苦しかったときのこと(3)

社会の「役立たず」になった私。

朝日を浴びるのさえつらくて、働けない私。

生きてるだけで、ご飯を喰らう私。金のかかる私。

こんな私が、また働けるようになるなんて、想像できない。

だめだ。要らないよ、私なんて。

今思えば、これがいかに極端な思いだったかわかる。

社会とかけ離れた自分。

「社会」対「私」。

負け。

社会と自分なんていう比較、本当はあり得ないよね。

でも、そこから逃げ出せなかった。

立ち直る方法なんて、まったく思いつかなかったから。

実際、まったく動けなかったから。

そして「死ぬ」という選択が、自然に現れた。

例えて言うなら、暗いトンネルを歩いて、

気づいたらなんだか目の前に薄暗い出口があった、という感じ。

その出口の先はT字路になっていて、

右に曲がれば生きる、

左に曲がれば死ぬ。

ああ、それしか選択肢がないんだなあ、と思った。

この気持ちのまま生きてるだけじゃ、出口の見えない真っ暗な袋小路だ。

でも、その選択肢なら、今の自分でも選べる。

そこなら、出口になる。

どうやったら、死ねるかな。

死ぬのは怖いけど、楽に死ねる方法、あるのかな。

だって、こんな私が生きていい理由なんて、わからないものね。

だいたいさ、生きることに、どんな意味があるんだよ。

そうして、楽な死に方と同時に、生きる意味を、ネットで検索する日々が始まった。

~つづく~

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