カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

「思考」は洗濯機に似ている

たとえ話の 2本め いきます

今日はそういう日なのかもしれない

 

自分の持っている服(知識や体験)を

ぐるぐる回して

不必要な汚れも落としていこう

次に役立つ ものにしたいから

 

でも思考ばっかり優先させたら

ずっと洗濯機を回し続けるだけ

考えすぎることって

思考ばっかり優先して 答えだけ探して 解決だけ得ようとして

洗濯機を回しているのみなんだと思う

 

なんとかしたい ぐるぐるぐる

なんとかしなくちゃ ぐるぐるぐる

なんともならない ぐるぐるぐる

で 不安ばっかり 受け取ってみたりさ

 

うん じゃあ

どれだけ洗濯機を増やして どれだけ回し続けたら それ 満足する?

途中で洗濯機が壊れないよう 頭突っ込んで確認する?

大切な思考だもの

しょっちゅう チェックしないとね 恐いもの 故障が 

壊れたら 違うやり方 しなくちゃいけないものね 

 

2015_01_22

Photo by Pixabay

でさ 結局 いつまでたっても同じやり方

いつまでたっても 思考回しっぱなしで

せっかくの服も やがてすり切れて 次に活かせなくなるんだ

 

いい加減 それ 干してみない?

お日さまや風にも 手伝ってもらってさ

ぽかぽかさせてあげようよ

爽やかな流れを 味わおうよ

 

次にそうやって干して それで初めて

使える衣服になるんだよ

いい加減干さなきゃ やがて疲れて思考やめたら カビちゃうしさ

思考できる自分を そこまで見せびらかさなくても

すでにあなたは十分 ホントは素晴らしいしさ

 

干すことは 感じることにもリンクしてる

あなたが 思考することだけでなく

自分の心地良さをも 大切にしたとき

初めて 次に役立つものに 変わるのかも

 

うん 心地良さだけになっても 干上がっちゃうよ 確かに

でもあなたは それだけでは絶対 我慢出来ず

必ず思考も使うだろうから 大丈夫

 

思考+心地良さ は きっと

思慮 にも 智恵 にも 配慮 にも 変わると思えるんだ

 

洗濯機も お日さまも 両方上手に使ってさ

次へつながるもの 役立つもの 自分で自分の内側に 作っていこうよ

 

何とかしよう だけにとらわれず

何ともならない云々 だけにとらわれず

自分が「心地良さ」を感じるかどうか 

それに従うこともまた 大切な指針にしてみない?

 

 

流す前の意思表示

自分に起こったイヤな出来事(他者から何か言われた、された、トラブル発生など)は、

私だからこそ、そう受け取った、という面も多分に含まれている。

 

たとえば、ある2人の人がいて、同じようなキツイ言葉を

他者から投げ掛けられたと仮定してみる。

2人とも、同じようにその言葉の表現に対して

「ひどいなぁ」という感情を抱いたとしても。

 

その「ひどさ」が自分の気持ちに突き刺さる度合いは、

人によって当然、違うのである。

 

ある人には、思い出すだけでもう、のたうち回るような苦しさとなり、

そこまで苦しいからこそ、相手を恨み、憎み、

さらにそうした、あとから湧く暗い感情によって、

自分を傷つけることとなる。

 

そもそも感情が動くことって、それだけでエネルギー、労力を使うのだ。

そして明るい感情より、暗い感情のほうが、

自分の疲弊度合いは強めになると思える。

なぜなら、そんな感情を思い浮かべる自分のこともまた、

イヤになったりするから。

相手+自分、どちらのことも「イヤ」と思うのだ。

 

一見、ヒドいことを考えてほくそ笑んでいるように見える人でも、

自分に対する「イヤさ」を見ないようにしているだけで、

それをイヤでないものとして、心から楽しめている人は

本当にまれだと思う。

 

憎んで、こんなふうに仕返しできたなら、と、想像だけでも

ほくそ笑めば笑むほど、あとで自分のほうに返ってくるもの

(実際の他者からのお返し、あるいは自分自身で

『私は何やってんだろう』と思う情けなさの感情)が

強くなっているように感じる。あ、これは私が知っている限りでは、ね。

 

暗い感情、黒い気持ちって疲れるもの、単純に。

だからこそ、自分や他者のせいにしたくなるわけだけど、

残念ながら、責めれば責めるほど、苦しさがネバネバと自分にまとわりつく。

そしてそこから抜け出すのも難しくなっていく……。

 

それさ。

相手をゆるすとか、そんな立派なお題目としてでなく

(もちろんその境地へたどり着けたら、より楽になれるし素晴らしいけど)、

単純に「自分のため」に、重たいままで延々、身にまとわりつかせることを

やめてもいいのじゃないか、と、思える。

 

ただ素直に、私がツライから、やめるのだ。

理由はその1点だけでいいのかもしれない。

 

そんなことしたら、相手が幸せになってしまうではないか! 

相手に、やった、ラッキー、くらいに思われ、簡単にこのヒドさツラさを

流させるなんてとんでもない! アイツはもっと苦しむべきだ!

そのために、私はこの恨みを忘れないのだ!

 

そう感じる場合があることも、もちろんわかってはいる。

恨みが骨の髄まで沁み渡るような、そんなヒドさを、

他者に平気で与える人も、確かにいるから。

 

でも、その少し前、その場所で、その相手から、それを受け止めることを

選んだのは、自分だったりもするのだ(これ、本当は親に対しても

言える話なのだが、説明を始めると宗教的な考え方にも踏み込むから今はやめる)。

 

普通に考えて、その相手に近づくことを選んだ、という意味で捉えても、

そもそもその環境を選んだのが自分、ということはわかってもらえると思う。

そこで起こった出来事や人間関係は、自分がその環境に身を置いたからこそ、

経験したこと、ではあるのだ。

 

じゃあそれを、恨みや苦しみやヒドさ、だけに変えるのではなく、

何かを自分が「得る」ための学びに、少しくらいは変えてもよくないかな?

他の人はどう感じるのだろう、と見渡してみたり、

あるいは勇気を出して、第三者に尋ねてみたり。

それに関する本などを探して読んでみたり。

そういう、違う角度から見渡してみる方法というのは、

決して悪い経験にはならないと思う。

少なくとも自分の苦しさで、のたうち回り続けるよりは、

気持ちが切り替えられたりするんじゃないだろうか。

 

そして、やっと表題の話にたどり着くんけだけど(笑)、

自分のために、のたうち回るのはやめよう、と思うときに、

その苦しさから距離を置く方法としてよく話されるのが、

手放す、流す、というやり方と、きちんと反論を表現する、というやり方だと思う。

 

うん、自分自身のためだけに、手放していいの。

こだわり続けるのがアホらしいから、バカバカしいから、

暗い気持ちに浸る、そんな時間をわざわざ「割いてあげる」のをやめる。

相手のことを思うとき、自分のエネルギーを、

相手に与えていることにもなるから、もう、

自分は相手にそんなものをあげない、と決める。

基本はそれでいいのだと、今の私には思えるわけです。

 

愛の反対は無関心だと、前にも書いたと思うけれど、

憎しみの反対も、もしかしたら無関心なのかもしれない。

あなたの大切な時間、大切なエネルギーを、

そんな感情に浸るために使ってあげる必要は、本当はないのだ。

 

で、どうしても、簡単には手放せないときは、その暗い黒い感情を、

何らかの形で吐き出そう。自分に対する黒さの感情ならとくに。

流すのも、吐き出すのも、ある種の練習が必要かもしれない。

今まで、そんなふうに自分の感情と向き合ったことがないなら、なおさら。

吐き出す相手は、その苦しさのもとになった張本人でなくていい。

周囲でそれを見ていた第三者、静かに話を聞いてくれる友達に話す、

あるいはそういう人を想像して、手紙を書く。

自分に対する手紙みたいな日記、でもいい。

大きい模造紙に、片っ端から、気持ちを書き並べてみてもいい。

思いつくまま、最初は罵詈雑言を書き出してみていいのだ。

 

心で思っていることを「見える、聞こえる形」にすることって

実はすごく大切な練習で、自分が今まで感じて来たこと、が、

他の記憶ともつながって、どんどん表層化していく

(だから意見を述べず静かに聞いてくれる友達は、すごく助けになるのだ)。

それがたとえば「そういえばいつも私は」というふうにつながり始めたら、

とても大きな、切り替えのチャンスが生まれる。

 

紙などに書いたり人に話して「いつも私は」と気づいていくやり方は、

心の中で「いつも私は」と繰り返し思うこととは違い、

まったく別の、新しい方向へ向かえる機会になりうるのだ。

 

書いているときにこの「いつも」が現れたら、あきらめずに、

その「いつも」の中身についても、書いたり話したりしてみよう。

するとそこに、自分の捉え方のパターンが見つかったりする。

 

私が最初に書いた「人によって受け止める度合いが違う」ことにも気づけたりする。

視覚化、音声化することで、なぜ違うのか、という別の見方を

引き出すきっかけにできるのだ。

 

私もつい最近、身内とポチポチ、メールでそれをやらせてもらい、

流せないからこそ、書いてみたことが

自分を落ち着かせるきっかけになった。

 

さらに、この記事の前に、実は2本くらい下書きを書いていて(笑)

身内とのメールを含め3日間くらいで、自分なりに気持ちがまとまったのだ。

あ、ちなみに私の感じたことは、恨み骨髄というほどではない、

ひどいなぁ、レベルの出来事と、それについての自分の気持ちね。

 

人によっては流せるんだなー、でも私は流せなかったな-、

流せなかった理由も、こんなところに見つかったなー、なるほど。

そんなところにたどり着いた。

問題解決、ではないけど、流していくための練習にはなった。

 

そして、伝えても相手に届かないとき、そういう時期のときには、

本当にこちらの思いって、見事にまったく届かんのだなー、というのが、今回の結論。

ま、これはお互いさまかもしれないしね(^^;)

そしていずれまた、問題は勃発するかもしれないが、

今回はもう、この辺でいいか、という感覚になれたよ。

この先、勃発するかどうかまで、今、予想して

さらに不安になっても仕方ないし。

先のことは誰にもわからないから、

自分のためにまず、やれることをやるしかないのだ。

 

そんな方向のエネルギー源に、今回は変えられて、

それはそれで『早くやれ』というハッパにも思えて、

軽く苦笑したのであった。

ま、そこに至る状況を作ったのは、確かに私ではあるわーσ(^◇^;) と。

 

長くなったけれど、すぐ流せないなら、

そんなふうに自分の感覚、感情を表明し、

つまりいったん自分で意思表示することで、

何か別のものに、自分のために、

変えていってもらえたらと願いますm(_ _)m

 

2015_01_07

Photo by フォトマテリアル

一気に解消できないなら、

あえて向き合い、ゆるゆる流し去る。

それもまた、よろし、なのです(^^)

 

 

自分の感じたことを ただ素直に

他人からの批判を

ものすごく恐れるがあまり

言いなりになってみたり

逆に 攻撃的になってみたり

 

そこにはね

本当は 他者に優しくしたいあなたが 潜んでるよ

 

怖いから そっと差し出してみたくて

そうしたいのに 相手が気づいてくれない

もしくは もっとたくさん差し出せと 言われる

 

それは 相手側の問題点を あなたが見つけているかもしれないってこと

相手もまた 相手なりに おびえているかもしれないってこと

 

横暴に振る舞うことで 自分の勝手だけで

自分の強さを示そうとする人もいるよね

あるいはこちらの反応を試すために

イヤなこと する人もいる

 

あのね その人もまた 弱っちいんだよ

愛される自信 ないんだよ

だからせめて 強さを示そうとする しかもそんなやり方でね

あなたとは 真逆の示し方ってだけなんだ

 

それを強いから怖い と こちらが捉えれば

相手はますますやめられなくなるの その示し方

 

弱っちい人の強がりを 怖がる必要は 本当はなくて

ただ 静かに 

私はそんな示され方 悲しいし イヤだ 

と言ってみていいんだよ

 

相手を非難するのでなく

相手のことをどう思うか でもなく

『私は』を主語にして こう感じる と

気持ちを述べてみて いいんだ

あなたはヒドイ ではなく

私はツライ そっちの方向でね

 

それを相手が どう受け止めるかは 相手側の問題だし

こちらも怖いのだから こう受け止めろ という強要はできないよね

っていうか そもそも強要する必要はないんだ 相手の問題だから

 

相手の問題を引っかぶって

こちらが相手を導いてあげる必要がないとも言える

どう受け止めるかは 相手の自由なんだ

 

そう だからあなたもまた 自由でいいんだよ

変な形で気を遣わなくて いいよ

それをするからこそ 相手がやめない やめたくなくなるってこと

実際に あるからね

 

失うのが怖いから 痛めつけられても我慢する

それを続けることのほうが よほど苦しいよ?

いつかわかってくれるかもれないけど

わかってくれないかもしれない

 

ならばあなたも おびえるだけでなく

相手の態度に関わらず

自分がそうしたいから 優しくするの

自分がそうしたいから こちらの感覚を言葉にしてみるの

ただ それでいいと思えるんだ

 

わかってくれなければ 残念 感覚が合わない ってだけの話

そのとき 離れておけば

もっと自分との感覚が合う人にも 早く出逢える

 

あなたは 優しいの

それを隠さなくてもいいし

それを無理やり アピールしなくてもいいの

相手に訴え こちらの思いやりをもっとわかってよ と

そういう形での 相手を変える努力でなくてさ

私は こんな意図でやったの

それをこう受け止められたように感じて 悲しい ってね

 

相手を導いて 相手を変えて

自分の気が済む方向へコントロールも しなくていいの

 

そんなことされたら 自分だって嫌でしょう?

示され 強要されること 嫌でしょう?

 

だったら お互いさまなのよ

やり方 示し方 示したい内容が

相手と自分では 違うだけなのよ

 

だからお互いに なぜわかってくれないの と

泣いたり 怒ったりするよりは

あなたはそうなのね 私はこうなの という差違を

あなたから ゆるしてあげていいんだ

相手のためでなく 自分が苦しまないためにね

 

私はそれを 怖いと感じるから

痛いから 受け止めない って

ただ 言っていいんだよ

 

誤解され こじれてから 離れるほうが

余計ややこしくなるしさ

もう 素直に表現していきなよ

まず 自分で自分をイジメないために

自分に嘘つくの やめなよ

 

自分に嘘をつくから

何がよいのか 何を判断すればいいのか

自分でも 判らなくなるんだよ?

 

あなたは 優しい

だからこそ あなたは 弱くて 怖がりだ

そういうあなたが いていいんだよ

 

2014_12_29

Photo by ぱくたそ

 

自分の優しさや弱さを 愛しいと思ってあげていいよ

実際 それは愛しむべき資質なのだから

 

相手を傷つけないとか

そんなことは 基本的にできるのだから

わざわざ視野に入れなくていいしさ

ただ これからは 自分のことも傷つけないように

自分の感じることを 自分で大切にしてあげる

そっちの練習を もっと積んでみると いいんじゃないかな……