社会の「役立たず」になった私。
朝日を浴びるのさえつらくて、働けない私。
生きてるだけで、ご飯を喰らう私。金のかかる私。
こんな私が、また働けるようになるなんて、想像できない。
だめだ。要らないよ、私なんて。
今思えば、これがいかに極端な思いだったかわかる。
社会とかけ離れた自分。
「社会」対「私」。
負け。
社会と自分なんていう比較、本当はあり得ないよね。
でも、そこから逃げ出せなかった。
立ち直る方法なんて、まったく思いつかなかったから。
実際、まったく動けなかったから。
そして「死ぬ」という選択が、自然に現れた。
例えて言うなら、暗いトンネルを歩いて、
気づいたらなんだか目の前に薄暗い出口があった、という感じ。
その出口の先はT字路になっていて、
右に曲がれば生きる、
左に曲がれば死ぬ。
ああ、それしか選択肢がないんだなあ、と思った。
この気持ちのまま生きてるだけじゃ、出口の見えない真っ暗な袋小路だ。
でも、その選択肢なら、今の自分でも選べる。
そこなら、出口になる。
どうやったら、死ねるかな。
死ぬのは怖いけど、楽に死ねる方法、あるのかな。
だって、こんな私が生きていい理由なんて、わからないものね。
だいたいさ、生きることに、どんな意味があるんだよ。
そうして、楽な死に方と同時に、生きる意味を、ネットで検索する日々が始まった。
~つづく~