カテゴリー別アーカイブ: 自分という存在

はがすべきは、自分の……

はがすべきは、何だろう。

出来るようにならねばという思い込み?

美しくなれる『はず』という決意?

痩せなくてはいけない、という決めつけ?

 

他にもあるよね。

出世しなきゃ、お金持ちにならなきゃ、

勉強が出来なきゃ、あの人に気に入られなきゃ、

仕事上手にならなきゃ、子育て立派にやらなくちゃ、

あれにならなきゃ、こうしなきゃ。

 

すべて、今は『自分に欠けている』というところからの気持ち。

そのときあなたの中にある前提は

『私にはない、足りない、不足している』だけ。

 

質問してみたいの。

それ、『ない』とどうなるの?

今は『ない』自分のこと、どう感じるの?

何を『ダメ』だと思うの?

 

一般論は語らないでね。

立派な、社会的に通用しそうな、みんなに納得してもらえそうな、

当たり障りのない意見なんて、今はまったく必要ないよ。

ただ、あなた個人に対して、素直に聞いている。

 

それがないと、どうなるの?

『今、欠けている自分』に対して、どう思っているの?

 

そしてじゃあ、それが『あったら』、あなたはどうなるの?

お金は使ったら減るよ。

美容は、努力しないと続けられないよ。

食べものは、食べたらなくなるし、

出世は、失敗したら転落するかも。

 

ない

ところ『だけ』から発生する気持ちは

いつもいつも、あなたを不安に陥れるはず。

だって『ない』の気持ちを持ったまま、たまたま何かをうまく『得た』ら、

次に来るのは『なくなったらどうしよう』だもの。

ねえ、得たあとに「そう思わなかったこと」って、あるのかな?

 

それにね、外側から得たもの、外側を飾るものは、

当然、外側の状況によって、変化する。

物理的にも、変わっていくの。

結婚したって、それを外側から『得た』という視点だけで見ていたら、

離婚という失い方があり得ること、わかるよね。

 

外側を何とかするのが、悪いわけではないよ。

あなたが何を見ながら、感じながら、

「外側を何とかしよう」と捉えているのか、

その部分を自分で知っていることが大切なんだよ。

外側しか見ず、その外側だけで何かの満足や幸せを得ようとしていること、

そうした『自分のものの見方』自体に、

どうか気づいてもらえたら、と、私は思うよ。

 

外側をどんなに飾っても、それは外側なんだから、はがれるときははがれる。

はい、そうなるとまた、自分を卑下するの?

自分はやっぱりダメなんだ、と失望して、

自分を貶めて、馬鹿にして、しばらくしたらまた

外側を何とかしてみようって、さらにさらに頑張ってみる? 

そうやって、延々イタチごっこする?

 

いつか、外側だけのことが解決策なんじゃない、と

あなたが気づいていくだろうことは、私も疑ってないし、

そこまでは、外側を満たす学び方、続けてみるのもまた、

あなたのやり方だから、悪いとは言わないよ。

 

でも結局いつか、何かしら、気づいていくことは、

今、苦しいのであればね、必要だと思えるの。

不足している、という視点、自分にはない、という視点、

そんな狭い場所でずっとぐるぐる、自分を苦しめることを、

本当はやめてもいいんだよ、ってことに。

 

だってあなたは、本当に『幸せであっていい人』だから。

めちゃくちゃ、ものすごく、幸せでいたっていいんだよ?

 

それを知るために、やがて、はがすべきは、

単純に、このダメな自分をなんとかする、

という視点ではなく(そこは『結果』にすぎないからさ)、

その元となっている、自分の何をダメだと思っているのか、という、

あなたの今の「捉え方」のほうだと思える。

 

もしかしたらさ、変えるとか、やめるとか、

そんな『生ぬるい』表現では足りないくらいになるだろうから、

今回は、はがす、と、言ってみる。

 

そしてあなたは、今すぐにでも、その思い込みを、はがしていい。

いつからだって「遅い」なんてことは、ないのだ。

あなたが勝手に、そう捉えるほうを、選んでいるだけ……。

で、動けなくなったらまた、

もはや遅いとか、どうせ、とか、言い始めるの。

まあ……ね、不足を見つめて生きていく、

それもまた、ひとつの人生なんだけどね、確かに。

私には、この世に、しかも今の時代に生まれたあなたが、

あなたらしい素晴らしいものを備えて「いないはずがない」と、

本気で思えるから、そこに縛られ続けることが、

とてもとても、もったいないと、感じるのです……。

 

『自分の悪い点』ばかりを見つけて、見つめて、

その視点からは離れないで、自分を見張ろうとするのはなぜ?

そうしながら、外側の何かで、自分を埋めて飾ろうとするのは、なぜ?

 

2015_02_06_1

Photo by pixabay

 

自分の価値を、何をもとにして、自分に設定するか

2015_01_18

Photo by BEIZ Graphic

この樹は、ひとつだけ離れているから、台風や落雷に弱そうで

長生きはできなさそうに見えて不安定でしょうか?

広々としたところに根付き、太陽の光をいっぱい浴びられるから、

他の樹よりも将来、スクスク育ちそうだな、と思いますか?

 

答えは、決まっていません。

台風をいつ全身に受けるかも、そもそも受けるかも、決まっていません。

もっと成長の速い樹がそばに根付いて、今のように

太陽の光を浴びられなくなるかもしれませんし、そうでないかもしれません。

そこには「正解」、つまり「正しい判断」など存在しておらず、

ただ、あなたが今、そういうふうに受け止めているわけです。

 

はい。同じように自分の存在の意味や価値を、

あるいは今の自分の状態、状況を、

どう捉え、そこから何をどう選んで

どういうふうに自分に設定してあげるかは

あなたの自由なので、

決して、強制はしません。

 

でももし、自分の視野、捉え方が今、偏っていて、

そのために『なぜ?』と自身で苦しんでいるのに、

その偏りには気づいていない方がいるならば……。

こういう捉え方もあるよ、という一例として、

動画をアップします。

Facebookで友達に教えてもらいました。

 

闘うことのほうを勧めているわけでもありません。

放っておく、あるいは忘れ去ってもいいのです。

そんなふうに今の状況を、自分がどう「捉え」、

どう「扱うか」という面で、

参考になれば幸いだと。

 

本当に、自分で、選んでいいのです。

つまり別の言い方をすれば、

あなたが、選んでいるのです。

今の自分、の意味を。

それは変えてもいいのです、あなたが。

理由や条件云々でなく、

ただ、あなたのために。

 

そのために必要な『勇気』について、

学べる動画なのかもと、思えます。

世界に3人しかいない難病とともに、生きている女性の『捉え方』です。

 

右上の設定の歯車マーク(または縦3つの点マーク)から、

「字幕」を選んで「日本語」を選択すると、

分かりやすい日本語字幕が表示されます。

ガラケーを使っておられる方は、

動画を見られる環境を探してご覧くださいね。

How do you define yourself?
Lizzie Velasquez
http://youtu.be/QzPbY9ufnQY

 

見せつけるための幸せ……

他人からほめられるために何かをするというのは、

他者に見せつけるために、自分が幸せになろうとすること、

つまり他者よりも自分が優位に立とうとすることにもつながる視点。

 

それって、モチベーションとしては

かなり面倒くさいことになるんだなー、と今は思う。

 

私のように、親から認めて欲しい、が土台にあったパターンでも

親だけでなくなっていって、学生時代は成績やその他の結果の面で、

大人になると、よい仕事をするという面やよい恋愛をする面などで

すごい、と言われることを『求める』ようになったり……。

 

で、動けるときは、まだいいのよ。でも、

求めるがゆえにどんどん、他者と自分の状態を比較し、何かにつけて

『優秀であろうとすること』

『それを他人に示すこと』

を、結局は、どこかの部分で目指すことになるわけで……。

 

うん、つくづく、おバカさんでした、私。

だってそこには、ゴールなんてない。

あるように見えて、実は延々、他者視線を

気にして生きていくだけになる。

 

こうあらねば! って、あらゆる面でその都度、

自分に設定して、それを目標にして努力を繰り返すだけ。

私自身の『うれしい』『楽しい』が、その間にいつも、どこかへ行ってしまう……。

 

で、私の場合、やり過ぎてボッキリ折れたし、

そこまで必死にやれなければやれないで、欲求不満に陥るハメになってた。

自分の意志や達成力の弱さ、と捉えて、自分に不満を持つ。

 

それ、どこでいったい、幸せになれるというのか……(^◇^;)

ただのキリのない自己顕示欲、そう、ある種の欲望。

完全に見誤ってたよね、人生における『自分の生き方』。

本当に、おバカさんでした……。

 

何かを成し遂げることだけが、しかもそれで、

他人にいろいろな形でチヤホヤされることが

私の幸せ、になるはずないのよねー。

 

だって決めるのは私でなくて、他人任せ、だもの。

もっと言ってしまえば、他人の『気分次第』任せ。

対象となる相手が自分のこと、自分の努力や自分が示したことを、

どう捉えてくれるかで、私の幸せが決定するだなんて。

うん、そりゃキリなくなって、やがて続けられなくなっていって、

どっち向いても自己否定しーの、心も折れーの、になりますわ。

 

自分の世界の捉え方、枠そのものが、ある意味、間違ってた。

幸せは、そんな枠の中にあるものではなかったわ……。

 

と言いつつ、今もその枠の残滓に、時折は振り回されて

ヘロヘロやグダグダになったりもする訳だが(笑)、

枠に気づいて、枠の外の価値観を見つめられるようになっただけでも、

今はもう、よかったなと思える。

 

しかも別に新しい枠も要らなかったし、できる範囲で少しずつ、

全方位を見つめてみても『いいんだ』、

枠以外の判断や世界は、いい加減でダメなものではなかったと、

知ることができたから。

 

ということで生き方における視点も、いろいろ井の中の蛙でしたね、私。

そんな告白でございましたm(_ _)m

飛び出してみないとわからないことって、

まだまだあるのねー。

 

2015_01_15

Photo by Michael T. Gilbert
ID:201107291000
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