延々と説明してきた「今、わかっていること」だが、最後に、まとめのとどめから(笑)
身体のことは今のところほとんど「仕組み」についてしかわかっていない。
それもまだまだ、わからないことだらけだ。
でも身体の細胞は私たちの意志に関係なく、生まれて、生きて、命を全うしようとしている。
そして、その身体を物質的に見ると、その究極の姿は、今のところ
「確率論」的なものになってしまう。
「たまたまそれを見る人」の状況によって決まるもの、なのだ。
もちろん、専門家は「どうしてそうなるのか」を知りたがった。
もはや観察できない(実験はできない)から、それは理論上で追求されているわけだが……。
これがね、笑える。理論上では、私たちの生きている世界がたぶん「11次元」まで存在していないと、
「だからそうなる」とはきちんと言えないらしいのだ。
しかも、このように「絶対に定まった」世界は存在せず、
今の私たちには感知できない次元、世界もある、という状態。
……これってね、東洋の神秘家(主にインド系の方々でしょう)が言ってきた世界観と、
まさに同じだったらしいよ。
これには学者も慌てた。当然、アメリカやヨーロッパなどで、
この神秘家たちの教えと、自分たちの理論のすりあわせ研究なんかも行われ、
学者の中でも「神秘家たちは、世界を直観で捉えている可能性を捨てきれない」という人が現れ、
それを否定するために「彼らの話には根拠がない! 私たちの話はちゃんと理論的に
正しいと確かめられている!」と、わざわざ声明を発表する学者もいたらしい。
もう、大混乱になったわけだ。
そもそもこうした理論が生まれるきっかけになったのは、かの天才、アインシュタイン氏が、
「時間や空間は、絶対に一定じゃないよ~」と言い出したから(しかもこれ、
ヒラメキで思いついたというからスゴイよね)。
でも、そのアインシュタイン氏でさえ、この理論は認められなかった。
物質が確定した性質を持たないなんて、彼は最後まで「許せなかった」そうなのである。
あれほどの天才であっても、自分が文字通り「ひっくり返した」世界のその先までは、
認められなかったんだね……。
で、脳のところで書いた、気持ちが身体の状態を左右する理由も、もちろんわかっていないし、
そもそも「気持ち」「感情」の研究は、今のやり方のままではできないらしい。
観察しても、脳のある部分で「電気信号がやりとりされている」ことしかわからないからだ。
喜んでいることはわかっても、その人がなぜ、喜んでいるのか、どんな状況を思い浮かべ、
どんな言葉を思い浮かべて喜んでいるか、科学は今のところ、調べようがないわけである。
じゃあ気持ちの「元」の部分は、私たちのどこから湧き、どうして頭での「思考」となるのか。
これを知るためには、それこそ「思考エネルギー」とか、人の持つパワーとか、
目に見えない、調べられないものを今のところ、仮に想定してみるしかない。
でも学者さんたちは、調べられないものを理論だけで認めたくないので、研究自体、進んでいない。
心理学では「潜在意識」が想定されているけれど、これもひとつの説、理論でしかない。
かくして。
物理学的にも科学的にも、SFか? 宗教か!? とツッコミを入れたくなるような世界が、
実は私たちの基本らしく、わかっていないことのほうが、ずっとずっと多いのだ。
わかっているのは「絶対」というものはなく、
すべてはあいまい、ある意味、確率の範囲内なら何でもありってこと。
だから今、「絶対こうなるに違いない」「世間というものはこうである」「だから私はダメだ」と
捉え、絶望しているあなた。
その世界は、「あなたがそのように見るから、そうなっている」と、ある意味、科学的に言えるのだ。
世界は観察者の状態によって、変わるのだから。
現実に、目に見えている世界があるじゃないか、って?
だってすでに、犬の世界はモノクロらしいよ。モグラは世界を、目で見ていない。
その点だけでさえ、世界は一つの姿ではない。
私には何もない、と思っている?
星とガス以外、何もないとされていた宇宙の真空空間には、
実はなんらかのエネルギーがうっすら、あるいは充満、
とにかく「すべてに行き渡って」いて、何か、働いていることが
わかってきたらしいよ(仮につけられたそのエネルギーの名は、よりによって「暗黒物質」!
ダースベイダーが喜びそうだ……(^^;))
可能性的には、何が影響して、どう変化するか、わからない。
目に見えない、感知できないものが、あなたを変えていく可能性すらある。
それはもはや、別次元からやってくる確率的な可能性として、科学の範囲内で、あり得る話なのだ。
これは宗教家の説話でもなく、希望的観測でもない、物質にさえ当てはまる事実。
そして世間的に立派なあの人も、私も、花も家も水も岩も、みんな同じで、みんなあいまいなのだ。
……だからさ。なぜ生きているのかわからなくても、
今、世間のことが「わかっていない」、ダメで、いい加減な私は、
物理学的にも、科学的にも、ある面、当たり前で普通の姿なのだよ。
何も確固たるものはなく、あいまいなまま。それでいいのだ。
やっぱりそれでも、この先、自分の何かが変わっていく可能性って、信じられないかな?