カテゴリー別アーカイブ: 人との関係

へりくだって 自分を低く見せておきながら

へりくだって 謙って

自分を低く見せておけば

私は はい あなたのおっしゃる通り

低い人間です と 反省さえしておけば

 

あなたを都合よく操りたい 相手

たとえば親からは

あるいは 親的立場の人からは

要するに 逆らうとヤバイ

目上の立場の人からは

「そうだよ わかればいいんだよ

おまえが間違っていたんだ」ってことで

見逃して(?) 許してもらえて

やっと何とか 部屋の隅っこに

居場所をもらえたような気分に なってたよね

 

だからさ 学校でも

先に自分を 他人より低くみて 

相手に対して へりくだってみせておけば

トラブル 起きなくて済む と思ってたよね

そういう 損得計算してたよね

 

気に入られたい相手には

私が悪いんです

私は馬鹿なんです

そんな 私だから ちゃんと気を遣って

ちゃんとあなたに 尽くしますよ?

って 先にへりくだることで

そばに寄らせてもらい

そばにいさせてもらおうとしてさ

 

うん 最初から それ まるで

私は奴隷扱いされてもいいんですよ

ってことを

あなたが態度で示していることにも なるわけで

 

そこまで差し出されたら

あ なんだ コイツはそういう扱い方

やっていいんだな と 思う人も当然 現れるわけで

 

ゆえに『自分が軽く扱われる』『大切にしてもらえない』事態が

発生するという仕組み

 

昔 誰かの言うことが『正し』くて

私が『いつも間違っている』ことにしないと

怖かったときの 名残を

あなたがまだ 後生大事に扱い

この世界のルールとして 適用しているだけ

 

で いつになったら

その 必要をはるかに超えた 

自己罵倒つきのへりくだりや

 

誰かのそばに置いてもらうことで

自分の価値を高めようとする という

虎の威を借るウサギ? テントウムシ? みたいな生き方

 

自分で決めて やめてもいいことに 気づけるかな?

 

それをするから 自分でいつまででも 自分を傷つけ 

なのにさらに 相手のことまで恨む(それでまた自分が傷つく)という

負の相乗効果だけを 追いかけることになっているけれど

 

いつになったら そこからの 方向転換

自分のために する気を 起こすかな?

 

あなたが見ている 今のその世界は

あなたの 思い込みを崩してみることで

変化もするのだけれど

いつになったら そっちへ 着手する勇気を出すかな?

 

ただ ゆっくり 私は 待っているから さ

その気になったら 何かで 知らせてね

 

2016_04_09_1

Photo by PublicDomainPictures 
Pixabay

 

おびえや怒り、から引き寄せるもの

怖がってるだけじゃ、

自分がチャンスを失うんだな、ということを

私は、かの「お姉さん」から最近、

学ばせてもらっている。

 

傷つくことを極端に恐れ、それゆえヘンに怒ってみせたり、

必要以上にへりくだるような謝り方をしたり。

 

そうすることで、彼女の「傷つきやすさ」を

感じる人たちがたくさんいて、

あるいは逆に、触らぬ神に祟りなし、みたいに

関わることを避ける人もいて。

 

その結果、彼女が仕事でミスをしても

「ではどうすればいいのか」を

誰も、彼女には、まともに教えない。

 

まあ、会社の「生ぬるい風土」も、もともと、関係してはいるのだけれど

(改善より、適当にいい加減なフォローをして

お茶を濁すような部分がある)、

それにしたって、彼女から「嫌われたくない」と

いつもアピールされている人なら、

もうちょっと指導してあげてもいいのになあ、

だって彼女も、その人に対しては視野の狭い反発や反応を

すぐには起こさないだろうだから……とは思うのだ。

 

あー、失敗しちゃったね、

仕方ないね、

だけで終わらせていいことと、

「どうしたら、そのミスをなくせると思う?」

と一緒に考えてあげる必要があることって、

明らかに問題レベルは別もの。

 

彼女の失敗は、彼女の恐れから来ている

(だから抱え込みすぎて、本人がうっかりミスしやすい部分で頻発する)のに、

しかもそのミスが、レベル的には「それ、放置しないで

一緒に対策を考えてあげたほうが良くないか?」

という危険性をはらんでいるのに、誰も手出ししないのだ。

 

たぶん、彼女なりに頑張ってはいるのだから、

傷つきやすい彼女を刺激してヘタに傷つけたくない、という

うっすらとした「逃げの空気」が、

彼女の部署の社員さん達から漂っているのが

いちばん問題なんだろうな、と傍から見ている私は感じる。

 

でも、彼女の側に立つと、

そこまで「恐れから自分の頑張りを必死でアピール」しつつ、

何でもかんでも抱え込むからこそ、

そのような問題も発生しているわけで。

 

仕事という面で共依存しなくてもいいのに、

私がいなくちゃダメよね! に、なりたいんです!

をPRしたら、そりゃまあ、普通の感覚の人なら

その子と摩擦はしたくなくなるよ……良い意味でも、悪い意味でも。

 

かくして彼女は、いつまで経っても同じような部分で

ミスをして、しかも忙しくなると必ずそれらをやってしまうのに、

改善することができない。そして「危険」っぽいものが毎回、匂う。

 

それは彼女の「社会人としての経験不足」からも

発生しているときがあるのだけれど、

彼女は、誰からも「経験者の智恵」を伝授してもらえないのだよ。

皆からヘンにぬるく見守られ、言い換えれば、逃げられていて。

 

これは、まあ、正直、

かわいそうだな、と思えなくもない。

だが、そこまで自分の恐れをにじみ出させて、

『認められないのが怖い』をアピールしてしまっているのは、

彼女自身なのだよね……。

 

『失敗して評価されない』ことを恐れ、

むやみやたらに「低く見られること」を怖がり、ときには

「そうならないよう、先に噛みつく」ことさえある

(たとえば失敗を認められず「私のせいじゃない」と

言わんばかりに逆ギレしたりね(^^;))、

そのような姿勢によって、自分がどれくらい自分の能力を

伸ばし損ねているか(そういう状況を自分が引き寄せてしまうか)、

つまり自分が学べるチャンスを失ってしまう事態になっているか……。

 

そのことに、いつかうまく、

彼女自身が気づいていくことを祈りたい。

 

そしてオマケ的に言えば、私は昨日、まったく別のきっかけから

『温かいもの』を指針にしたけれど、

今日の彼女に対して、早速、効果があった。

 

彼女の態度に『自分が反応して

一緒に(?)ムカムカする』必要がないことを

あっさり感じ、そのように練習できたのだ。

 

『自分の中の温かいものに従う』覚悟、

決めると結構、威力がすごいな。

 

そして上記の通り、お姉さんを冷静に見つめて、

今日、文章に綴ることができたのも、

この指針のおかげだと思える。感謝☆

 

彼女のように、

おびえて周囲の人や状況に

ひたすら反応ばっかりして(自分を見失って)、

もったいないことになっている方がおられたら、

ぜひ、指針、作っていいよ、そして

そんな『反応』のほうばっかり自分から意識して、

練習を重ねなくてもいいよ、と

なんだか伝えたいわ、私……。

 

2016_03_09

Photo by Padurariu Alexandru
Unsplash

 

不安な気持ちを人に投げつける、ということ

不安感を基礎に置いて、人間関係を作ろうとするときに、

起こりうることのお話。

 

不安なの

自信がないの

こんな自分で

本当にいいのかな

どう? どう? 

本当にこれでいい?

 

不安の中身は自分の性格だったり、態度だったり、

好きでいてもらえるかどうかだったり、まあ、いろいろだよね。

こういう形で誰かとの人間関係を築き始めるとき。

 

最初は、相手だって、

あなたに好意的であれば、

 

そうか 不安か……

大丈夫だよ

それでいいよ

 

と言ってくれるかもしれない。

 

でもあなたは、そんなことだけでは当然、

本気で心の底から『ずっと』は安心できない。

 

だからまたいつか、やり始める。

 

そんなのじゃ 不安なの

なぜそうするの?

ねえ 私はこれでいい?

どう? どうなの?

 

さあ。

逆の立場で、これを感じてみようよ。

 

いつまで経っても、ことあるごとに不安を訴え

言葉がけや思いやりをもらおうとしてくる相手。

 

あなたがそんなようなことを、

延々と繰り返し、何かあるたびに言われたら?

途中で、

 

なぜそこまで不安なのさ。

その不安 本当はどこから来るの?

幼児ではないのだから

もうちょっと自分でも何とか 

原因なども探して

解決しようとしてみたら?

 

って、ならないかな?

 

そうはならなくて、

「不安なことを訴えてくれるのは私にだけだわ」

ってウットリしたい?

 

本当に、それを望むかな?

 

あなたは、相手には、

どちらかと言うとウットリしてほしいのよ。

自分が感じている『相手への信頼の度合い』を、

そこから相手にバッチリ感じてもらい、

そんなにも信頼してくれているなんて! と

ウットリ、になるくらい思い切り、

自分のことだけ、見つめてほしいのよ。

 

それ、うん、ゴメンね、ハッキリ言うけど

実の母親であっても、キツイわ。

 

逆の立場でも、自分にはできる!

とか思うかもしれないけれど。

 

何度アドバイスしても、覚えているのかどうかわからないほど

何かあるたび似たような不安さ加減で尋ねられ、

本人はいつも、落ち込むたびにその調子で訴えてくるだけ。

 

あなたは、相手が安心できる答えを渡すまで、

相手からいろいろ訴えられて、でも当の相手自身は

自分で答えを探そうとはしてないような感じで、

あなたから「納得して安心できる答え」が受け取れるまで

不安感の中身ばかり説明して、

シクシクしながら待ってるだけ。

 

日々、仕事や勉強などをこなしながら生活していて、

その中で、そんなふうにベッタリ頼りきりになられて。

 

ねえ、それで、どこまで相手のその態度に、

ウットリし続けていられるかな……。

 

俗な言い方をすれば、どれくらいの間、

お互いにその形での「蜜月期間」を保てるかというと、

まあ1ヵ月間、長くても半年じゃない?

 

そこに婚姻関係などがあって、

世間体、とかいうものがくっつけば、

それを理由にして続けていけることもあるけれど、

少なくともウットリするから

お互いが続けていけるわけではなく、

あくまでも他の理由による

『ガマン』『耐える』状況になるだけ。

 

だって、自分自身の不安感を人に丸投げする限り、

その不安は根っこから消えることなんてあり得ないし、

一瞬、表面的に消えたかのように感じることがあっても、

消えたら消えたで今度は、

変に自分が明るく変わったら、捨てられてしまうのでは、

とかいう訳の分からない、影の不安も生まれるし。

 

不安なの

そうか

 

なんてお互いがやっていられるの、

よほどの金持ちで、それ以外やることない人……

くらいじゃないかな。

 

普通に生きているなら、不安を投げかける側の人は

『こちらをまた不安にさせて!』

って悲しむことになるし、

 

不安を解消する側は

『いい加減、自分でも、もっと何とかしたら?』

あるいは『こっちの言うこともっと聞いて、ちゃんと応用効かせろよ!』

という怒りが募るようになる。

 

それ、うまくトラブル回避していくためには

お互いが、他の他人とは一切深く関わらない、

その人だけを見て、その人だけとつきあう、

くらいの世界の縛りが必要となる。

実際、他の人と関わること自体が、

「不安のきっかけ」となって、もめることになるし。

 

うん、お互いがお互いを、牢獄へ閉じ込めて、

相手の自主性さえ、自分のために発揮させないと

気が済まないようになるわけだ。

 

お互いがお互いにとって

常に看守であり、同時に罪人。

そして一生、相手と不安についてのやりとりばかりを繰り返し、

ほんのたまになら、もしかしてウットリできるかも……。

 

それを幸せ、と呼びたいのなら、

まあそれは、ご自由に。

友情だろうが愛情だろうが、

『相手を監視し続けないと不安』なんていう幸せ、

私には想像できないけれどね。

 

でも、その不安を、

他人になんとか解消してもらおうと投げつける前に、本当は

自分が(今はまずダメなままの)自分を「先に」信じる、許す、認める

というプロセスを練習できれぱ、

 

監視のいらない自由な、

お互いの自主的な信頼関係に基づく『安心感』

 

という人間関係が、

ほかでもない『あなたの』元にやってくるということだけ、

私は伝えておくわ……。

 

2016_02_28

Photo by vero_vig_050
Pixabay