カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

他者の役に立ちたいなら

自分が 他者の役に「も」立つ人間になりたいなら

まずは自分の役に立つ人間にならないと無理だよ

 

意味 わかるかな

自分のやったこと 自分の行いに 感謝できない人は

他人がやってくれたことにも感謝できないの 本当の意味では ね

 

誰かに対して こんな情けない自分を認めてくれてありがとう

そう思える日を 夢見ているのだと思うし

そう思うこと自体は 全然 悪いことではない

 

ただ それはしょっちゅう起こることではないよね

今のあなたの受け止め方のままでは ね

かなり「非日常的」な出来事だと 想像できるのだけれど 

実際 そうじゃないかな?

 

『私』が受け入れてもらえるのは

私がいる意味を 他者に「すでに」示したからであって

その結果として 今の環境があるのよ

 

あなたには 今 価値があるから あなたの家族なり 身の回りの社会なりと

『完璧に』断絶されないで 生きていられる

 

本当に本気で関係がダメになったら

その場所に いられないよ

家族でも 無理なものは無理 だから

 

例えば お金だけのつながり? ではお金が関わる前は?

あなたがお金を払っている立場なら いつでも 縁を切れるよね

あなたがたぶん「しがらみ」と呼んでいるものは

最初から100%そうだったわけではなくて

何かの縁があって その「あと」で しがらみ に変化していったはず

 

そしてその縁を今や「しがらみ」だと受け止めているのは あなただから

それが辛いなら 縁を遠くすればいい

 

これは お金をもらっている立場でも 実は同じで

もらえていること自体には 感謝したとしても

それを「しがらみ」と受け止めるのは

自分が選んでやっているの

 

生活できなくなる?

本当にそうかどうか 試してみた?

あらゆる努力をすべて試した結果として

その「しがらみ」があるから 生活保護 受けられませんって なった?

 

もらうものはもらいたい でも しがらみは断ち切りたい?

それをしたいのは 自分で稼げないと 決めているから だよね?

 

うつ病でも 稼いでいる人 いるけれど

そういうふうには したくないんだよね?

自分が望んでいることを

自分では 実現できないと 信じているんだよね?

あ 今は 信じているんだよね?

 

本当なら お前なんか ただのゴミだ とか言う相手に すがらなくてもいいし

あなたには 価値が「すでに」あるから

それを自分で信じるほうへ 変えていけばいいのだけれど

 

変えられない と 今は 決めているんだよね?

だから 苦しい中に とどまっているほうを

あなたが 選んでいる

 

人の役に「も」 立てる人間は

まず先に 自分の役に立てる人間だよ

そういう意味で それを「自信」と表現したい場合は

確かにそれって 自信の一種ではあるけれど

 

でもね それいわゆる世間一般の「自信」と違うんだ

「やった結果として生まれる」ものではないってこと

何かに成功したから 自分は役立つ! と理解できるわけではないのよ

 

何も成功しなくても いいの

 

自分が自分の役に立っている と思う気持ちは

生きているだけで「持っていいもの」なのよ

 

しかも100%役立つ 素晴らしい なんてことも 

目指したり 思ったりしなくていいの

というか逆にそっちのほうが めちゃくちゃ危険 超・独りよがりで

かえっていつか 孤立することにもなり得るから

それなりに 役にたってるんだな 程度に留めておいてほしい

 

混乱を招くこと 承知で 言うよ

他者に役立つ人間になりたいなら

自分がすでに自分の役に立っていることに 早く気づいてね

 

謎かけ問答のまま 今日は終わりにする

続きが書けないわけではないけれど

止めておきたいから そうする

 

2015_06_17

Photo by aundre larrow
ID:201501190500
GATAG フリー画像・写真素材集 4.0

 

追伸:小説でも学べるよ ということで

自分の気持ちを 大切にすると同時に

他者と気持ちを「確認しあう」こと

隠さないこと 

怖いものを 無視しないこと

 

それらがどれほど 大切かを

思い知らせてくれる話のご紹介

 

人のため と言いながら

結局 自分しか見ていなかったり

自分の世界があればいいと 内にこもったりする 

そのズレが 何を生むか が

デフォルメされて 描かれている

 

文体に賛否両論が あるとはいえ

20歳でこれを 書けた人 

その才能は 認めてもらえたらと思う

 

自分が何を つい ないがしろにしてしまっているのかを

女性にも 男性にも

考えてもらえる作品だと思えるので

メインブログのほうで お知らせしてみたくなった

 

自分を大切にすることって

他者と関わることって

気持ちを 感情を きちんと相手に伝えることって?

それらが 生み出すもの

それらの「欠如」が 生み出すもの を

感じてもらえたら 幸いです

 

恋愛ものとはいえ わりとサイコな作品なので

甘いゆるい系の小説がお好みの方には

向いていないかも

結末は 柔らかくて いいけれどね

 

例によって アフィリでないリンクにて……

 

2015_06_14_2

『ひとめあなたに…』
新井素子 著 創元SF文庫
¥862

 

自分の気持ちを 大切にすること

他者へ 気持ちを 伝えること

自分と 他者の 自由を どちらもゆるすこと

あきらめないでね いつか その「すごさ」 体感してね

 

 

単純に信じるかどうか だとしたら?

何も意図せず自然体であることって

実はとても 美しいのかもしれないよ

その証拠であるように思えることはたくさんあるけれど

たとえばこの写真を 見てほしい

 

一番最初の花は 誰かに形を整えてもらったわけでなく

自然にこの美しさを持っている

あえてリンクで紹介してみるよ

最後の水滴の美しさも 見てほしいな

 

◎ niwazekisho さん
「あ~っ・・」
http://ow.ly/3xVBOn

 

自分に自信を持つのってね

自分の自然な感覚を 信じてみることから始まって

その 自分の自然な感覚を信じてみようと思えるためには

そもそもそのとき 自分が何を感じているかを 

きちんと捉えることが 大切なのかも

 

他者の気持ちがどうだ とか

相手からどう思われるかという 採点結果ばかり見ていたら

自分がどう感じているかを 見逃していくってことにもなっているかもよ

 

他者の感覚や都合に 合わせることに

自分が必死になるからね

他者を読み取ることに夢中で

自分の感覚のほうは 結構 放置してるよ たぶんね

 

で 他者とうまくいかないときに初めて

自分や他者を責めて その否定の嫌な感覚だけを

毎回たっぷり味わうというサイクル

 

そりゃ自分のことも 嫌いになるよ

自分の感覚を 感じるときにはたいてい

自分を批判することになってるはずだもの

 

で たまたま他者から褒められたときは

有頂天な気分を味わえるから

他者に褒めてもらおうとばかりするのかも

 

そんなふうに

あなたが ふだんの自分の感覚を無視し続けるから

自分のこと 嫌いになるサイクルにはまって

自分を信じられず 自分に自信も持てなくなる

ふだんは他人が感じることばっかり 気にすることにもなるのだと思うよ

 

逆なのにね 本当は

 

心屋さんが強く言っているだけでなく

他の人もよくおっしゃっているように

自分を嫌うか 自分を好きでいるか

そのスタートは

『ただ そうしてみる』という根拠のないところから

始めてみるだけでいいのかもしれない

 

赤ちゃんには 自分好きも自分嫌いも その視点自体が存在しない

そして判断のもとになる他者は 当然

相手側のそのときどきの都合によって あなたのこと 悪くも良くも言うから

そのどちらかを その都度 自分が感じてみて 信じてみるかどうかを決めていく

 

あなたも 幼いときにはただ 自分を信じているところから 始まったの

それって何か ものすごい根拠や理由 あったと思える?

そこにいる 存在を いいとか悪いとか言うのは

「あとから」くっつけた 都合だよね?

 

ある いる というものは ただの事実

とある状態でしかない

それを いい悪い と評価するのは そのときの都合によって だよね?

 

すでに自然に 存在している自分を

いい悪いと言うのは 後天的に始めたことで

そっちを当たり前にするからこそ 

他者から悪く言われることもある自分を

信じるためには根拠や理由が 必要だわ と 

あとから 自分が思っていったんだよね?

 

いいと言える ほめてあげるための交換条件を 自分に課したの

わざわざ 自分に そんなものを出せと言い始めたのよ 自分でね

 

で 出さない間は私 自分を認めてあげないわよ って? 

命ある自然の存在を 良し悪しで判断できるっのて 神様みたいだね

それとも見張り役かな……自分で自分を見張って 何を得たいかな?

お母さんかお父さんがそうやって迫ってきた? 

あるいは兄弟姉妹が? 友だちが?

その真似っ子かな? 嫌われないように真似してみた?

自分を罰するとか疑うとか 最初は誰かに言われたから やってるのじゃない?

 

いつまで 他人の真似をして 自分を見張るのかな

あなた自身の自然な感覚や感情は どこに置き去りにしてきた?

置き去りにしたのに 幸せを感じたい 自分を好きになりたいとか

他人と一緒に外側から 見張ってやっていくの?

 

それでどうやって内側の自分が 幸せ 感じられるのだろうね

あなたは あなたの外側からしか 自分を見ていない

他人の振りして 他人の意見の真似を しているのに

 

自分が好きって 自分を信じるって

きっとそんな 大それた根拠が必要なことじゃないよ

結局はそこに戻って 捉え直してみるしかないのじゃないかな

 

外側の練習ばかり積み過ぎて 内側の自分がわからなくなってて

でも当然 あなたの感覚はあなたの内側にあって

だから延々 混乱したままなのじゃないかな

 

それは客観視でなくて 

『あなたが知ってる誰か』の意見 感性 言葉の鵜呑みだよ

本当は鵜呑みだけでなく 自己流の酷いめの解釈まで くっついてたりするけど

 

その 誰かの振りする真似っ子 いつまでも続けなくていいよ

自分は誰かの意見に従うだけの存在でなくてよいのだと

自分は 自分のものの見方を大切にしてもよくて

他者もまた その人自身のものの見方を大切にしていいのだと

そこを 知っていこうよ

 

違っていても 信じられる人がいて

ほとんど同じ感覚の人でも 合わない部分はあって

それは普通のことで あなたのせいでないのよ

 

あなたと誰かは 当たり前に違うの それだけなの

気に入らないあの人は あなたと感じることが違うから

もしかしたらあなたの知らないやり方で すごい進化をする可能性も

あったりするかもよ? 

そのとき 相手は間違っていて 自分の感覚はいいと 言い切れるかな?

その逆パターンが起こることも 想像できるんじゃないかな?

 

だから自分とはそもそも違う存在の 他者の意見だけを 鵜呑みにして 

そんなに必死に自分を見張って

すべてをコントロールするのって

自分を信じるために 必要なことではないと思えるよ……

 

違うのは 自然なこと

違いを ゆるしていいのだということ

あなたの美しさを開かせられるのは

あなた自身がすでに備えている力で できることで

他者とは違う 貴重な存在の あなたにしかできないことなのだということ

少しずつでいいから 知っていこうよ……

 

2015_06_02

Photo by Foto-Rabe
Pixabay