月別アーカイブ: 2015年3月

他者の例なら、気づけるかな……(>_<)

もうね、昨日の記事を書いた翌日に、

なぜこんな強烈なものに出会ってしまうのかと

軽く絶句してしまう……。

 

迷ったけれど、これらに立て続けに出会うということは

伝えろ、ってことだと思うので……。

自分的にはかなり異色な形で、

その立て続けを紹介したいと思います。

記事いろいろ紹介編、1本は読み物サイト、残りはブログ。

 

私も「まだ変なふうに認められたい」な方面を持っているがゆえにね……。

厳しかったですよ、かなり。

 

1本め、とてもとても痛い思い込みの例。

読むの、辛かったら途中でやめてね。

マイケル・ジャクソンのことも思い浮かんでしまった、

自分を見捨てて、他人に気に入られるように全部出しまくって、

その代わりにたとえすごい評価をもらっても……、

もらってももらっても足りない、もらうほど不安になる、の例。

 

それをやり続けても、その視点のままでいる限りは、決して満たされないよ、

の究極の例、のひとつだと思える。

逆に、まったく出せない人も、実は同じ視点の問題、抱えていると

私には感じられる。

たとえばクールぶってるだろうけど、と、あえて言っておくね。

 

2本め以降は、どれを選ぶか迷ったけれど、

昨日の気づきの感謝をこめて、

心屋さんのお弟子さんシリーズで(でもブラックではないよ)。

2本め以降の記事でフォローもするとはいえ、

ある意味、ショック療法ですね、ゴメン……。でも意識してやってみる。

 

どんなに頑張っても、視点が違うと、苦しいまま。

頑張っていく、よりももっと前に変えてほしい、

「自分を見捨てている」という視点……。

そこに、気づいていただけますように。

 

一見、恋愛などの方面に傾いているかのように

受け取る人もいるだろうけれど、

「ファン」や「鳩」や「彼」等を、

自分が認められたい相手に、

自分が認められたい世界に、

置き換えてみてね。

 

1本め、とてもとても、とっても! 強烈な例。

「14歳でAV女優を志した」さんまもハマったAV女優・紗倉まなが抱える闇

 

2本め、ソフトな例と、視点の説明。

■いいこって どんなこ?

 

3本め、相手をダメ人間にするよ、の例。仕事や会社に置き換えるといいかな?

【業務連絡】お金のセミナーにお申込みの方へ/お節介オンナは都合の良いオンナ

 

リンクさせていただいた記事の方、許可なくリンクしてすみません。

カウンセラーさんとして活動をされていることを考えて、

今回は勝手ながら、ご連絡なしでリンクを張らせていただきました。

ご不快でしたら、ご連絡ください。すぐ削除いたします。

そして気づきを、ありがとうございました。

(追記。翌日、やっぱり勝手にリンクは居心地悪くて、

事後承諾ですみません、と連絡して、無事にお二人から掲載許可をいただけた。

よかった……。感謝)。

 

さて。

「ここまで私はひどくないし」と思われた方。

では、相手の、あるいは自分の「どの辺が、どこまで、ダメ」ですか?

書いてみてください。

 

次に、書いたこと一つひとつに対して

「なぜそのことを、ダメと思えて」いますか? 理由をさらに横に、

書き出して並べてみてください。

 

そして最後。

その理由、本当に本心からそう納得できる

「自分にとっての本物」のもの、ですか?

自分に対して、問いかけてください。

 

格好つけてませんか?

そうじゃなくても、別によいことはありませんか?

無理していませんか?

 

さらには、

「そんなこと言ってもどうせ」な方。

何をあきらめていますか?

そしてなぜ、それをあきらめていますか?

そのあきらめ、自分でもスルリと納得できるものですか?

自分には良いところがない、イコール「過去に誰かに、けなされた点」

では、ありませんか? 

 

なぜその人の言うことだけを信じて、

自分の気持ちに嘘をつくほうを、選ぶのでしょうか。

 

私はいつも正しい、も

私はいつも間違っている、も、嘘。

そんな片方だけの人間、この世にいないから。

本当に、そんな人、世界のどこにも存在していないから。

 

その思い込みの世界、あなたの空想の世界観から、

そろそろ自分の目を、覚ましてあげてもいいのに……。

 

何よりね。ふだん自分で決めつけている「自分の姿」の逆を、

あなたは、他者にやっているかも、だよ、実際には。

 

気が弱い人ほど、他人を無作為に攻撃するのかも。

だって自分がすぐ傷つけられると信じているから。

あるいは、好かれたいからと相手の面倒をみすぎて、

絡みすぎて見張りすぎて、ウザイと言われることになるかも。

……あなたが今のその弱気な気持ちのまま、それでも、自分のために微笑むだけでも、

世界は、その日から、ガラリと姿を変える。

他者が変わるんじゃなく、自分にとっての世界が、ね。

自分に対して本当はやりたくないこと、やめようよ。

やめて、いいよ、本当に。そこまで世の中、ひどくないよ……。

今日はいろいろ、キツくてゴメンね。

でも、これまでずっと勘違いしたままで

自分を覆っている、その手のひら。

苦しいままなら、そろそろ本気で、外してみない?

 

2015_03_24

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めちゃくちゃ信じてるし、応援してるよ

前回の続き……というか、その中で一部、掘り下げて書きたくなったので、

今日はそんな話。

 

まず、ひとつ前の記事で、

心屋さんと武田双雲さんのお二人を例に挙げて話した。

この方たちは、その話しかけにおいて、確信犯です、ええ。ほぼ、間違いなく。

心屋さんは、ブラック的に。

武田さんは、限りなくホワイトに近いやり方で。

何をどう言われようと、信じておられる。

あなたの問題は

あなた自身が解決できる

ということを、きっと必ず。

 

信じておられる、というより

わかっておられる、と言ったほうが

より、その確信の内容に近いのかもしれない。

 

そこが揺るがないから、

「こんなに困っているのに!」と責められても

心屋さんは「そんなの知らんがな」と言い切れるし、

武田さんは「だいじょうぶ」と言い続けるのだと。

 

どんなに非難されようと、

どんなに「能天気すぎる」と言われようと、

使命のようなもの、と、ご自身でそう受け止めて、

やっておられる(ご本人たちもそうおっしゃっているし、

文体からも感じられる)ように、私には思える。

 

そして、これも前回書いたように、

ある人の傷の痛み、その度合いについては

他者は、完全には把握できない。

他者が「一緒に感じる」だけでなく、

寄り添いすぎて同化したり

代わりに解決『してあげたら』、

そっちのほうがよっぽど、まずい。

 

粘着性の高い宗教(そうではないものもあるから、そこは伝えておくね)の場合、

全部、と言い切ってもいいくらい、

その『まずさ』を利用していると、私は感じているのである。

 

だってね、こちらに完璧に依存させたら、

壺でさえ、買ってもらえるのだもの。

実際に売ってるものは壺じゃないけれど、

具体的に書いたら怒られそうなので、やめておくね。

 

でも本当に、こんなにボロイ話、ないよ。

しかも一生、それを続けさせ、

家族まで巻き込んでいくための仕組みさえ作れれば、

あとは勝手に、どんどんやってくれるもの。

 

何か不幸があったら、あなたの信仰心が薄いせい。

幸福が来たら、あなたの信仰心が厚いから、そのごほうびなんだよ。

痛いよね、その思い込み。はまればはまるほど、苦しそうだよね……(>_< )💦

ネットワークビジネスも、良し悪しは脇に置いてみるけど、

このモデルを流用しているように思える。表彰、とかね。

 

それくらい、弱みにつけ込むことって、簡単に相手を苦しめられるわけですよ。

極端な例を挙げれば、オウムのこと、覚えている人も、いると思う。

 

そしてこれ、個人対個人、の関係でも同じで。

共依存になると、やっていいことと悪いことの判断さえ、狂ってしまう。

あなたを守るために、を、とにかくすべての理由にできるから。

あなたのことをわかってあげているのは、世界で私だけ、になるから。

 

それがどれほど、お互いを縛り、苦しめるか、

だんだん、気づくことができなくなる。

さらにはそれがご夫婦だと、子どもにも影響が出たり……。悲しい連鎖。

 

で、最初のお二人の話に戻ると、

この方たちは、180度、逆のほうを向いて、

あなた自身の力を、あなたは、気づくことができるよ、

と『延々、言い張って』おられるのだ、と私は思っている。

もちろんそれを、楽しくやっておられる。でないと、続けられない。

 

人同士の間で起こる「共感」もそうだし、

それを仕事にしている他のカウンセラーさんも、全員が全員、

単に人の悩みを利用して、お金を取ってるわけじゃないと思えるのよ。

苦しい人にとって、必要なタイミングで、

自分に投げかけられた言葉や質問の意味に気づくときが来る。

その、気づくことが始まりそうな人たちが、

これまた必要なときに、情報を拾いにいく、というだけだろうと。

 

もしそれをボランティアでやってたら、タイミングを見逃す人も出てきちゃうし、

良識のあるカウンセラーさんも、お二人も(いくら確信犯で、楽しくやっていても)、

ひたすら出す一方なのは身が持たないから、

結果的に仕事が増えることにもつながっていったりする。

 

そういう意味では、現在、粘着質な宗教も、始まりのころは

心屋さんや武田さんに近い『志』、持っていたかもしれないよね。

全部がそうでなくても、そういう教祖様だって、いたかもしれない。

途中から、だんだん欲に傾いて、ゆがんでいったのかも。

 

要するに。

勝手に語りかける側は、自分に依存させたいわけじゃない方なら、

覚悟があってやってはいるはず、と、私には思えるのだ。

 

それは、「出す」立場になれば、すぐ気づいていけるであろうこと。

その覚悟が、確信が、どれくらい強いかで、出し方も変わっていくのだと。

 

私はまだ、認められたい欲が、自分にとってよくない方向で少し残っていて、

自分が否定されるのを、どこかでまた怖がっていて、

しかも、残念な過去の記憶が、自分をまだ、一部、恐れさせるせいで、

できていないことが、いろいろたくさんあるけれど。

 

それでもね、私もまた、なぜかは知らないが、伝えたい人、なのですわ。

本当に、究極の理由を言えば、自分がやりたいから、やってる。

あなたの力を信じていることを、なぜかどうしても、伝えたいから。

 

そして、別にそれをやるのは私じゃなくてもいいわけで、

そう、いいわけだけれど、

なぜか私も、それを伝えたい、のです。

 

ますます、意味不明になるかしら。

あなたは、本当に、あなた自身の素晴らしい力を備えていて、

その力は、あなたに見つけてもらえることを、

きっと楽しみに、心待ちにしていて、

その力は、本当に、気づいたそのときから、

あなた自身を変え、すごく楽しく、

うれしい方向へと、発展させてくれるよ。

 

私は、心屋さんほどブラックになれず、

武田さんほどピュアホワイトにもなりきれないけれど、

「すべて私がわかって解決してあげるわよ」

という方向では『一切』ない形で、

共感、と、たぶん文章……言葉の力を借りながら、

これからも、伝えたいと思います。

 

って、わー、言い切っちゃうのか? 私も(^0^;)

要するに、勝手なお節介野郎宣言にもなりましたね。すみません。

 

刺さったり、腹が立ったり、違うわ! と感じたら、

何が違うのか、何がムカつくのか、刺さるのか、さらに

なぜ自分はそう感じているのだろう

という部分を、できる範囲で、冷静に批判なく見つめてもらえたら、

本当に、本当に、幸いでごさいます。

 

私はこれからも、あなたの力を信じて、

勝手に、私のやり方で、応援していきます。

どうぞ、お許しをm(_ _)m

 

2015_03_23

Photo by justbarbara
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伝えること、受け止めること

受けた傷の痛みは、

それを受けた本人にしかわからない。

 

この言葉を書いたのは、

14歳の、当時、同級生だった男の子で、

私がそれを読んだのは、

かれこれ30年前以上昔、ということになる。

 

悲しいこと書くなぁ、と思ったけれど、

当時、彼の家庭環境はかなり複雑そうで、

いろいろ辛かったようなので、

そうか、だからかな……と、私は感じた。

 

それは一遍の詩の、始まりの言葉。

当時の私には、出てこない表現。

当然、幼いこともあって、私には

彼の苦しみの深さは、わからなかった。

 

でも、

そうか、痛いことがあるんだね、と

紙に書いて伝えて、

うん、と彼が返事をしてきたので、

それは、つらいね。

と、真面目な気持ちで書いてみたら、

その短かさゆえか、私の気持ちは彼に届いたらしく、

ありがとう、という言葉を、

返してもらえた。

 

何か役に立ったかどうかは、わからない。

ただあのとき私は、

寄り添っていたのだろうと思う。

一人の友だちとして、彼に対し。

 

当時、彼の詳しい状況なんて、何もわからなかったけれど、

それでも何かを感じたから、ちゃんと真面目に書いたのだろう。

 

そうしたら、そのことが、

当時、苦しさの中身を

具体的には他者に表現できなかった彼に伝わったから、

ありがとう、の言葉を返してもらえたのだと思う。

 

ちなみに後日、

私が失恋して落ち込んでいたとき、

また彼から「元気ない?」と

文字で尋ねられ、

「うん、失恋した。悲しい」

と返事をしたら、

「悲しいときは、星を見ればいいよ」

という返事をしてくれた。

「曇り空で星が見えなかったら?」と

質問したら、

「曇りの日は、心で見ればいい」と。

 

そのさらなる後日談として、

夜の7時に、わざわざ私の家の前まで

自転車で、小さな天体望遠鏡を運んで来てくれて、

生まれて初めて大きな月の表面と

『二連星』の姿を見せてくれたのも、この彼だった。

 

そのあと、時期をずらしてお互いに片想いし合い、

タイミングが合わなくて両想いにはならなかった……、

そんな、のちの恋が始まるもっと前の、

性別や環境や立場などは何も関係ない、

単純な友だち同士としての、心のやり取りの話。

 

相手の痛みの、その中身、度合いを、知ることはできなくても、

寄り添うことは、できるのだと思える。

共感、という気持ちを持つことによって。

 

そして逆の立場になったとき、

相手が共感してくれたという、その気持ちを、

自分が、受け入れられるなら、

ありがとう、って思えるのだと。

 

彼が言うとおり、

誰かの痛みを、まったく同じ痛さとして

他者が感じることはできないけれど。

その痛さを知らない人からであっても、

寄り添ってもらうという形で楽になれることは、

確かにあるのだと思う。

 

そして、相手や自分の痛さの『度合い』がひどすぎる場合、

受け取れないときもあるだろうし、

それもまた、そうであっていいのだと。

 

ここからは、個人的な意見。

そうしたことを知ってはいるけれど、

知ったうえでなお、

私は、ときにはあえて、断定的な表現も使うと思う、これからも。

 

なぜなら、その内容に注意を向け、

自分で反発なり、

引っかかりなり、

何でもいいからつかんで、

そこを「きっかけ」にしてくれる人が、いるかもしれないから。

 

その人自身が備えている『自分の力』。

腹が立つからこそ、

「なぜ自分がそう感じているか」を知り、

新しい考え方に気づいていく……。

その可能性が、あると思えるから。

 

ただ、そこには、伝える勇気も必要。

断定表現にまで至る勇気の度合い、

私はまだまだ、低いけれどね(ええ、怖くてまだ逃げてるね(笑)すみません)。

 

なので、たとえば心屋さんや武田双雲さんに対しては、

意見の中身云々でなく、単純にその点で、尊敬の念が湧く。

こちらからの一方的な語りかけをするときに、

自分が持つ覚悟って、そういうことなんだろうと、

今の私には思えている。

 

そもそもその文章が、勘違いの自画自賛を含む

「井の中の蛙的な説得」かどうかは、

読んだ相手にきちんと伝わると思う。

 

さらに言えば、変な話、需要と供給という面もある。

私に全部任せていいよ、

大丈夫よ、私にはわかってるよ、

と、他者を自分に依存させたいかのような人のところには、

ちゃんと、という言い方も何だけれど、

他者に依存したい人が寄っていくことも、想像はできる。

 

たとえそのあとで、新たに苦しむことになったとしても、

それぞれがお互い、抱えている問題ゆえに起こることだから、

その苦しさの経験こそが、それぞれ

「何かに気づいていけるきっかけ」

になるかもしれないよね。

 

自転車に乗る練習をするかのように、

どんな道のりでも、自分で学びにはしていけるから。

自分でいつか捉えられれば、それでもいいのだと。

それこそ他人が、先走る予測みたいな心配から

口を挟む話では、本当は、ね……、ないのだと思う。

 

最後に……。

14歳の彼の詩も、

その後のやり取りも、

全部、授業中の手紙回しだったことを伝えておきたい。

 

ゆるいおバカな中学校の、

ゆるゆるな授業時間だからこそ起こった、

他者との触れ合いの機会。

 

詩という形で、開示してもらえたことにも、

こちらにありがとうが還ってきたことにも、

のちに逆の立場で、開示させてもらえたことにも、

それを思い出せたことにも、

思い出すきっかけを与えてもらえたことにも、

感謝。

 

2015_03_22

Photo by RachelBostwick
Pixabay