カテゴリー別アーカイブ: 自分という存在

追伸:知っただけでは変わらないと思う方へ

先の話の、おまけの続き。

 

私は言葉で、自分が経験し、

あるいは学んできた視点について語る。

それが誰か何かのきっかけになることを、祈りながら。

 

でも、私の言葉で何かを知ったとしても、

じゃあ「具体的にはどうすればいいのよ」と、

行動の指針をさらに知りたがる方もいるだろう。

 

知ることはできても、変われないじゃない! と苛立つ方も、

もしかしたら、いるかもしれない。

 

それこそが、あなたを罠に、陥れる視点となり得る。

 

なぜ、あなたは、他者の指示や思惑通りに行動しなくてはいけないのだろう?

なぜ、誰かの言うとおりに、過ちを犯さず、動かなくてはいけないのだろう?

そこには、どんな「評価を求める自分」が、潜んでいるのだろう?

何に対して、あなたはおびえているのだろう?

 

初めてのことを一発で成功させ、すべてにおいて百発百中で

上手にできる人なんて、そもそもいるのだろうか?

 

他人が踏み固めてできた道ばかり安全に歩くことが、

あなたにとっての幸せだろうか?

 

やったことがある「やり方」だけに執着して、

または誰かから指示や指針を受け取ることだけ考えて、

それは本当に、あなたの幸せにつながるのだろうか?

 

このように書けば、自分の学び方は自分で選んでいいことに、

気づけるのではないだろうか。

 

誰かから誉めてもらうためでなく、

自分が喜ぶために、自分でやり方を「模索」していいのだ。

 

失敗がいけない、という視野を選んでいるのも、また、あなただ。

失敗したら恥ずかしいから? 誰に対して?

周囲、だよね。

自分がやったことのないチャレンジをし始めるというのに

周囲の評価だけをいきなり最初から得ようとしているの?

 

その視野、誰に教わった?

いつからあなたは、それに従った?

 

見つめ直すのは、そこからだよ。

何か、周囲との間で起こっている問題に対処し続けて、

ひたすら評価を得ようとするのでなく、

自分の中にある自分の問題に向き合って、

自分からの評価を求めても、そろそろ、いいんじゃない?

 

そのやり方に、誰かの指示などいらないのだ。

 

しかも自分の内側を自分で遠くから眺めてみるのだから、

そこには失敗、という観点は必要ない。

そして過去の出来事は、過去の「記憶」のなかにしか、もはや存在せず、

ゆえにそうでないやり方を、次から、選べばいいのだから。

 

ならば、あなたが気づいているであろう、あなたの「視野」の

マイナス点について、まず、紙にでも書いてみればいいと思う。

 

いつから、どんなきっかけで、その視野を「信奉」し始めたのか。

それは本当に、それしか選べないのか。

 

鬱などで苦しい真っ最中は、まだ「採点、のち、自己卑下」のパターンしか

思いつかないだろうから、すぐにでなくていいけれど。

過程において、痛い気持ちを味わうことも、あるだろうけれど。

 

いつか、あなたが、他者の声でなく、自分の声と向き合える日が、

やって来ることを心から祈る。

それは必ず、あなたを支えてくれる、

優しくて新しい光になるから。

 

2014_11_10_2

Photo by ぱくたそ

 

自分自身を広げる、という柔軟さ

このやり方しか正しくなくてイヤ

それしか知らないし あるいは ほかはやりたくないの

 

うん わかる そういうこだわりってあるよね

 

でね そのとき一度考えてみてほしいのは

自分が楽しめるのって 本当に

「このやり方」しかないのかな ってこと

 

そしてそもそも「このやり方」自体を あなたは楽しんでるかな?

そうでなきゃいけない という ガチガチの価値観にただ縛られているだけで

ほかは見えなくなってる 見ないようにしている ってことはないかな

 

ひとり すごい人の例を 挙げてみるね

1952年生まれのおじさんで 原 丈人さんという人がいてさ

はら じょうじ さんって読むのだけど

 

この人は お父さんが大きな企業の役員にもなった方で

幼少期の育ち方は確かに「エリートなボンボン」っぽいけど

(慶応大法学部卒だし)

なぜか卒業後 考古学に目覚められ

20代半ばでエクアドルにてマヤ文明発掘の日々

そのときは年収60万円で でもバナナなどがそこら中に実っていたので

食べ物には困らず

別にそれもよかった 楽しかったのだそうだ

 

やがて彼は 自分で「発掘事業」自体をしたいと思い始め

そのために資金を集めなくちゃ と 思い立った

 

この人 ここからの発想がすごい

米国流のビジネスを学ぶため

いきなりスタンフォード大学経営学大学院

そのあと国連フェローを経て 同大学工学部大学院を修了

 

まあ 学費はさすがに実家の援助(か借金?)を受けただろうけれどね

どうやら 発掘してるときからもう

実家にはさほど頼っていなかったようにも見える

 

なぜに法学部のあとでこの方が 考古学をやったかはわからないけれど

経営学を学ぶなか 当時のスタンフォードには

アップル社を設立して成功し始めた頃の かの 

スティーブ・ジョブズがよく出入りしてて

そこで「ベンチャーキャピタル」(ベンチャー企業へ投資する手法)が

流行っているのを知り

資金を作るならこれだ と思われたらしい……

 

そのほかにも いろいろ気づいたことがあって

その実現のため 学生のうちに 国連の組織にも入ったりして

もう そこからは原さん 延々 ずっとこれ 

 

やりたいこと やるとよさそうなことに 気づく

→どうすれば達成できるか「だけ」を考える

→そのために 自分が動く

 

ひたすら これなの これ以外 やってない

しかもその動機は「面白そう」「手っ取り早そう」っていう方面ばっかりで

マイナス視点が 見当たらない

面倒だから こうやっちゃえ というのはあっても

それは実現のための「通り道」「手順」でしかなくて

そのほうが 早く うまく いいことが実現して

何より自分が楽しめるから という発想しか なさそうなのだ

 

こういう発想の人がビジネスの世界で ものすごく動き回れば

世界的に成功するような 実業家ができあがるのだろうけれど

そんなところまでいかなくても この発想 めちゃくちゃ応用できるよね

 

あきらめないこと

自分で動くこと

楽しめる範囲のなかから「新しいこと」でも やってみるということ

 

この3つは

すべてのことで 応用できそうに思うんだ

 

そのときに もっとも必要なポイントはただひとつ

「達成」は どうやったら可能になるか

その視点のみ 使うということ

 

その視点から 俯瞰したり 違う角度で

新しいやり方を 探し出して 本気で動くのだ

 

単純に言えば「あきらめない」

そしてなるべく視野を広げていき 自分をできるだけ柔軟にして

しかも 自分で やる ということだ

 

今までの価値観に囚われていたり

従来のやり方とか 恥 とか 無理 とか

そういうのにこだわって できないという発想のほうばかりを

自分で選択し続けているだけ そちらにしか目が向いていないときには

絶対に 見つけられない やり方や世界が あるということなのだ

 

常にあなたが 自分の視野を自分で選択しているのだから それならばもう

正しい 格好いい云々ではなく 楽しむ のほうを選ぶということ

新しさをも 楽しむ 

自分の前に 道がなく

自分のあとに 道ができる

それを本気で 楽しむ気持ちになる そういうことだと思う

 

怖い? 怖いよね 普通はまあ 怖いと 感じるかもしれない

そんな「新しいやり方」なんて 自分はまだ やったことないんだもの

 

だからこそ「楽しめる範囲で」ということが大切になる

何を楽しむのか ということが大切になる

 

でも本当に 視野を変えること

「旧式」に 「従来」に 囚われないことは

こんなにも人の発想や活動力を アップさせるのか

そのものすごく大きな 見本 となる方だと思うよ

 

大それた夢の実現だけでなく 日々のくらしのなかで

あなただって別に そうなっていいのだから

花にたとえるなら 毎日 毎瞬

どんな花になっても それがどんどん変わってもいいのだ

 

2014_11_01_1

朝顔でも

2014_11_01_2

ガーベラでも

2014_11_01_3

チューリップでもいいし

2014_11_01_4
椿になったり

2014_11_01_5

コスモスになって揺れてみるのもいい

2014_11_01_6

ときには紫陽花や

2014_11_01_7

藤のように 群れてみたり

2014_11_01_8

梅のように香ってみたり

2014_11_01_9

金木犀のような香りを漂わせるのもステキ

もちろん 目指したければ

2014_11_01_10

大輪のバラになって 香りも華やかさも両方 醸し出していいし

ほかの仲間とともに

2014_11_01_11

みんなで個性を称え合うのもアリだよね

 

自分を規定しないで

自分の枠を 決めないで

自分の可能性も 見捨てないで

広く 高く 柔軟に

見つめ直してもらえたら……

 

最後に ちょっと 昔のものだけれど

原丈人さんの記事 ご紹介しておくね

「ほぼ日刊イトイ新聞」の対談連載を 古い順から3本

連休の 時間のあるときに よかったら読んでみてください

自分を縛っているのが

誰よりもまず 自分であることが

伝わる人も いるかと思える

 

あなたがゆるやかに 新しく楽しめる生活を 

受け容れられる日がいつか 訪れますように

願いをこめて……

 

http://www.1101.com/hara/index.html

http://www.1101.com/hara/first/index.html

http://www.1101.com/hara/second/index.html

 

ちなみに写真の花たちは こちらからお借りしました

ぱくたそ

足成

 

恥かきと腹の据わり

昨日、人生初、というくらいに恥ずかしいことをしていたことが判明。

他人に迷惑もかけてしまった。

 

完璧なうっかりミスだったことを、わかってはもらえたけど、

そして相手からは笑って優しく許してもらえたけれど。

お詫びしまくりながら(電話だから見えてないとはいえ)

頭を下げつつすごく赤面するくらいの、自分のドンくささ加減。

穴があったら入りたい、というのは

まさにこういう瞬間だわ、と思えた。

 

で、おかげで、腹が据わった。

丹田の辺りに、何かがしっかり沈んだ。

こんなミス、私は二度としてはいけないし、

そうならない自分になろう、そのために動こうと、心から思えた。

 

これが昔の自分なら、まだ今ごろ、やったことへのショックを持ち続け、

失敗した、という事実からの罵倒を自分に浴びせ、

うひゃあ、だの、バカすぎ~、だの、

ダメじゃん、ワシ~! だのと、

あらゆる方言を頭の中で入り乱れさせつつ、延々、のたうち回っていただろうと思う。

それが今回はあっさり「ああ、これじゃダメ。はい、ではこうしよう」という、

開き直りと新たな覚悟、みたいなものに、スッと変えられた。

 

ガツンと反省→切り替えて覚悟する。

その流れがすごく早くて、自己罵倒の時間はちょっとだけだった。

 

うん。こういうのも、ある意味、固執がなくなった、と言えるのだろう。

ダメな自分を、罵倒していっても、次は始まらないのだと。

 

その部分は、我ながら大きく変わってたんだな……と、初めて

自分で知る機会になった。

もう、自分のバカさ加減にも、執着しなくていいのだ。

だって確かに私、今までバカな道のり、いっぱい通ってきてるし。

これからもきっと、またいつか通っちゃうだろうし。

でも、そんな私がいても、もはや「いいのだ」と思える。

だって私はそもそも、おバカさんな面をたっぷり持っている

フツーの人間ですもの(*´∀`)クスッ

知ってました~、はい。なのでこれからも、やるのです、試行錯誤で。

 

あー、ホント、答えは全然、1つじゃなかったのだねー。

いろいろな自分も他人も「アリ」なんだわ。

そういうことにまた気づかせてもらえて、改めて感謝☆

 

2014_10_02