当時は、練炭集団自殺が流行り出した頃で、
いわゆる「自殺裏サイト」も今ほどの規制がなく、簡単に見つかった。
一緒に死んでくれる人を、探している人。
私と同じように「少しでも楽に死ねる方法」を、尋ねている人。
死にたい思いを淡々と書き連ねる人。
実行しようと思ったものの、できなくてつらい人。
それを「死に損ない」と非難する人。
それに反論して、擁護する人。
さらには「どうしたの?」と優しく話しかける人。
そういった人たちが、2ちゃんねるのようなサイトで、うろうろしていた。
自分と同じ思いをしている人たちの言葉を読んで、
共感したり、イヤになったり、自分でも、死に方を尋ねてみようかと思ったり。
そういう時間を過ごしながら、一方で、
宗教的な、哲学的な「生きる意味」も探していた。
まだ、本は、あまり読む気になれなかった。
これは鬱病の特長でもあるらしいけれどね。
Amazonなどでレビューをみて、どうしても気になるものだけ買って、
半強制的に、少しずつ、読んだ。
でも、太田出版の「自殺完全マニュアル」だけは、買う気になれなかったな。
死にたい自分を、やはりどこかで、恥ずかしいと感じていたのだと思う。
この状態が、2ヵ月続いた。
死にたい、でも怖い、
生きているのはつらい、
でももしかして、生きている意味が、
生きていい理由が、見つかるのだろうか。
出口をすぐに、右か左かに曲がるのが、単純に怖かった。
でも、会社と相談した休職期間は、3ヵ月。
今のままでは働けない。どうしよう、選ばなくちゃ。
そう思っても、答えが出せないまま、迷っていた。
~つづく~