すること、してもらうこと

今日はざっくり、抽象的に書いてみます。

 

ひとりって、できることが単純に、限られます。

 

たとえ作家さんであっても、

創作活動以外のところでは、

他者の力、他者の助けを借りている。

 

ましてや労働をしている人なら、

雇ってもらえた(それがバイトであってもね)段階で、

あきらかに他者の力を借りているのです。

 

だって仕事もしないウチから、

あなたを信用して雇ってもらえたのだからね。

雇い続けてくれているのなら、

あなたの力をずっと信じてくれている、ってことにもなる。

 

そして逆の立場、周りの助けをもらえるということは、

「助けている人、その本人の実力を発揮する機会」を、

あなたが提供してあげているということでもあり……。

 

そんなふうに、お互い、向いていることを、それぞれ分担する。

それがあなたひとりでやるより、よりステキな結果を生み出せること、

たくさん、たくさんあるよね。

 

とても大きな枠の例で言えば、

おいしい野菜を作れる、しかも農作業が好きな人がいてくれるから、

それを私たちは買うことができる。

そして買うことで、作ってくれる人を助けてもいるのだ。

 

さらには、そうした「他者が力を発揮する」場を、

あなたが提案して作ったのであれば、とても素晴らしいこと。

 

労働まで含めての広義で、助けても助けられても、

どちらにしてもお互いさまで、お互いのためになる部分がある。

 

だから、あらゆることにおいて、

ひとりでやってるんだと思い込んでいる

オレサマ系の方々、勘違いしないでね。

心や身体が弱って助けられている方々も、勘違いしないでね。

それこそ人には、いろいろな「役立ち方」があっていいし、

それを両方、許可する、受け容れることで、

感謝とありがたさと喜びの量は圧倒的に、

増えると思えるのです。

 

どっちかがダメで、どっちかだけしか良くない。

そう思い込んでいる人ほど、

心の孤独を味わうことにもなり得るのだと、

私には思える次第。

 

ありがたく受け取れて、ありがたく差し出せる。

私はその「状態」自体にも、感謝していきたいです。

 

この今の社会で生きている段階ですでに、

あなたは役立っているのだから、そこは安心してね。

 

サービスだって、提供しようとしてくれる人がいるから成り立つよね。

そして提供する側は、受け止めてくれる相手がいないと、

それこそ「提供」なんて行為がそもそもできないのだから。

 

仕事を例にすることで、少しは伝わりやすいかな、と思って書いたけれど、

これは、あらゆる身の回りのことに、当てはまる。

 

あなたは何がどうしたって「ひとり」ではやっていられないし、

私には、これはどっちが偉いとかいう話でも、

本当はないのだろうと思えること、なのです。

 

2015_07_08

Photo by トルペグ

 

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