苦しかったときのこと(4)

当時は、練炭集団自殺が流行り出した頃で、

いわゆる「自殺裏サイト」も今ほどの規制がなく、簡単に見つかった。

一緒に死んでくれる人を、探している人。

私と同じように「少しでも楽に死ねる方法」を、尋ねている人。

死にたい思いを淡々と書き連ねる人。

実行しようと思ったものの、できなくてつらい人。

それを「死に損ない」と非難する人。

それに反論して、擁護する人。

さらには「どうしたの?」と優しく話しかける人。

そういった人たちが、2ちゃんねるのようなサイトで、うろうろしていた。

自分と同じ思いをしている人たちの言葉を読んで、

共感したり、イヤになったり、自分でも、死に方を尋ねてみようかと思ったり。

そういう時間を過ごしながら、一方で、

宗教的な、哲学的な「生きる意味」も探していた。

まだ、本は、あまり読む気になれなかった。

これは鬱病の特長でもあるらしいけれどね。

Amazonなどでレビューをみて、どうしても気になるものだけ買って、

半強制的に、少しずつ、読んだ。

でも、太田出版の「自殺完全マニュアル」だけは、買う気になれなかったな。

死にたい自分を、やはりどこかで、恥ずかしいと感じていたのだと思う。

この状態が、2ヵ月続いた。

死にたい、でも怖い、

生きているのはつらい、

でももしかして、生きている意味が、

生きていい理由が、見つかるのだろうか。

出口をすぐに、右か左かに曲がるのが、単純に怖かった。

でも、会社と相談した休職期間は、3ヵ月。

今のままでは働けない。どうしよう、選ばなくちゃ。

そう思っても、答えが出せないまま、迷っていた。

~つづく~

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