月別アーカイブ: 2015年3月

私は「自分自身から」どう思われたいか

ふと思い立って、タイトルのことについて、

自分の思いや考えを、感じてみた。

 

まず今、私は私に「どう思われているのか」。

私にはまだいくつも、自分を批判している部分があって、

その「批判している私」は、

では、どうすればいいか、

という部分は何も語らず、ひたすら私を責めてくるように感じた。

 

何かを「した」という、その選択理由については一切触れず、

結果を採点するだけの人間。

 

あ、した、というのは「実際に動くこと」だけを指すわけではない。

そこに「何もしないでジッとしていた」ことも、含めたいのだよね。

なぜならそれもまた、

ジッとする

という身体や気持ち、のほうを

選択した、と言えるから。

つまり私にとっては、行動、行為の、選択枝の一つだと思える。

 

で、ならば私は自分自身から、

いったいどう思われたいのだろう、と、

それをつらつら、書き始めてみた。

 

そうしたら、最初に出てきたのは、

見栄を張りたい、にもつながりそうな、

そういう方向の言葉だったよ。

 

それでちょっと驚いて、ん? 私は、

自分自身から

表面的にいい奴(できる奴)と

思われたいのか!?

という疑問に辿りつき。

 

それはなんだか、ちょっとズレてるし、

上っ面な『自分がこうなりたい』は、やっぱり、

くだらないことにもつながりやすいように思えてきて、

うん、なんか違うよなー、と。

そんな「自分がかぶりたい仮面」みたいなことじゃないな、と感じた。

 

そこから、じゃあもっと根本的な部分で、

自分自身から、どう思われたい?

って尋ねて、書き出していったら。

 

最初に出てきたのが

「後ろめたさのないようにしたい」で。

 

ああ、どこかで、

卑怯

と自分のこと、捉えてるのかな。

 

そして、なら、自分に対して後ろめたくない私、

って、なんだろうと思えて……。

 

はい、今は、そこでいったん、

ペンを置いて、この記事を書いています。

 

こうした掘り出し、なんだか、とても大切なことに思えたのです。

 

究極的……いちばん根本の部分で、

「私はこれを選ぼう、

これを自分のいちばん最初の方針にしよう」

という視点のところにまで、今後、

いつかは、たどり着けそうな気がします。

 

誰かに対する「どう思われるか」でなく、

自分に対しての自分、

という捉え方をしてみるとき。

 

「見栄」にもつながる言葉を書き並べた、

そんな自分をクスッと笑えたりしているから、

これを掘り起こしていけば、そのうち、

私にとっての「いちばん大事」は何なのか、

探れることができそうに思えるのです。

 

で、そうやって根本部分にまで落とし込んだら、

それを大前提の基本方針として、

今度は逆に、

「私はこういうとき、何を選択すればいいかな、

大前提はこれだよ、忘れないで、私」

というふうに、具体的に使う練習に、移れるかも、と。

 

たぶん、予想だけれど、

『愛』や『ゆるやかさ』『温かさ』『穏やかさ』

何かしら、そういう方面のことが前提となり、

そこから、それを基本に、日々、どう選択していくか、につながるのだろう、と、

自分で予想している次第。

正義 は、怒りや憎しみにもつながりやすく、主張ばかりで疲れそうだしね……。

 

『自分に対する理念』

『自分についての、生き方の方針』

『自分という人間の行動方針』

を見つけてみることは、

自分という人間の「目を気にする」ことにもなるのでしょう。

 

そしてきっと、そのために、

ときには逃げる、とか、ジッとやり過ごす、

という、一見、良くはなさそうな選択枝も『アリ』になるでしょう。

そんな予感。

 

自分を、より、大切なものと感じたい。

その視点から、それらを選ぶこともありえると。

 

ということでもう少し、時間をかけて丁寧に、

自分にこうした質問を投げかけ、嘘をつくことなく深めて(卑怯、ヤダからね)、

自分のことを別の角度から見直してみたいと思えます。

 

2015_03_13

Photo by geralt
Pixabay

 

認められなくても」の部分の、自己変化

昨日の記事を書いて、

ふと、書きたくなったこと。

 

本気の「過去形」で綴れるようになった、

今の私の変化を、感じてもらえたら幸いです。

 

私は、優れていたい人、でした。

成功、という結果を残したい人だったし、

コンペで勝つ、とか、読みが当たる、とか、

良いものを作った、と誉められること、

また、その機会、チャンスを取りにいったり、「もらえる」ことまで含めて、

とてもとても、そういうことが、好きでした。

 

やり甲斐はあったし、

実際、誉めてもらえたら、すごくうれしかった。

数値での結果や、記事の視点での結果が残せた、

と感じる瞬間も、とても幸せ。

 

そういう人間でした。

 

結果が出せたら、誰でもうれしいよね、

と、当時の私は思っていて、

よい結果を密かな自慢にもしていたし、

自分が作るものに対しては、

「少なくとも自己採点で80点」、

と自分でできるだけ思えるように、やっていました。

 

もうね。

この段階で、私は自分で作った罠に、

自分で2つも、はまっていたわけですよ。

 

1つめ。

80点、って何よ。の罠。

明確な基準など何ひとつなく、

感覚的な、自己満足度で付ける点数。

 

社会人3年目の80点と、

社会人10年目の80点では、

当然、レベルが違う。

だけどそれを計る物差しは、自分の感覚。

 

数値やその他、ハッキリとした基準があるならまだしも、

自分の感覚が主体なのだから、

要はどこまで打ち込んで、どこまで自己満足できたか、だけの話。

 

客観的基準がもし、ね、あったとしたら。

社会人3年目での制作なら100点だったかもしれないし、

10年目だったら、60点に届いてないかもしれないのに、

打ち込んでいく、とか、調べて加える、とか、

そうした「のめり込む感覚」の部分で、

勝手に80点以上を目指してた。

 

しかもずっと同じ種類のものを、作っていた訳でもない。

ゆえに、自分でどんどん、「真剣に打ち込む」部分のハードルを

上げていくしかなかった。

 

で、あまり自分に向いてない制作物で、それをやろうとしたら?

無理矢理、自分に言い聞かせるしかなかった。

 

この制作物でも、レベルが低いもの、

私は、作るわけにはいかない! って。

 

また、過渡期にある制作物だったから、どんどん状況は変化するし、

そのたびに、80点以上欲しいわけだから、

出来る限りの情報は拾っていこうとするし。

 

イメージとしては、こう伝えれば分かるかな。

締め切り、納品。

つまり試験日と結果発表の日は決まっているのに、

試験範囲だけが、試験前になるにつれ、どんどん、広がっていくの。

 

中3レベルの試験だと思っていたら、勉強していく間に、

はい、この試験は勝手に高2の範囲も含みますよ-、となっていく、みたいな話。

 

実際にものを作りながら、その情報を内容に組み込もうとしたら、

そりゃ、制作の時間と、情報を調べて覚える時間に

忙殺されるの、当たり前。

 

なのにたとえ、いきなり高2レベルになろうとも、

そこで80点以上取ろうとしていたわけです。

 

無理無理。

そのことにまったく気づいておらず、

くー、情報、増えすぎじゃあ! などと

文句言いながら、やっていた私がいた。

 

さらに、ですよ。

みんな、誉めてもらえたらうれしいよね、の部分。

 

私は、実は他の人より、めちゃくちゃ執着していたのです。

「認められないと私は存在価値がない」と、

陰で自分が、はっきり思い込んでたから。

 

言ってしまえば、

他の人なら「普通にうれしい」こと、の範囲を、

私ははるかに、はるかに超えて、

そりゃもう、ものすごく喜んでいたようなわけで。

 

自分の存在意義を、認めてもらえた、の感覚。

この、他の人とのうれしさ度合いの差にも、全然、気づいてなかった。

っていうか生まれてこの方、そんなの、まったく知らなかったよー。

この「うれしさ度合いの差」が、2つめの罠。

 

もはや達成しないといけない!! の

強迫観念に近いものを持っていたのに、わかってなかった。

 

この2つが揃えば、どうなるか。

想像つきますよね。

 

そう。年を経れば経るほど、

職種としての経験値が上がれば上がるほど、

自己満足できるラインがアップしていき、

どこまでやったら達成したと思えるか、

自分でもわからなくなっていった。

 

何の目安もないのに、やってみるしかなくて、

ハードルを、上げざるを得なかったわけです。

 

実際に、作ったもののレベルが高かったかどうか、

ぶっちゃけ、わからないのにね。

判断の目安も、お客さんの感想くらいしかなくて。

 

セールスプロモーションなどで、売れ行き等、

数値化できる範囲が明確にあるものの場合は、

まだ良かったのだけれど。

 

そうではない制作物のときは、

あくまでお客さんの主観的感想、みたいな話だったから、

余計、歯止めがなくなって……。

 

基準のない自己満足ハードル、どんどん上げっぱなし。

コンペで勝つのも、お客さん(=その年の、担当者さん)の主観なのにね……。

 

ということで、自分に課すキャリアアップ、のイメージが、

上とか言いつつ、実はとんでもない方向へ進んでいったわけです。

 

そして当然の結果として、ある日プツッと、燃料切れ。

そりゃそうだ、ただの自己満足ハードルだもの。

その裏に「認めてもらえないのが怖い自分」がドカーンと潜んでて。

 

際限ないワーカホリック方面への突っ走りでした。

その道のりの途中、途中で、

大人の麻疹になって入院してみたり、

壊死性リンパ節炎になってみたり、

最後のほうは謎の発熱、繰り返してみたり。

 

身体全体からのSOS、いろいろと出ていたのに、それでもやめなかったのは、

ひとえに、本当は怖かったから、だったのですね。

おバカさん……。

ええ、バカ者でございました、本当に。

 

で、今の私になって。

うん。認められたりしたら、やはりうれしいし、ありがたいね。

でもあそこまでの執着は、しないですむ感覚。

疲れたら休めるし、そもそも、達成よりも、

味わえることを喜んでいっていいのだと思っています。

 

さらに。

親の期待からは、外してもらうよう、

本人たちに、ハッキリ伝えられました。

私が勝手に解釈して、勝手にプレッシャーに感じてしまうから、

その方向、私はもう受け止めない、

ということを、

やっと、やっと!

今年の初めに、親に言えた……。

 

実際、親からしてみれば、

とんでもないダメな子ども、と思われることも、すでにやってる。

だから今の親にとって、今の私は、かなりの親不孝者だろう。

 

でもね、自分が力まなくなって、

普通レベルの「誉められ好き」へ変化していってる今、

他者からどう思われるか、よりも、

自分が自分のこと、どう思うかのほうが大切。

自分を広くゆるめる練習も、まだやりたいし、

これまでとは違う方向で、

自分をきちんと、それなりに、ゆるいまま、

成り立たせてあげられるようにもなりたい。

 

ゆるやかに、呼吸していきたい。

温かいものをたくさんたくさん、感じたい。

それはとてもラクだし、ホッとできるし、

ときどき、キラキラするものも還ってくるし、

過去の経験値も、まったく役に立たないわけでもないし。

 

バカやって、壊れて、ぺしゃんこになる、

それでやっと気づけるレベルの、

本当にマヌケな私ではあるけれど。

 

私は、何が好きだろう?

私は自分に、何を楽しませてあげよう?

と、改めて思えるようになった今の日々には、

本当に感謝できる。

そこにたどり着けるまでに新しく出会った、

たくさんの温かい人たちにも、本気で感謝できる。感謝している。

 

過去のよい部分の記憶と、

今の自分の、よい部分、

および、悪くはない部分を

上手に使いながら、

これから、また、私は、別な方向へ、伸びていく。

日々の、いろいろを、楽しんでいく方向へ、伸びていく。

 

そうありたい、と思えるようになった、

すべての出来事、もの、人に、改めて感謝を捧げます。

バカさ加減に気づけたのだから、

ボッキリ折れた、あのときの自分にも、ね。

 

もう、怖くて耐えることも、

認めてもらいたがりすぎることも、

あのバカ者加減も、私には、いらない。

やっと、きちんと、そう言えると、

今、自分で思う。

 

2015_03_09

Photo by jojo nicdao
ID:201502272000
GATAG フリー画像・写真素材集 4.0

 

思い通りの…… ~その3~

今回の記事、その1、2はこちらから。

◎思い通りの…… ~その1~
http://miharu.feeling.jp/?p=2820

◎思い通りの…… ~その2~
http://miharu.feeling.jp/?p=2822

 

あなたは、自分に価値がないと今、決めている、

そう「決意」しているからこそ、

どんどん、ますます、自分に価値がないことを、

毎日、自分で信じられている。

 

それほどまでに……自分は気持ちがダメな状態である、と、

自分だけでなく、周囲に認識させられるくらいにまで、

あなた自身が、自分について、決められる意志、意識、気持ちを

今、持っているのです。

 

実はそれ、すごい力ではないですか?

 

ということは、あなたのその力を、あなた自身がまた、

別の方向へ意識して練習していけば、

同じようにその力を使えますよ、間違いなく。

 

すでにあなたは、あなたが見つめている、まさにその通りの自分を今、

実現させている……と言えるのですから。

 

すでに、あなたの思い通り。

それが今は、自分にとって、苦しい方向であるだけです。

あなたには、すでに、現実を変える力がある。

そのこと自体は事実です。

 

そして、そのどこが『ダメ』で、どうしようもないこと、なのでしょう?

 

他者がどうしても関わってくる?

たとえば他者の嫌な面は、反面教師として使うための材料として、自分が扱う。

あるいは自分との「違い」を知ることで、

自分は、いったい何を大切にしているのだろう、など、

自身のことを理解するためのきっかけには、していけませんか?

自分の良さを、関わってくる他者から、見つけられませんか?

そうやって、すぐには状況が変わらなくても、まず自分が

暗い感情だけに浸かるのでなく、明るい方向を、意識する練習、していいのです。

 

過去の経験を、今、自分が苦しむ原因として、

ずっと使い続けていくことが、どうしても必要な理由……。

そういったものは、よほどの例外(犯罪などでの反省)を除いて、

実は、とくにありません。

犯罪もまた、それを自分の責任として認識し、

自分のバネ、にしない限り、自分にとって良いほうへは変われません。

 

自分の中の怒りや悲しみの『感情』のほうは、

確かにすぐ、消えないこともあるでしょうが、

その感情から呼び起こされる記憶のほうは「わざと使い続けていく」必要がない。

 

……使い続けていくメリットがもしあるとすれば、

自分がやったことについての原因が、すべてそこへ流れ着いていく、

そうした「自分が失敗や悪いことをする場合の、責任の源流」として、

自分に言い聞かせる……そしてごまかすため、かもしれません。

 

あえて言うならそれもまた、結局は

自分のために、使っている力ではあるのですが。

自分に対する言い訳、自身にそれを言い聞かせるために、

自分や他者のダメさ(しかも過去まで含めた諸々)を悪の親玉として使い始めたら……。

自分の中の苦しみを、これからもどんどん、延々、増やしていくだけですよね……。

 

そして。

最初の話に出した、いつも楽しそうにしているあの人、は、

あなたが嫌っている相手かもしれません。

でも、その人の「気持ちの切り替え方」は、参考にできるかもしれませんよ。

引きずらない、わざわざ考え続けていかない、

あるいは、なんらかのバネにする、という点において。

 

もし、憧れているなら、なおさらよい機会です。

その人のやり方を盗んでいってください。はい、自主的に。

誰か立派な人に教えを乞いにいかなくても、

目の前に、素晴らしい参考資料、見本が動いています。

 

あなたにもその資質が隠れているからこそ、気になって「憧れ」にもなる。

これは、心理学やスピリチュアルでよく言われている話ですが、

ある意味、真実だと、今の私には思えます。

 

思った通りの、人生。

それを、自分にとっての、罰ゲームのほうで、選んで使うのではなく、

自分にとって、うれしいこと、ありがたいこと、心が温かくなることのほうへ、

使ってはみませんか?

未来は、誰にとっても、自分の想像の範囲を超えたものを含むのですから。

 

そう、自分にとって「完璧に素晴らしいだけ」の未来を確定できて、

本気で安心できる人は、この世の中に、存在しません。

「思った以外」のことが起こるからこそ、

思いがけないうれしい出来事もまた、起こり得るのです。

 

想像した通りにしか、人生が動かなければ、必ずいつか、退屈になりますよ。

人間ひとりが考えうる範囲は、そこまで立派に完璧に拡大できて、

すべてをフォローできるようには、なっていないですから。

 

もし万が一、その力がある個人、がいたら?

きっとそのとき、その人は、自分と周りのみならず、

政治・経済・天候、世界情勢その他まで全部、

毎日隅々まで、コントロールしていかない限り、

自分の狙い通りの世界、完璧には出来上がらないでしょう。

どこかで必ず何か「自分にとっての問題」が起こり得ますから。

 

そもそも、そんな巨大な視野と実力を持った人のこと、

私たちは「神さま」と呼んでいたりしませんか?

 

現実ではないのです。

まあ、それを狙っている、妄想している人も、

世界のどこかにはいるかもしれませんが、

そんな妄想に囚われる一生も、すごく大変だろうな……と、私には思えます。

 

どうか。

決まっていない未来を、なぜ自分は、

否定の方向へのみ、自分のために限定させていこうとしているのか、

なぜ、そちらの方向へ、自分の力を発揮させ続けているのか、

その理由、原因のほうを、いつか、ひも解いてみてください。

 

そしてあなたのその力を、あなた自身が、より、温かくなれる方向へ、

これから先は、使っていっていただけますように。

 

2015_03_08_3

Illustration by Vector Graphics
ID: 201501290100
GATAG フリーイラスト素材集