カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

鬱、という病がもたらすもの

鬱病とは、脳みその作動が狂うことにより、

理由もなく落ち込み、勝手に気持ちが暗くなり、

そのために、起こる出来事をすべて悪い方向へ捉えがちになり、

よい出来事を「普通に楽しく」受け止められない、病気である。

だから、その状態で、自分がなぜちゃんとできないのか、

周囲はなんで、こんなに私を責めるのか、と思っても

まともに治せる思考や行動は取れない。

だって、脳みそが作動ミスしているからだ。

しかも、理由なく落ち込むときには、たいてい、

いやな過去の経験が一緒に思い出されたり、これから先の不安を思い浮かべる。

それでさらに、自分を責めたり、今、動けない不安を繰り返し思い、

つらい、苦しい気分を増長させるのだ。

しかもこの頭の作動ミスには波があるし、

場合によっては1日に何度でも、ささいなきっかけでも発生する。

病が深くなればなるほど、波は強くなり、

それをまともに受けとめれば自分を深く、自分で痛めつけ、

頭はさらに疲れ、身体も疲れ、気持ちは回復せず、

いろいろなことがうまくいかなくなる。

……まあ、それを延々、繰り返せば、最後には死にたくなる。

あなたが自死すれば、あなたを支えてくれている家族や仲間などの味方を、

あなたを助けられなかった、という絶対に動かしようのない事実により、

今のあなたと同じように苦しませ、場合によっては鬱病に追い込み、

あなたと同じように行き場のない苦しみの中にはめ込んで、

最悪の場合、後追い自殺させるけれど、あなたはそれを止めることすらできない。

だって、あなたはこの世からいなくなってるから。

私のためにそんなに苦しまないで、という声は、届かない。

家族ではない人同士の間にさえ起こった、この自死の連鎖を経験した私には、

こうした事実は、ただ、ただひどいことにしか思えなかった。

あなたの苦しみは、あなたが鬱という病であることを認め、

病ゆえに脳の作動がおかしくなって、自分で自分を追い込んでいるのだ、ということを認め、

何もできない自分を、病ゆえである、と許し、追い詰めるのをやめ、

治していこう、と決めることからしか、好転し始めない。

何ごとも上手にできない自分が今、実際にいることを許さない限り、治せない。

しかも、決めたらすぐ、数日で治るものではない。

これまでに自分を追い込んできた考え方や価値観を知り、

もう自分を追い込まなくてすむやり方や考え方を、練習していく必要があるのだ。

それはまさに、複雑骨折したあとのリハビリと同じようなもの。

思考パターンを変え、受け止め方を変え、

自分を痛めつけてきた自分の考え方のクセを、直していくのだ。

心と、頭のリハビリである。

心の痛みから何ごともうまくできなくなった子どもを、

なぜあなたはそんなにできないの、なぜなの、と

ずっと追い詰め続けて、事態が好転するはずがない。

殴り続け、傷つけ続けたら、その子の心の痛みは、やがて消えるだろうか。

いつか、ものごとを上手にできるようになるだろうか。

きっとますます萎縮し、周囲と自分を比べ、人間不信に陥るだけだろう。

あなたは今まさに、自分で自分に、それをやっているのだ。

役た立たずの自分はいらない、社会に必要ない、と決めつける人は、

ふだんからそういう人、例えば病気で入院生活を余儀なくされていたり、

先天的な障害を持つ人を、社会に必要ない人、と、さげすんでいたのだろうか?

そんなことはない、と思えるなら、同様にあなたは、

あなたが生きている、ということだけで、いていい存在、必要な存在である。

もし万が一……、残念ながらさげすんでいたのなら、

人には、自分の力だけではどうしようもないこともあるのだ、ということを、

学んでいく好機なのかもしれない。

生まれたからには、生きていい。

しかも、自分で立派な自分を演出したり、自信過剰になったり、

よい自分でい続けるんだと、見栄を張り続ける必要もない。

もし、他人に「立派に生きるべき! 成功しなくては意味がない!」と

説教したり叱ったりする人がいるなら、そういう人ほど、

自分ができなかったことを他人に投影し、自分ができない代わりに、

自分の助言によって相手が変わったのだ! 成功したのだ!

と、自己満足したいだけだったりする可能性もある。

勉強、立派、をとにかく一方的に押し付ける親もそうだし、

お金の怪しいアドバイスや、自殺の方法の示唆も、ま、自己満足のために相手を利用しているだけだ。

騙して気持ちいい! とか、言うことを聞かせいて気分がいい、とかね。

何をどう受け止めようとも、確かに自分が決めていい。

どう生きるかも、自分が選んでいくものだと思う。

でも、鬱という病について言えば、

判断そのものが脳の作動ミスで狂ってしまうのだから、

その病を治していくことが、あなたをかなりの苦しみから救うことに

つながるであろうことを、知ってもらいたい。

病であることを認めずに放置し、自分を責め続けても、

ひたすら苦しいだけ、悪化するだけなのだ……。

どうしていいかわからないからこそ、友人に気持ちを打ち明けたり、

カウンセリングや病院などのサポートを受けてほしい。

1人で、脳みそを誤作動させたまま、なぜだ、と苦しみ、<

自分を痛め続けないでほしい……と、心から願う。

身体の辛さは、ときに信号

なんだか体調がすぐれない。

原因はわからない。

そういうときは、身体から「無理してますよ」

という信号が出ていることがある。

物理的に、過労していなくても。

心が、無理してますよ、と。

私は、鬱になったときに、微熱が続いた。

どん底の時期を過ぎたあとも、いきなり低血圧体質になった。

それまでは血圧が、どちらかといえば高血圧寄りだったから、

いきなり下がって、慣れるまで大変だった。

今も続いているけど、慣れたし、開き直ったので(笑)

ある意味、あきらめがついている。

ワーカホリックになっていったときには

壊死性(えしせい)リンパ節炎という

非常にまれな病気で、やはり2ヵ月近く、

微熱が続き、首のリンパが一部、丸く膨らんで、今もそのまま。

まあ、私の場合は仕事に関係していることが多いので、

どうしても過労が関係しやすいのだけれど。

私の会社の先輩は、とある部署でとんでもない上司の下についたとき、

あるときから、しょっちゅう、寝違いを起こすようになった。

しかも必ず左側の首。

しばらくして、彼女は気づいた。上司の席は、彼女の席の左手にあった。

同じように、会社に来ると、身体の半分だけ、じんましんが出る人もいた。

これも、イジメられていた相手がいる席の側。

拒否の気持ちが、そのように現れたりするのだ。

なので、何か原因がわからない症状が出たときは、

肉体的に無理をしていないかどうかとともに、

心が無理をしていないかどうか、考えてみたほうがいい。

怒りをためると、本当にそれが爆発したときに、

頭の血管が比喩でなく切れるという。

自分に嘘をつき続けると、胸の病気や心臓の病気につながるという話もある。

心配ごとがあると、夜、眠れなくなるし、

ストレスで胃をやられるのもまさにこれだ。

身体が、なんとか、あなたの感情を受け止めようとするあまりに、

働きを狂わせるのだ。

鬱という病もまた、そうやって脳の働きが狂ってしまう病気なのである。

あなたが感じている気持ちを、軽視しないほうがいい。

自分に嘘をつき、頭でっかちに「思考」で命令して、

その場しのぎの納得でなんとかムリを続けようとすればするほど、

鬱病や、その他の身体の不調が進む可能性があることを、

知っておいてもらえたら、と思う。

あなたが無視するから、身体を使ってまで、

あなたの一部が「SOS信号」を発しているのかもしれないのだ。

変えるかどうかは、あとにして

鬱という病は、環境や状況の変化によっていきなり起こることもあるし、

長い間に身につけた「自分のやり方」で、自分をじわじわと追い詰める場合もある。

それは結局、受け止め方、ということに、行き着くのだけれど。

そしてたいていの場合において自分を、明確に、何らかの理由で否定する。

なかには、まず、他人の言動を強く否定する人もいる。

あまりにも強く自分の価値や存在を否定され、相手の都合のみで

傷つけられ続けた場合などは、そうなっても仕方ない。

自分は相手と同じように、ひとりの独立した人間だからだ。

ただ、その場合でも、鬱になってしまっている自分をイヤだと思うだろう。

鬱になる原因は千差万別で、ある人にとっては大したことのない問題でも、

別の人にとっては、とても解決が困難な場合もある。

それは育ってきた環境などにも影響されるから、

決して鬱になった人が「悪い、ダメな人間」なのではない。

最近はよく、打たれ弱いとか、プチ鬱とか、仮面鬱などという言葉が

ネットや報道などで語られているけれど、それだってまあ、「軽度の鬱」ではあるのだ。

それならそれで、軽いうちに原因を探して、自分のなかで治していくに越したことはない。

鬱はたいてい、自分の気持ちや考え方のなかに、病気になった理由、原因がひそんでいる。

風邪のウイルスのような、自分ではイマイチ正体の分かりにくい、気づいていない

「受け止め方」というものが、その原因であることも多いのだ。

だから治すにあたっては、自分がなぜ、具合が悪くなっていったかを、

客観的に見つめていく作業が必要だ。そしてその作業は、自分一人でできないこともある。

受け止め方は自分のなかで「当たり前」になってしまっていることも多いし、

また、鬱には波があるため、とくに深いところに落ち込んでいるときには、

見つけても、すべてを自分の卑下につなげてしまって、客観視どころではなくなる場合もある。

だからこそ、カウンセラーなどの専門家や、自分の話を黙って聞いてくれる、

そういう話を打ち明けられる友人や家族などの力も借りるのだ。

人に話すときは、自分も冷静になっていく。つまり話すことで、自分が気づけるからだ。

そうやって、わかっていなかった、気づいていなかった自分の中の「原因」が

見え始めたとき、それだけで少し、霧が晴れたように感じられる。

これまではただひたすら、自分が悪い、とか思えなかったことが、

理由や原因が見えることで、少し「腑に落ちる」のだ。

少なくとも、このようにして自分のなかの、病の理由や原因を知ることで、

あなたが何かを失うことはまずない。

それを見つけることによってまず、自分が少し落ち着けるのであれば

(ほとんどの人は、気持ちを落ち着かせることができるだろうと思う)、

やってみて、何も損はしないと思えるのである。

今の自分がイヤで、消してしまいたい、と思っているのであれば、なおさら、

まず、その原因や理由を探してみることをおすすめしたい。

原因がわかれば、そこで初めて「的確な対処方法」もまた、考えることができるから。

そして、もし受け止め方を変えていくのなら、それをどのように進めていくかも、

それ以前に、あなたが自分を変えるかどうかも、また、あとから、考えればいいのだから。

すべてを順序よく美しく完璧にしていかなくちゃいけないわけでは、決してないのだから。