カテゴリー別アーカイブ: 自分という存在

長所は短所。短所は長所。だから「ありのまま」でいいんだよ

ああ……。今日は別に、2本書くつもりもなかったのに。

早朝の更新のあと、寝直して、その後で……2本目発信。

ごめんなさい、本当に申し訳ないです、失礼なのだけれど。

ある方(しかも著名な方です)の文章に対し、

「ウケ狙い」という言葉が頭をよぎりました。

何よりそれ以前に、言葉がわりと端的で説明が短かったゆえに

「この表現、危険」というレッドカード(そう、

イエローではない、レッドだ)をつい切ってしまいました。

どこのどなたか、などは言いません

(私がふだん、ご紹介している方たちではないです)。

ただそれゆえに、反論したくなりました。

といえども非難ではなく、なるべく、自分の表現のみに絞ります。

そういう意味では、触発された、と捉えてくださったほうが

より真実に近いのかもしれません(でも私は実際に頭のなかで

レッドカードを切ってしまったのですよ……この無礼者めっ(^▽^;))。

短所についての話です。

短所、それは、「なくす」種類のものではないと、

私には思えます。

タイミングを考えずにしかも「悪いほうに」発揮しない、

ということを、自分が「注意」する種類のものだと。

たとえば、

「いつものんびり、おっとりしてしまって、そこがイヤだわ」と、

そういう面を自分が「短所」だと捉えている人を

例に挙げてみます。

この、のんびり、おっとり。

それを「仕事の面」で、「良いほう」に発揮するとどうなるか。

はい、それは「じっくり」になります。

とくに私のような「パンパンと勢いよく決めていきたがる」

タイプからすれば、じっくり掘り下げるタイプの方は、重要な存在。

私が見逃している「ものの見方」から、別の角度の問題点を

見つけてもらえる可能性が、とてもとても、高いからです。

たとえば単純な例で言えば、

私がフォーマット……枠作りの部分を担当し、

それを途中から点検し始めてもらう担当が別に必要であるとする。

このとき、同じような「勢いよく」のタイプが点検担当になると、

見逃しやミスがけっこう、起こるのです。

つまりそれは「適材適所」ということであり、

お互いの「長所」を出し合って、

漏れをなくし、より完成度を高める、ということ。

であれば、じっくり、の人は点検、

勢いよく、の人は枠作り、そういう「配置」を行えばいいわけです。

じっくりできる人に「仕事の上では、

勢いのあるほうが華やかだし評価もよさそう、

私の、こののんびりが短所なんだわ」なんて捉えられて、

そこを「消されて」しまったら、本気で困るのです。

もちろん、枠作りをどうしてもしたい、という願望があり、

そのために「勢い」も取り入れたい、というのであれば、

それはまた、別の話。

でも、単純に短所とは、そもそも、捉えないでほしい。

「勢い」型だって、見落としや漏れが多いのです。

それって「大ざっぱ」「せっかち」「うっかり」と捉えれば、

とてもイヤな短所になります。

あるいは、全員に「勢い」のみ、が必要な仕事もあります。

じゃあ、その仕事「だけ」の部署に配属されたら?(まあ、

アルバイト的に、役割として単純労働を割り当てられる……、

などでない限り、そんな簡単な「仕事」はないのですが)

そのときは、はい、「勢い」を学べばいい。

でもそれは「のんびりが短所」だからではなく、

「たまたま、のんびりが向いてない業務」だからに過ぎません。

そこでじっくりしてしまうのは、当然「悪いほう」へ

結果が出てしまいがちになる。

すると、評価が下がるので「もったいない」。

ゆえに、せっかくのチャンスだから「勢い」のほうにも

チャレンジしてみない? ってだけのことです。

本来、その人の持っている「資質」みたいなものは、

短所でもあり、長所でもあるのです。

だから偏った視点から自分を見つめて「短所をなくす」なんて、

短絡的に考えないほうがいい。

そんなの、絶対に、もったいなさ過ぎます。

そして、「ありのままに」というのは、

自分がどんな短所(裏返せば長所)を持ち、

どんな長所(裏返せば短所)を持っているかを知ること。

しかもそれって、どっちもどっちで、

ただ、自分がそういう資質を持っているんだ、と

「認める」ことだと、私には思えます。

そもそも「素のままで何も目標などは持たず、やりたい放題で

たとえ他者にムチャクチャ迷惑かけようが何しようが

自分の利益だけ考えて、悪いこと含め全部やっちゃうもんね」

という「お墨付き」が、ありのまま、という言葉にある、

などと捉えている人はまず、いないでしょう。

普通に社会性のある暮らしの中で、自分にとって

その言葉が何を指すのか、戸惑うって話では。

ありのままでいいなら赤ちゃん並みに何もしない、わきまえない、考えない、

なんて人も、まずいないでしょうしね。

それに、ある面において「のみ」、短所となりうるものを

「なくしたい」だとか、

短所のほうをお互いに補い合う、なんて考えでいたら、

それこそ、お互いを責める材料にもなりえて危険です。

だって、お互いにそんな捉え方、視点でいたら、

何かトラブルがあったときに

「あんたの、そこが悪いからじゃない!」という

責任のなすりつけ合いに、すぐになるから。

あるいは「やっぱり私が悪いんだ」って、

自分を責める一方になるから。

そして、トラブルっていうのは、

必ず予期しないときに予期しない形で起こるから。

お互いに悪い部分を補う、のではなく、

他者がいるのであればぜひ、お互いに良い面を見て、

その面同士で補い合ってほしいです。

だからこそ。

先ほど書いたように、何らかの「役割が振られて、

やることがそれのみしかない」というタイミングのとき以外は、

どうか「ありのまま」でいてください。

他人が自分をどう見るか、に振り回されないでください。

一方の面でしかものごとを見ない人は、確かにいます。

適材適所がすぐには判断できない上司だって、いるでしょう。

そうしたら「悪いほうに発揮されている」者同士で、

上司に掛け合うなどすればいいのです。

配置を変わってみれば、よりスムーズに業務が進むことを

相手(上司)に伝えられるよう、方法を工夫すればいい。

いくら一方の面しか見えない上司だって、

結果と効率くらいは感じ取れるでしょう。

そこは、伝え方の練習、コミュニケーション能力、交渉能力を

学ぶという話にもなります。

また、自分の「短所」を見つけたときは、

自分の視点が偏っていないか、必ず見直してください。

その裏側にほぼ必ず「長所」が潜んでいます。

無理に「消す」必要はなく、

「長所」として活かせるよう、意識してほしいです。

最後にもう一度、言います。

あなたは今の「ありのまま」であって、本当にいいのです。

良い面は悪い面、悪い面は良い面、でもあるのだから。

まったくもって、それで、問題ありません。

今まで自分が気づいてないほうの『面』、

その部分に、まず、気づいていけばいいだけの話です。

両方を知ること。それこそがありのまま、の真髄なのかもしれません。

ただ、せっかくなのだから、自分でもより楽しく感じていくために、

その表し方などに「工夫」を重ねる。

そうやって、良い面を自分でより、味わいやすくする。

さらにできれば、他者にも役立てるようにする。

なぜなら、そのほうが「自分がよりうれしい」から。

それを人は「努力」と呼ぶのではないでしょうか。

「努力」とは、「ありのまま」であってはいけないから

行うものではないのだと、私には思えます。

そんな視点で捉え始めてしまった日には、

問題が起こってすぐには解決に至らず、ドツボにはまったときに

お先真っ暗になってしまうだけでしょう。

より楽しむために。

より自分が、うれしくなれるように。

なるべく良い面のほうを、

自分がもっと味わうための「工夫」であってほしいと、願います。

そしてそのために、できれば適した場所も選んでほしいと、

私は切に、願います。

私にとっての 新しい 響き

私のもとに 届いた音

私のなかで 高らかに鳴り響く

斬新な ラッパの音色

それは新しい 拒否の歌

私が今まで知らなかった世界の音

そちらを選択するという 宣言の響き

それを聞いた私は

あまりの新鮮さに 恐怖すら覚える

それがあっても いいのだ と

通じ合うことよりも 理解を「求める」こと

折り合うことよりも 理解を「してもらう」こと

必要なのは ただそれだけで

それ以外の視点は 断固拒否すると

宣言しても よいのだ と

私にとっての それは 

「分かり合う」を あきらめる歌であり

あとから自分が 苦しくなる音であり

もはや二度と選べない 選択肢なのだけれど

勝手にそう 思っていたのだけれど

相手が望んでいない限りは それでいいのだ

そうすることを

胸を張って堂々と

相手は宣言されたのだから

あまりにも高らかな 新世界のその音色

だから私も 初めて それを受け容れることにしたのだ

ただ 今は それでいいのだ と

何を選んでも いい

どう決めても いい

そこにあるのは 個人の自由

ゆえに私は それを 選択する 

私は 私の 自由を歌う

このラッパの音色よ 世界中に 鳴り響け

切ない自由の この音よ 

そして それを新たに受け容れる者を

私の元に 連れて来たまえ と

かくして今日も

斬新で 孤独な音色が 

きっと世界に 鳴り響く

ならば私はもはや

それが あっていいことのみを 受け取ろう

新しい 価値観の

新しい 世界をかなでる

悲しい響きの その歌を

順番の勘違い

他人が思い描くとおりの

私に「なってあげなくちゃ なりきらなくちゃ」いけない

相手が気に入るように 

相手に好かれる自分というものを 作り上げなくちゃ

気に入られるための「仮面」に 上手に変えなくちゃ

しかも相手が変わるごとに 次々 仮面を変えなくちゃ

そして誰からも 立派ですごくて 好かれる自分にならなくちゃ

そうしないと 私には 価値が生まれない

そんな捉え方してる間は 仮面の種類が増える一方で

仮面をかぶったあなたは 素のあなたじゃなくて

つまり 素のあなたは 他人から嫌われる存在であると

自分にしょっちゅう しょっちゅう ずっと

言い聞かせていることになる

素のあなたは 他人から 嫌われる存在って

そもそも そう「決めつけてる」のが「自分自身」であること

そこで 気づけるかな?

私はこう感じるの

私はそれが いやなの

え~? さすがにそれは面倒だと 私は思うよ

それは私 いいと思わない

私は こっちのほうが好き

私は これを大事にする

私は これが怖い

私は こっちを向きたい

私は あれをほしい

私は そのほうがいい

つまり 私は これが 心地いい

うん 誰から なんと 思われようとね

そんな自分を出したら本当はダメなんだと

自分に言い聞かせて 仮面を作り続けて

でも 「仮面」をかぶってる限り

誰とも本当には「お近づき」になれないよね

だって 嫌われるの とにかくイヤで

そこが いちばんの優先順位ってことは つまり

自分がどう思うかより先に どう思われるかを 気にしてるってことで

だからね クズみたいな相手にも 嫌われたくないんだもの

ねえ そもそもさ

「おまえはクズだ」って薄笑い浮かべて

他人に言えるような人間はね

そいつのほうが よっぽど「クズ」なんだよ

そんな相手にさえ好かれようとしなくちゃいけない

そこまで自分を ないがしろにしなくちゃいけない理由って

嫌われたらいけない

って思い込んでる そのくらいしか 思い当たらないんだけど?

私なら そんなこと言う相手の人間性は 嫌い と感じます

私が 嫌いだから その相手にはもう 関わりたくないです

関わりたくないから 別にそいつから嫌われたって 問題ない

自分がイヤだから 関わらない それだけのこと

だって私は 私の感じることを 大切にしたいもの

そこまで自分にイヤな思いをさせる人間とは 

ホント 関わらなくていいもの

それがたとえ 親であっても ね

距離を置くよ

人を傷つける「権利」が自分にあると思って

その権力がうれしくて 笑ってるような人間とは

つきあっても ロクなことにならないよ

ただそれだけのこと

ああ 私は昔 そこにすら しがみついちゃってたなあ

他人の評価を基準にしてたからだなあ

他人からどう思われるか 

悪く思われたらダメ とにかく「改善」しないと って

そうやって仮面かぶりまくって自分の意思も感情も殺して

相手に合わせないといけない そう思ってたから

人間関係 怖くてやってられなかったんだなあ

だからこそ逆に 距離も作りたくなったり うまくいかなかったんだなあ

そりゃ怖くもなるよ 当たり前だわ

私は過去 本当に 自分の思いや感情を無視して

他人の思いだけに合わせようとして 

その相手ごとに 評価されようとしてたんだ

だって つまりは 自分が自分であってはいけなくて

素の自分のままではあってはいけなくて それを前提にしてるから

他人に上手に合わせられないから っていう理由だけで

自分のこと ダメだと否定して 嫌ってたんだもんね

自分の感じることなんて たいしたことないから

大事にしちゃいけないし それより嫌われないよう

なんとかして「仮面」で 改善し続けることだけ 考える

そんな お馬鹿さんだったなあ

もう それ やめよう うん

私は 私を いちばん大切にして 

自分を大切にするための視点から捉えて

自分を 大切にするためにこそ すべてのものに「挑戦」する

そんな自分で よかったんだなあ

そうやって 素の感情を 丁寧にきちんと伝えれば

相手もまた「じゃあ私はこう感じる」って 素直に教えてくれて

そこで いい関係が 生まれるんだなあ

相手と 腹を割って 胸襟開いて きちんと深く付き合いたいなら

先に自分が腹を割って 胸襟を開いて

「自分が何を大切に思うか」を きちんと示したほうがいいんだな

しかも「自分を大切にできる範囲」のなかで

相手に思いやりと思いはからいを

「渡す 届ける」ように工夫する

そうやって 自分の気持ちを先にちゃんと

捉えてから やったほうが

よほど自分に合った人にも 巡り会いやすくなるんだなあ

ホント今までは 嫌われないようにって 先に 仮面だけ作ってたや

どう思われるかを 先に 捕まえようとしてたや

私は 私が 大事

それがいちばんで そのうえで 他者のことも 大切にしたい

そうだよ その順番で いいんだよ

素の私を 先に 大事にして よかったんだよ

素の私は 何をいいと思うかな

何を大切だと思うかな

そういや あんなの好きだった これが楽しいと思える

これが心地いいと思える

心地いいこと探し だけ するとね

自分が何を好きで 大切にするかだけを

本気で感じていくとね やがてわかるんだ

他者に気を遣いまくってたり

おびえてきた人なら こう気づけるんだ

なるほど 私って実は

けっこう優しくて礼儀正しくて いい性格してるのかも って

そうそう そっちが先だよ

そのうえで そうあり続けるための「勇気」を持って

自分をきちんと「表明」していこうよ

そして そのほうが うまくいくんだよ