそ、自宅で休んでいるだけの人、時短で働いている人などは、焦ると思う。

私も1回目の休職のときは絶望していたし、死ねなくなってから(!)2回目に休んだときも

もう、開き直るしかない、と思った。

動いてみれば一目瞭然で、動けない自分がはっきり、そこにいるんだもの。

焦り始めるというのは、自分にまた、負荷をかけることになるから、

たとえば骨折なら、医師に活動を止められている段階で勝手にリハビリを始めるようなもの。

スポーツの小説などでよく「自分の身体のことは自分がわかっている」などと言って

勝手にリハビリを始める人の話なんかも載っているけれど、過去の経験値で骨格や筋肉のことを

知り尽くしてでもいない限り、それをやったら骨は変形するか、治癒が遅くなるだろう。

頭でいろいろ考え続けてきて、これまで延々と自分で自分を追い詰めて、鬱という病にまでしたのに、

この先さらに、ヒマだから、不安だからと追い詰めて、何かいいことがあるのだろうか。

私には、そうは思えない。

もしやるとすれば、何が自分をそこまで追い詰めたのか、

これからどうすればそんなふうに追い詰めないですむのか、を探っていくことだけれど、

それだって、脳の調子次第ではプレッシャーになる。

起きている時間が長くなって、多少、家事などもこなせるようになって、

朝も起きられるようになって、ご飯もおいしく感じられるようになって、

単純にヒマだなと思える……そういう「普通」になってからのほうが、よほど効率もいいし、

学んだことを吸収もできるし、自分のためになる。

動けないときは、動かないほうがいいのだ。

動かないほうがいいから、動けなくなっているのだ。

脳という内臓の調子が狂っているのだから。

でも、責任感が強いとすぐ「このままではいけない」などと思ってしまう。

このままではいけないことは、この病気になった誰もが痛感することで、

あなただけが何か悪い、よろしくないわけではないのだ。

過ぎ去る時間は、骨がくっついて元の形に収まるのを待つように、必要な時間だ。

それを「必要」と割り切る強さも、今のあなたには求められているかもしれない。

自分にムダな負荷をかけない。

必要なときに必要なタイミングで、やっていけるようになるまで、

ご家族の小言やプレッシャーもあるかとは思うが、丁寧にお詫びでもして、圧力を放置しよう。

あなたは今、自分が幸せに生きるために、新しくなっていこうとしているのだから。

それを「ムダ」とはどうか、思わないでほしい。

自分を追い詰めないでいい考え方ややり方も、やがて、探れるようになるし、その答えは見つけられる。

答えは、よいタイミングであなたの前に現れるよう、今、きっと、あなたの中で準備中だから。

心と身体の自然な調整を、あなたの意志によって、妨げたり、邪魔したりしないでいいように、

今はどうか、割り切る強さを持ってほしいと願う。

ゆっくりと。

ゆっくりと ゆっくりと 過ごしてください

波が来たら 逆らわず なぜ どうしたらと 考えず

自分を 遠くから 眺めるようにして

今 波が来ていると ただそれだけを感じていてください

その波は 病によってもたらされたものであり

あなたが いけないから 悪いから やってくるのではないのです

自分を 波のど真ん中に置いて

責め 問いかけ 追い詰めるのではなく

海の波が 自然と起こり また引いていくように

ただ やりすごしていけば 症状は やがておさまります

そこで あがいても 本当に どうしようもないのです

咳と鼻水が 大量に出続けているときに

どうして私はこうなんだ と 責めるのと同じですから

波が 引いていく瞬間を 感じてください

泣いてもよく 寝てもよく ただ静かに あるがままに していることで

ふと気づくと 怒涛の苦しみが少し落ち着いて

大きくため息をつける自分がいることを 知ってください

何のために どうして人は生きているのか どんな目的があるのか

そんな 神様のようなことを 今の 働きの狂った脳みそで考えて

自分が納得できる答えなど 見つかるはずがないのです

それを 今のあなたが 考えてしまうこと自体

神様(がいるとすればですが)の立場で人のことを考えてしまうこと自体

あなたの脳みその働きが 狂ってしまっている証拠だということを どうか 知ってください

そんなところに答えを見つけなくても 生きていて いいのですから

あなたは今もなお 頭で 思考で 考えで 自分をなんとか コントロールしようとしているのです

でも その頭は今 悪いほうにしか ものごとを捉えられないのです

そんな頭で 答えも 解決策も 見つかるはずがないのです

だから どうしようもなくて 生きている意味がわからなくて 死にたくなるのです

生きている意味を知っている人は この世に誰も おりません

どうやったら 自分が 幸せに生きていけるかを 考えている人ならいます

その幸せが 自分だけにとって なのか

自分と家族だけにとって なのか

周囲の知人みんなが なのか

世界中が なのか

そんな組み合わせによって 人は 生きているのです

そういう ものなのです

だからあなたは 自分が病であることを知り

その病が 自分を暗くしていることを知り

その病が 周囲とうまくいかない原因をつくっていることを知り

ゆえにその病をまずは 治していけばいいのです 今はただ それだけでいいのです

上手にこなすことも うまく生きることも 周囲に見栄を張る必要もなく

あなたは 自分の病と その原因とを 探り 見つめ 治していけばいいのです

休めるのであれば 本当に 文字通り 休んでください 鬱という病に それは有効です

自分の力は極力 抜いてください

考えれば考えるほど ドツボにはまるので

ああ また暗い自分がいるなと ただ遠くから 眺めてください

そう 波という症状を 「やりすごす」しかないのです

どうしてもやることがあるなら 完成や成功や立派にやり遂げることは考えず

ただ 静かに丁寧に できる範囲だけで 臨んでください

そこで決して 見栄を張らず 無理をせず 人の役に必要以上に立とうとせず

ただ ただ 丁寧に こなしてください

だってあなたは 病人なのです

病人は 無理をしてはいけないのです

どうか その病を治すため

ゆっくりと ゆっくりと

今は自分を見つめて 原因を探してください

本当にただ それだけで いいのです

生きていくために 人は悩むのであって

作動が狂ってしまっている頭で 生きていけるかどうかを 悩む必要はないのです

生きているからこそ

生きているからこそ、笑ったり、泣いたり、悩んだりできて

解決できたり、できなかったり、できたらうれしくなったり、できなくてつらくなったり、

いい1日だったな、とか、平穏だったな、とか、今日のご飯はおいしかったな、と思える。

病で寝たきりで意識不明の人でも、「音」や「声」を聞いて、何かを感じている可能性はあるという。

生きているからこそ、自分がいろいろ、感じることができる。

感じるからこそ、なんとかしよう、とも思える。

落ち込んでもへこんでも、いい瞬間、というのはある日、ふとやってきたりして、

そんなときには心もなごむ。

それが可能なのは、生きているからこそ、なのだ。

当たり前のようでいて、つい、忘れていること。

生きているからこそ、苦しい、だけでは、決してないのだ、ということ。

ねえ、だからまずは、自分を、ゆるしていこう。

自分が息をしていることを、自分で、ゆるしていこう。

小さな第一歩。それで、いい。

あなたは毎瞬、息をしていて、まずはただ、それだけでいいのだ。

それだけで、自分の何かを変えていく可能性を、保てるのだ。