カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

○○が言ってたから……

だって○○も そう言ってたしね

この言葉を 会話の最初や最後に自分が使うとき

あるいは心の中で思うときには

自分自身に一度 問いかけてみてもいいと思う

 

『私は 本気で それに納得しているのか』ということを

 

伝聞であると 相手に伝えること

それは ときに 聞いた側の人に

「私本人は内容の責任 取りたくありません」

と 受け止められてしまうこともあるから

 

私は 誰かに言われた通りに 受け止め感じているだけで

それが私の本当の感覚であるかどうかは

私にも 実はわかっていません と

伝えているかもしれない

 

よく似た たとえでは

イジワルを言う子どもが

「みんなそう言ってるわよ」

と付け加えるようなもので

 

ではその みんな って誰だよ

直接 あなたと同じ意図で言ってるかどうか

自分で確認してみて もしそうなら

その人たちの意見も参考にしたいから 教えてよ

って 尋ねたら 実は

一人か二人 その子の意見に

深く考えず そうかもね って

同意しただけだったりするかもよ?

 

そして そう言葉を返されたイジワルな子ども本人は たいてい

「みんなって……だから『みんな』よ!」くらいの

説明しかできず しどろもどろになったりもするよね

それもまた 責任を取りたくない

そういう気持ちの 現れだったりするわけ

 

あるいはまた

たまたまね それを知ったきっかけが

本に書いてあった テレビで言っていた であって

さらに『ああ その通りだな』と 自分が感じて納得した

なので 自分がそう感じたってことを伝えるね

 

と 相手から言われるのと

 

本に書いてあったのだから

テレビで言っていたのだから

そうなのよ! 

 

と言われるのは 聞いた側が 

受け止める感じ ずいぶん違うよね?

 

前者は

「私が 知った内容を受け止めて

なるほど と 思い

同じ感覚を持っている人間であることを 自分自身で感じたから

それをあなたに 伝えるね」 だから

そう感じたのは自分自身であることが 相手には 伝わる

 

で 後者はね

「本 またはテレビが言っていたことを

私は信じるの 

だって 本やテレビで言うってことは

誰か偉い人が 言うという権威があるでしょう

あるいは 公共に出すのだから

ウソではないと いうことでしょう

だから あなたに 伝えるの」というような感覚であって

内容よりは 本やテレビというものの権威を信じているからだってことを

相手に 伝えているよね

 

じゃあその「中身」について 

あなたは「どう感じた」か?

その部分は 相手に届かないよね

 

こうなると

あなたの意見は どこに行ったの?

って 下手したら『虎の威を借る狐』みたいに

受け止められてしまうことだってあるし

あるいは あなたはテレビの 信奉者なの? 

テレビに言われたら 盲目的に信じてしまうの?

って 思われるかもしれない

 

あなたのほうも別に 知ったかぶりをして

知識を自慢したいわけではないよね?

だったら 自分自身がどう感じたかの部分は

挟んでいいんじゃない?

それを知ったのはたまたま○○がきっかけなだけであって

○○が言ってた『から』信じて 伝えるわけじゃないよね?

 

まあ 上司と 新人の間で板挟みになって

上司の意向を伝える役目を仕事として振られて

仕方なく「○○さんが言っていたのだけれど」であればさ

そういう『仲裁役の伝書鳩』を自分がやらされているだけで

これは自分の本意ではないよ と 新人にも伝わるかもしれないけれど

 

だいたい そういうときには「私は こう思うんだけれどね」っていう説明を

あなたもまた 挟みたくなるはず

 

たぶん「○○が言っていた」というこの表現は

そういう感じのときにのみ 使ったほうが

私はね 無難だと思えるのさ

 

あるいは本当に 紹介したくなったのなら

素直に 紹介するね って言えばいい

それがさも「正しい」かのようには 表現しなくていいのだと 思えるのだ

 

あとね バリエーションとして「○○がやっていたから」もあるよね

テレビか何かの宣伝文句でもないのだから 

そんな付加価値 つけなくても良くない?

 

いずれにせよ

あなた自身の感性を もっと大切にしてあげて

自分がなぜそう感じるのかも 自分のために つかんであげていいのだと

そうすれば 権威に黙って従うかのような表現は

使わなくても すむようになると思えるよ

 

今日はわざわざ 当たり前にも思えること書いてみたけれど

もちろんこれがテレビや本だけの話に限らないことが

どうぞ必要な方に 伝わりますように……

 

2015_05_19

Photo by Misha Dontsov
ID:201307140400
GATAG フリー画像・写真素材集 4.0

 

その あなたの 資質 を

あなたはとても思いやりがある

あなたはとても 真面目にものごとに取り組む

あなたはとても 親切になれる

 

あなたはきちんと 他者の思いに向きあおうとする

あなたはきちんと 人に謝ることができる

あなたはきちんと 約束ごとを守ろうとする

 

そうした素晴らしい資質は

他者の心を温かくするほうへ働き

それによって 自分の心もまた 温かくなる

そうした循環の とてもステキな要素なんだよ

 

逆に それらを持っていない人は 叱られやすかったり

持っていない人のほうが トラブルになりやすかったりもする

 

あなたはふだん その資質を

あまりにも『当たり前』のこととして軽く扱い

そんなことよりも『何かを成さねば』『得ねば』いけなくて

そうでなければ人として 間違っていると 決めつけているけれど

 

あるいはまた そのステキな資質を 何かを得るための交換物として

いとも簡単に 差し出すけれど

 

そのやり方から還ってくるものは

「もっと差し出せ」

あるいは

「え、出さないの? 出すことは あなたにとって当たり前なんでしょ?

何もったいぶってるの? それなら望みのもの あげないわよ」

という軽い扱いだったりする

 

それはね だって そうなるよ

あなた自身が軽く扱うからね 相手も軽く受け止める

あなた自身がそう思ってないときに差し出すから 相手は勘違いして扱う

計算で差し出すから 相手も損をしたくなくなる

 

そして 尽くしても尽くしても

あるいは 尽くせば尽くすほど

おかしな結果になっていくという 事態が生まれていく

 

ただの交換物として あなたが

心地よく感じないときにでも 差し出しているのだもの

あなたが自分の感じること無視して 差し出すのだもの

この資質 私が先に渡すわ だからあなたもまた 還してよ

って ときには相手に 押しつけようとするのだもの

 

それさ そんなことしなくてもいいんだよ

あなたが 怖いから差し出すのでなく

あなたが そうしたほうが心地よいときに

ただ 単純に使えばいいだけよ

 

相手から還って来ようが来まいが

あなたが「これで自分を喜ばせられる」と思うときに

そのステキな資質を ただ使うだけ

 

そうしたらね 受け止めたい人が受け止めて 同様に還してくれるときがあるの

そのときの自分の 心の温かさといったら!

とてもとても心地よくて 本気で良かった ありがとう って相手に思えるよ

 

おばあさんに座席を譲ったとき

そのおばあさんから 心のこもった美しい感謝を還してもらえたら

本気で 譲って良かった って思えて

心がその瞬間 ホワッとするよね?

そうやってお互いに 温かさが循環するよね?

 

あれを これからの基本形にできるよ

あなたがそういう使い方を しようと決めれば そのときからね

 

だってあなたはすでに 素晴らしいものを 備えているのだから

それを駆け引きに使わず 

自分の感情を喜ばせるために 使うだけ

相手を喜ばせるためにでなく 

自分を喜ばせるために 使えばいいんだよ

 

そのためにも『自分が』どう感じるか

もっと知っていってね 

今のように 無視ばかりしないでさ

 

感じたことを 駆け引きやおびえでうち消さず 

自分の気持ちに従うことのほうを 選ぶ練習 してみればいいと思えるよ

 

あなたが自分のステキな資質 自分で大切に扱えば扱うほど

受け止める相手もまた それを大切に受け止めて扱ってくれる

それは別に 出し惜しみでなく 自分を大切にして

自身自身を守るために 選ぶことなの

 

だからさ 怖がってばかりいないで 

やってみてね 心地よさを選ぶ練習

あなたは本当に ステキな資質を 持っているからこそ……

 

2015_05_17

Photo by ゆんフリー写真素材集

追伸:『美しき緑の星』今はここで観られます

https://vimeo.com/127996181

やる気がまったく出ない=心の目まい

もともと頑張りまくるタイプの人は、やる気が全然、出ないと罪悪感を持つ。

動けないときに、そんな自分をひどく罵倒するのだ。

そういう人の中には、熱が38℃を越えても動こうとするタイプの人もいる。

身体が傷んで弱っていることよりも

『そんな自分が許せない』気持ちのほうが強いから。

熱が出るのは、自分がダメな証拠だから、認めたくないのだ。

 

かく言う私も微熱なら動いていたけれど、

熱くらいでは自分を責めて動いてしまう、絶賛☆自己卑下中のあなた!

 

心が傷んで、痛んでいるときは、自分がよい視点を見失って

『目まい』を起こしていると考えたらどうなるかな?

目まいがしていても、まだ動こうとする?

安静、を勧める意味、わかる? 

心の目まいも身体の目まいと同じなんだよ?

 

だから、何かをしまくることでごまかすのも、

逆にというかさらにというか、ダラダラと自分を見ない振りするのも

やめていいと思えるよ。

目まい、ひどくなるよ。

まずはゆったりしてくつろがせてあげてね、自分を。

そして視点を、変えてみてね。

 

そのために、自分、ゆるめてあげてね。

 

2015_05_01

Photo by bykst
Pixabay