カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

鬱でも「やりたいこと」やっていいんだよ

今日はブログシェアです。

 

鬱でまともに働けない、動けない、

あるいは毎日、そんな自分を罵倒しているなら。

今こそ、

「自分に正直になる」

「自分に嘘をつく習慣をやめる」

その最大のチャンスです。

 

鬱だからこそ、

やりたいこと、の意味自体を、

捉え直す機会が生まれているのです。

今までの思考パターンとは違った

「ものの見方」を、自分で探していいよ、

という許可が、まさに今、

あなたの元に、届いています。

 

先ほど、私がFacebookに書いた文章とともに、

まず、こちらの記事を紹介します。

読んでみてください。

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映画を作って成功して
金持ち&有名人になりたい、と
業界に入ってくる若者。

そのことを、糸井重里さんと対談した人(誰だったかなあ)が
嘆いていたけれど、まさにこれ、
この下の記事のことだと思う。

私がブログでときどき書いている、
一人で勝手に視野狭くブチ切れるかの「お姉さん」も、
仕事ができるすごい人、という
『状態』がほしいのだろうな、と、改めて思えたよ。

その話を知っている人からは、
「『木元さんは仕事ができるように周りから思われている』と
そのお姉さんが解釈していて、
嫉妬してるのよ」というお言葉ももらったが、
もし、本当に 周囲がそう思ってくれているとしても
(そんなこと確認する気もないけど)、
20年以上キャリアが上で、
workaholicになるほどだった私と比較・対抗されてもなあ、
としか、正直、思えない。

なので相手にする気にもならんのだな、
こういう輩……と、たまには冷たく言い放っておこう(笑)

おかげさまで、勝手に張り合われても
スルーできてお気楽です(*^^*)

◎大石哲之さん
   『岩瀬さんにインターンを申し込んで、
 名刺整理をやらされブチ切れた学生の
 メンタリティをみて、本当にさいきんよく観察される
 典型的な意識の高い(笑)学生そのものだと思いましたので、
 もう一度その特徴を書いておきます。』
http://nomad-ken.com/4902

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記事を読んで、伝わるかな……。

やりたいこと、と、なりたい状態、の、発想の違い。

ネット宣伝で『ブログを読みに来いPR』してくる人たちも、

こういうズレを起こしている人、

本当に多いな、と思えるのです。

 

「じゃあ、やりたいことって何を指すんだよ!?」と

とまどったり、逆ギレ(笑)されそうな方には、

上記の記事を踏まえて説明してくださった

別の方の記事を、ご紹介しておきます。

 

こういうのを書いてくれる人に出会えるのって、

ネットならでは、です。

こういうことができるからこそ、ネットの世界でもそれが勝手に、

きちんと宣伝にもなって、人も集まってきます。

目的の違い、意図の違い、を知ってください。

 

自分軸を保ちながら、他者に貢献するってこういうこと。

私が儲かりたいんだから、協力してくれたっていいのに! という

自分軸どころか「自己中心的な井の蛙」とは、

真逆の方向を、説明してくださった方が向いておられることに、

気づいていただけますように。

 

そしてあなたにも、当然、あなただからできることがあります。

「本当の目的」がハッキリして初めて、

そのための手段も、思いつけるようになり、

徐々に試せるようになるのだということも、

どうか伝わりますように。

 

自分の前に道がないときは、

歩いたあとに、道を作っていいのだと、私は

本気で、信じています。

そのためにこそ、まず今は「自分を満たしてあげる、

ゆるめてあげる」ことに、専念してほしい。

回り道のように、今は思えても、

それがあとから「最短だった、自分には必要な時間だった」と、

わかる日が来ると思います。

 

◎秦由佳さん
『「◎◎◎」に急ぐ人はその合間のプロセスをないがしろにする。
やりたいことを見つける方法。』
http://amba.to/1mtP1hW

 

必要なことが、必要な人に届きますように。

 

2015_12_20

Photo by skeeze
Pixabay

 

そのときになって、わかること

今日は、詳細をぼかして書いていきます。

 

自分の、プライベートな部分で起こった出来事。

失恋とか、そういうことではありません(笑)

身内ではない人との関係について、ではあるけれど。

 

16~17年前の自分だったら、強烈に恐れて泣きわめいたかもしれない、

そういう種類の「ようなもの」がやってきた……たぶん。

 

その前触れ、ともいえる、とある『お知らせ』の到着。

 

まあ、その関係についてはね。

当時、すごく苦しんだけれど、

自分なりに、徐々に割り切っていけたことだったし、

やがて、鬱を経過したのちは、

はっきり、自分が変わったことは知っていた。

そこはもう、感覚的にも、つかんではいた。

 

が、やはり、一瞬、軽く動揺して「来たか……」とは思ったな。

そりゃそうか、そういう種類の話だから。

 

逆に言えば、その程度、ではあった。

いざ「それが来た」ら、そのとき自分はどうなるだろう、

なんて想像は、とくにしたことなかったけれど。

 

そうか、今、私は、こういうふうにその事実を

受け止める人になっていたか……。

 

たまたま、それを知ったのは、

睡魔に負けて昨夜9時半から寝始め、

目覚ましなしで目覚めた、今朝の5時半。

 

そのときの自分の感覚。

うーん、来たのかな、これ、どうやら。

まだ「そう」ではないかもしれないけど、でも、そうかも。

 

さて、どうしていこう。

確かめるタイミングは、年内なのか、年明けなのか。

年明け……か。

そのほうが感覚的に、自分の気持ちには、合う。

 

ショック? とかいう感じのものではないな。

これから先の、悲しい経験……の『始まりの知らせ』かもしれないけれど、

まあ、すでにある意味、覚悟はしていたからね、過去に。

 

自分がある決断をしたときから、それに対して覚悟はしよう、と決めた。

相手の人にも、そのことは伝えたし、そのとき、意図は通じたと思う。

 

ゆえにずっと、自分が静観し続けてこられたことでもあった。

 

いやでもね、本当に。

自分の想像や予想なんて、当てにならない部分、大きいね。

自分が捉えられる範囲の「予想」なんて、やっぱり枠が狭くて、

たかが知れているんだ。

そうなってみて……そのときになってみて、初めてわかるんだ……。

 

今回、自分で自覚できたこと。

私は、思っていた以上に、大きく変化していた。

昔は恐れていたことを、もはや恐れなくてよくなっていた。

 

悲しみのかけら(大きいかどうかもわからない)がこの先、

自分の内側にやってくるとしても、

私はそれを、どうやら、大切に扱えるわ……自分のために。

 

そのときが「現実」になって、わかった。

私はそれを、こういうふうに受け止め、感じ、咀嚼して、

次に、ではこうしよう、と、すんなり、決められた。

過去だったら、泣き叫んだかも知れない事態に対し、それができた。

 

うん、そういうふうに変われていた自分に対し、本気で安心できているな。

予想もしなかったことだけれど、

少なくともこのプロローグの時期における結論は

「私はそんな自分を、自分で誇りに思っていい」

だわ……。

驚いたけれど、それが自分のなかに浮かんでいる言葉だ。

 

そういうふうに土台から、積み直しを図ってこられたことを、

今、改めて、感謝したい。

まあ、泣くときは泣くだろうけれどさ、

願わくば、この気持ちを、最後まで貫けますように。

うん。私はもう、何があっても、私をいちばん大切にしていいのだから。

 

2015_12_11

Photo by Antranias
Pixabay

 

自分に対する緩急

休み足りないまま、動こうとしたら?

これはたとえば、メンテナンスしきれていない車を走らせたら? と同じ質問だよ。

機械部分は不調になるし、ガソリンは入れても漏れてしまう。

やがて、エンストを起こすよね。車そのものが、動かなくなる。

 

焦ってばっかり。自分を責めてばっかり。悪い予想ばっかり。

そんなあなたが、自分を「休ませてあげられない」のは、なぜだと思う?

疲れて、疲れ切って、

身体だけでなく気持ちまで力を失ってしまった自分を、

それでもまだちゃんと、メンテナンスできないのは、なぜだと思う?

 

それはあなたが、「自分を信じる」ということを、

まだまだ、練習できていないから。

きちんと練習せずに、

自分を走らせることだけ練習し続けるから。

 

疲労しても、それ以外の選択肢を

自分の感覚でつかむことがないままなの。

だから怖くて止まれないんだよ。

 

ねえ、なぜそこは、練習しないの?

なぜ誰かに与えてもらうことばかり、待つの?

緩急のバランスを取る練習まで、人にやってもらうの?

誰かに甘えて、やってもらえるまで、自分はただ、走りっぱなしにするの?

 

未来は、決まっていない。

未来は、あなたが、つくれる。

つくらなくてはいけないもの、ではなく、

本来ならばあなたが「楽しんでつくっていいもの」。

 

そして、

そうすることを「選択できる」のは、

自分自身しかいない。

 

ねえ。誰も、あなたの代わりに、

あなたを満たしまくって満たし続けてはくれないよ?

なぜ認めてもらうという形で、

誰かから自分を満たしてもらおうとばかりするの?

なぜ自分を休ませて満たしてあげることなく、

自分を罵倒したまま、

他者の承認だけを求めて、走り続けるの?

 

とても、とても、もったいないよ。

あなたは、自分を、イジメ続けているよ。

あなたが、自分を痛めつけるからこそ、

自分が穏やかな心地で過ごす時間を、自分で奪っているんだよ。

 

自分に「緩急」を許せないその理由のほうを、

きちんと捉えて、解放していくことが、

今のあなたにとっていちばん大切なことであると、私には思える。

 

緩急をつけてはいけない人生なんて、存在していないんだ。

「全速力で走り続けることだけが正解の人生」なんて発想、

もう、あなたには、必要ないんだよ。

 

いつか、そのことに、気づいてね。

怖くても「自分の心のゆるやかさ」、そんな余白を守る練習、してみてね。

「こんな自分を好きになれない、ゆるやかになるなんて、

私には許されない」、そんなことばかり想像する理由、

自分の奥にある『本当の理由』を、知っていってね。

 

その理由を知ることなくエンストしかけのまま、

大急ぎで走り続けようとするから、

いつも同じところで、ひたすらグルグル全力疾走。

あなたはその「自分を壊す道」から、離れられないんだよ……。

 

2015_12_06

Photo by Incygneia
Pixabay