カテゴリー別アーカイブ: 自分という存在

悲しい自分本位

自分はバカでアホで あるいは鬱で

いろんな面で不器用で

どうしようもなくて

だからそんな自分をゆるさないし

大キライだし

大切になんか扱ってやらない

そう決めるのは確かに自分次第だけど

それもまた とても悲しい自分勝手

自分本位の受け止め方 ではある

他者との関係を大切にしたいなら

その基本の練習として

自分との関係も大切にすることを

学んだほうがいいと思うんだ

自分の痛みがわかるから

他者の痛みも想像できたり

それは大変だったね と

同情じゃなく 共感できたり

痛い思いをすることは

失敗でなく 学びなんだよ

自分に足りないところがある

それはどんな人だってそうだし

自分の至らなさにガッカリしたり

反省したりする

でもね そのことと

自分をキライでいい ということは

決してセットじゃないんだよ

見た目でなく心や気持ちが

ステキな人がいたら

恋愛とかそんなの関係なく

この人 いいなと思うよね?

たとえばその人が

何か失敗したときなんかは

むやみに責めたりしないし

励ましたくなったりもするよね?

その ステキだと思える部分は

自分がすでに要素として

秘めている部分だということは

知ってるかな

秘めているからこそ

自分に引っかかりを感じさせる

それを実現できる種が

自分の中に すでにあるのだ

だから むやみに責めなくていい

自分を使って練習してみればいい

ダメな面 それはまあ あっていい

でも それを抱えてまるごと

自分が今 実際にそうであることを

ゆるして あげるのだ

ヤダなあ って部分もある

ま 完璧じゃないのは

誰だって当たり前だし

今はそれで いいのだ と

失敗しても がんばったなら 

その部分はしっかり認める とか

次はもう少し うまくやろうね とか

疲れたね 風呂に入って

のんびりしようか とか

美味しいもの食べようか とか

大切な仲間のように

自分に話しかけて いいのだ

自分をいたわり ゆるしていくことを

覚えていければ

他者だって 完璧でないことを

今より楽に ゆるせるようになる

本当に 練習なのだ

自分本位で生きている人の周りには

やはり自分本位の人が集まりやすい

これもまた 残念な真実

その自分本位のあり方は

千差万別だけどね

自分にひどいことをするか

他者にひどいことをするか

いずれにしても 自分本位な人が

自分に近づいてきちゃうのだ

そのサイクルもやめたいと思うなら

自分に優しくしてあげる

自分が完璧でないことを

もうゆるしてあげる

そんな練習も してみていいと

私には 思えるんだけど

自信ではなく 愛情 好意 見守り

ヤレヤレ 仕方ないかあ

そういう方向でね……

幸か不幸か

あれが足りないから不幸

これを失うのが怖い

失わないよう ああしたいのにできない

私はダメだ 私は不幸

そんなふうに自分にないもの

なくなるもの

なくなったもの しか見つめず

得たら今度は 失うのが怖いから

あれが足りない これが足りないとか

不足と損失と不安だけ見つめてたら

そりゃあ毎日 不幸だよね

あなたの身体の細胞は

あなたが60兆個

自分の意志でつなげてるの?

ねえ どこまで 自分でできる

できなきゃいけない

できないから不幸

ダメだから不幸って

思い続けてるの?

すでにそんなあなたの身体からして

あなたが作ったんじゃないのに

自分と周囲を

どう受け止めるか

それだけで

あなたは不幸にも幸せにもなる

あなたが

全知全能なわけじゃないのに

あなたは自分を振り回すんだね

そりゃ 不足だけ見つめるかどうかは

あなたの自由だけれど

幸せになりたいのに

自分の力だけで

なんとかするものだと思ってること自体

実は おこがましいんじゃない?

あなたの身体の神秘

今ここにいるという奇跡

今があるという奇跡に

まったく 感謝できなくて

過去と今の不足だけ見つめて

足りないものごとを

失うのが怖いものごとを

なんとか補うことだけに

必死になり続けて

ねえ じゃあいつ 幸せは来るの? 

いつか本当に来るの?

例えばさ

恋人ができたら 結婚できたら

家族になれたら 幸せになれるの?

自分を見てくれないだの

失うのが怖いだの

そのためにもっと痩せなくちゃだの

恋人が好きな顔かたちじゃないから嫌われるだの

他の人が寄ってきたらどうしようだの

思いやりが足りないだの

大事にしてくれないだの

尊敬の念を持ってくれないだの

やっぱり 不足や不安しか見ないんじゃない?

それで相手に振り回されて

自分も相手を振り回して

別れたら やっぱり不幸だと

恋愛や結婚だけじゃない

不足や不安の視点は

仕事を持っても

友情でも お金でも 住まいでも

あらゆるところで湧き上がる

でも足りないものや 

不安しか見ないのであれば

何も 誰も

あなたを幸せにはしてくれないよ

この先も ずっとね

だってあなたは 自分の不幸を

自分でそうやって あらゆる方面で

あらゆる方法で思い込み

すでに決めつけ続けているんだもの

うん

そういう人生を選ぶことに

自分が決めてるんだから

それを私が

どうこうしようとは思わないけれど

どうして 今 私は不幸なの?

などと もし 聞かれたら

そう受け止めてるから っていう

可能性が かなりいろいろあることは

覚えておいてもらえたらと思う

たとえ病であってさえも

共存 というあり方を

選ぶことはできるのだ

それをしている 穏やかな人たちに

私は実際お会いして

ご不幸だとは感じなかったし

ご本人たちも そのようには

おっしゃらない

あるがままを すでに

ご自身にゆるされていたし

自分の存在自体が

人智の及ぶものではないと

ご存知だった

不幸だ不幸だ と毎日思い続けるのを

やりたければ仕方ないけれど

ねえ そんな受け止め方もあることを

知ってもらえたらと 思うよ

誰もあなたに100点は求めていない

これは、鬱になったとき、仕事仲間の先輩が

私を心配して言ってくれた言葉。

私は昔、「やるからにはがんばらなくてはいけない」

と思い込みすぎていて、自分の仕事を

どんどん、厳しくしていってた。

100点を常に取りたい、

でも80点になっちゃうんだよな、

そんな感覚を常に持っていた。

で、その先輩が言ってくれたのは

「あなたの思う100点は、他者から見れば

120点かもしれない、80点が100点くらいだから、

それでいいのだ」と。

長い目でみれば、

120点を取ってあっけなく壊れる人間より、

80点くらいでずっと仕事を

続けてくれる人のほうが、

会社としても、仲間としても、ありがたいのだ。

ということは、私自身で捉えている感覚で言えば、

60点くらいでも80点くらいの換算……? その程度?

いまだにこの、100点云々、のバランスを

自分がつかめるようになったかどうか、わからない。

ただ、「がんばらなくてはいけない」というプレッシャーは

少しずつ、減ってはきている。

自分が楽しめる範囲で、それ以上、手を出したり

口を挟んだりするのはやめよう、というような感じ。

もっと自分に合ったよい感覚での

捉え方ができれば、と思うが、

その点は、試行錯誤中なのだ。

でも失敗しても、自分をひどく責め続けることは

だいぶん、減ったかな……。

思い出しては悔しさを感じたり、後悔したり。

その時間を「持つこと自体」がもう、

自分を苦しめているのだ、

と捉えられるようになった。

そんな時間を過ごすくらいなら、

これからはどうしたいか、どうすればいいか、を

考えるほうが、楽だし建設的だし幸せだと。

思い込んでいた自分を、あのときは

お馬鹿さんだったな、まぁでも、

がんばってはいたんだし……、

くらいに思って、あとはもう、

今、のくらしの中での「よさ」を

捕まえていきたいと思える。

改めて気づく、感謝できること。

新しい希望や、新しい喜び。

それは小さくてもうれしいから。

私はもう、死を考えるところまで

自分を追い込むのは「やめた」から、ね。

やめることもまた、

自分の選択であることを、

ある意味、思い知ったから……。

そこまでいかなくてもいいのだ、と

痛いほど学ばされたのだから、

その学びは、活かしていこうと思う。

そして、幸せな方向を選ぶのもまた、

自分の捉え方や選択にかかっているのだ、と。