カテゴリー別アーカイブ: 人との関係

相手の機嫌、の話

今週は思うことあってそちらに時間を使いたいので、

他者の素晴らしい記事を紹介させていただく

さくっとした内容になります。お許しを。

あ、法案がらみのことではないですよー。完全に個人的理由です。

 
ちなみに、法案が可決されてホッとされている某方面の方々に

今日、他者の命の大切さを語るつもりはないのですが、

日本の明るいカルチャー「大喜利」に近いクリエイティブ魂(笑)が

こもった動画をお届けします。よかったら2つとも見てね。

とくにお見せしたいのは2つめだから、これが消されないことを祈るよ(^^;)

 
自民党 「教えて!ヒゲの隊長」

 

【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた

 

私が知って、確かに! とこれまで思ってきた情報を、

あかりちゃんが見事にいろいろ語ってくれています。thanks☆

ついでに言えば、「いろいろな社会貢献」のイラストに、

銃撃戦闘シーンのイラストを出さないあたり、恣意的すぎるよね! 

今後は他人の国にわざわざ乗り込んでいって銃撃戦に参加すること、

つまり、他人の命をこちら側の都合で奪うという状況もまた

さらなる「積極的に平和を守る世界的貢献活動」だとされ、

これ、それを説明するための動画なのに!!

 
とまあ、出来が素晴らしすぎて(爆)前置きが長くなってしまいましたが。

 
不機嫌な他人に対し、自分があれこれ対応することで

「機嫌を取る」ことができるとホッとするという心理について、

語ってくれている記事を、ご紹介したいと思います。

著者の方のことは、私、知らなくて、Facebookの友達に教えてもらった記事です。

 
機嫌取り。

これを今まで長く「やってしまっていた」人は、自分がホッとしたくて、

しかもホッとするのは「安心できるいいこと」なので、やってしまうのかも。

 
でも、それって結局は、相手に振り回されているだけ、

という説明がとてもわかりやすいのですよ。

 
私もここで、ときどき書いている、

「怒っているお姉さんの機嫌を取らない」話で、もし、

もやもやした感情を感じられる方がおられたら、

「悪い人だと周囲に思われたくない」心理を強くお持ちかも、ですよ。

過去の私もまさにそうでしたから、そんなふうに思えます。

 
で、つまりはそれ、自分を全然、大切にはしていません。

今の私は、やっと、そう言えるようになってきました。

 
あと、この記事の中にリンクされている、川崎貴子さんの結婚条件の記事も、

ある意味、真実の部分があるように思えて、しかも辛辣で、笑えます。

◎篠田真貴子さん
『不機嫌がなぜいけないか。「ピカソは本当に偉いのか?」に書いてあった』
http://ow.ly/a1NI3000HiG

 
「自分の機嫌」を放置して、他者の機嫌ばっかり気にされている方へ、

必要なものが何か、届きますようにm(_ _)m☆

 

2015_07_15

Photo by  カールおじさん草花写真館

 

すること、してもらうこと

今日はざっくり、抽象的に書いてみます。

 

ひとりって、できることが単純に、限られます。

 

たとえ作家さんであっても、

創作活動以外のところでは、

他者の力、他者の助けを借りている。

 

ましてや労働をしている人なら、

雇ってもらえた(それがバイトであってもね)段階で、

あきらかに他者の力を借りているのです。

 

だって仕事もしないウチから、

あなたを信用して雇ってもらえたのだからね。

雇い続けてくれているのなら、

あなたの力をずっと信じてくれている、ってことにもなる。

 

そして逆の立場、周りの助けをもらえるということは、

「助けている人、その本人の実力を発揮する機会」を、

あなたが提供してあげているということでもあり……。

 

そんなふうに、お互い、向いていることを、それぞれ分担する。

それがあなたひとりでやるより、よりステキな結果を生み出せること、

たくさん、たくさんあるよね。

 

とても大きな枠の例で言えば、

おいしい野菜を作れる、しかも農作業が好きな人がいてくれるから、

それを私たちは買うことができる。

そして買うことで、作ってくれる人を助けてもいるのだ。

 

さらには、そうした「他者が力を発揮する」場を、

あなたが提案して作ったのであれば、とても素晴らしいこと。

 

労働まで含めての広義で、助けても助けられても、

どちらにしてもお互いさまで、お互いのためになる部分がある。

 

だから、あらゆることにおいて、

ひとりでやってるんだと思い込んでいる

オレサマ系の方々、勘違いしないでね。

心や身体が弱って助けられている方々も、勘違いしないでね。

それこそ人には、いろいろな「役立ち方」があっていいし、

それを両方、許可する、受け容れることで、

感謝とありがたさと喜びの量は圧倒的に、

増えると思えるのです。

 

どっちかがダメで、どっちかだけしか良くない。

そう思い込んでいる人ほど、

心の孤独を味わうことにもなり得るのだと、

私には思える次第。

 

ありがたく受け取れて、ありがたく差し出せる。

私はその「状態」自体にも、感謝していきたいです。

 

この今の社会で生きている段階ですでに、

あなたは役立っているのだから、そこは安心してね。

 

サービスだって、提供しようとしてくれる人がいるから成り立つよね。

そして提供する側は、受け止めてくれる相手がいないと、

それこそ「提供」なんて行為がそもそもできないのだから。

 

仕事を例にすることで、少しは伝わりやすいかな、と思って書いたけれど、

これは、あらゆる身の回りのことに、当てはまる。

 

あなたは何がどうしたって「ひとり」ではやっていられないし、

私には、これはどっちが偉いとかいう話でも、

本当はないのだろうと思えること、なのです。

 

2015_07_08

Photo by トルペグ

 

人には人の……

他者のモノの見方 他者の事情というものは 

その人の生きてきた人生のなかで

いろいろ複雑に絡んで 湧いてきたことだったりするから

自分にも理解させてもらおうとして なぜなの どうして を連発したところで

その人本人にも 説明できない気持ちだってあるかもしれない

 

だから 根ほり葉ほり聞くことが親切ではないし

それでわかったつもりになって 相手にあれこれ言うのも

本当なら ちょっと違うのかもね

 

もしかしたら だけど

あなたがそのとき 自分のことを認めてもらおうとして

良さを 知ってもらおうとして 自分のことを見て やっているかもしれないよ?

 

そうじゃないかもしれない でもそうかもしれない

あなたもまた 自分の奥の気持ちには 気づいていないだけかも

 

私たちは そんなふうにして他者と関わっている

たとえそれが親子であっても 本当のところは 本人しかわからないってこと

あるかもしれないよね

本人さえ 気づけないでいること あるかもしれないよね

 

だから「私はこう思う」と 自分の意見を伝える そのときには

相手の意見を聞く時間もまた きちんと持つことは たぶん必須なのだと思える

 

たまにね この時間を 逆に相手に与えてあげないまま

なのに 気持ちを理解できるよねって 他者に迫ること ないかな

何も言わなくてもわかってくれるよね

きちんと説明するのは今はイヤ またはできない

 

そういうときは わかってくれるかどうか わかんないよ

説明することを ある意味 手抜きしたの あなただから

 

うまく説明できなくて困っているのだとしても

その 困っているということを 伝えないと

何がどうなんだか 相手にはわからない可能性あるよね

 

このあたりのこと 結構さぼってて なのに なぜわからないのよと怒るとき……

自分の気持ちを 表現して 説明していないのは 自分だってこと

気づいてもいいと思える

 

求めるのなら 自分の想いも きちんと出そう

いつも言ってるでしょ とか そういう言い方もやめて

今 の 自分 の 気持ちが どうなのか 伝えようよ

 

本当には わかり合えないかもしれないことが前提だからこそ

少しでも 共感がお互いに湧き 通じ合えたときには とてもうれしくなる

それが コミュニケーションというものの 醍醐味なのかもしれないよ

 

本当に全部丸々を わかり合えるようになろうとするから

おかしくなることも あるのかもよ?

 

あなたと私は 違う人間

あなたと私の間には 共通の気持ちを持つための 意識が必要

それを前提にするからこそ 余計にうれしさが増すってことを

今まで なぜなの? なぜなの? とばかり捉えていた人は

練習してみてもいいのだと 思えるの

 

その そもそもの 前提を変えれば

わかりたい わかってもらいたい相手 という存在のありがたさにも

もっときちんと 気づけるようになると思うしさ

 

まずは 相手を判断して決めつけるクセ やめてみるのはどうかな?

自分と他者は違う というのも 

奥に隠れている気持ちがあることも

当たり前 にしてみたらどうかな?

他者もあなたも 当然のことながら 

いつだって自由でいいのよ……

 

2015_06_20

Photo by HebiPics
Pixabay