身体と同じように、心も休めさせられれば……

鬱々とした気持ちのときは、悪いことばかりが頭の中に浮かぶ。

過去の自分。

これまでに起こったことを思い出し、自分に嫌気がさす。

苦手な人との会話で傷ついた自分。

直接的な原因ではないはずの、古くて嫌な想い出まで浮かぶ。

たとえ、誰かのせいで今の状態になったとしても、

その人を恨みながら、どこかで、そう受け止めてしまった自分を責める。

今の自分。

何もできない自分にも、嫌気がさす。

どうしたらいいのか、まったくわからない。

焦っても何も変わらず、身体も力が湧かず、言うことを聞いてくれない。

魔法の杖を振ってくれるおばあさんは現れないし、

医者や専門家に聞いても「しばらく様子を」と言われ、悲しくなる。

この先の自分。

ますます希望は持てない。

いつ治るか、そもそもこの状況から抜け出すなんでできるのか、と思う。

できる、いや、できるはずがない、と自問自答を繰り返す。

それだけでもう、疲れてしまう。

こうしたことは、折れて傷んでしまった心を、治していく最中に起こる。

でもこれは、実は自分でその心の傷口を、刃物でグサグサと傷つけているのである。

足を複雑骨折したとき、ギブスもせず、安静にしているのもイヤで、

無理矢理、歩こうと努力するだろうか。

高熱が何日も続いてフラフラなのに、そんな自分が許せなくて、

ずっと起き上がり、家事や仕事を延々と、続けるだろうか。

無理矢理に、ご飯をいつも通り食べ続けるだろうか。

身体に起こる病気や傷は、「安静にして治すもの」と、自分で理解できている。

そういうものだと、周囲も認めてくれている。

骨がくっついてから初めて歩く練習をするし、

熱が下がってから初めて、ご飯の量を増やし、軽い家事から始めるだろう。

なぜ、心の傷だけ、それができないのだろうか。

自分に心地いいものだけを側に置き、好きな音楽やマンガ、テレビや本を楽しみ、

あるいは食べて、ゆっくり寝て、まずは傷を治す必要がある。

傷が治ってきてから初めて、リハビリは可能になるのだ。

折れた足のまま動き続けたら、治癒にも時間がかかり、足は変形するだろう。

高熱のまま動き続けたら、別の病原菌にもやられ、たいへんな事態になるかもしれない。

死にたくなるほど苦しいから、今は、余計に。

あなた自身が、ぬくぬくと自分を守り、いたわらなくてはいけない。

泣いて、感情を発散させるのもいいだろう。

それは決して「甘え」ではない。心の治療なのだ。

私は、これに気づくのが遅かったから、余計に時間がかかったように思う。

リハビリを開始できる時期は、自分でも感知できる。

もし、いたわっても時間がかかったとしたら、それはそれだけ、あなたの傷が重症である証拠だ。

涙はかまわない。でも、頭の中でイヤな思いだけがグルグルと渦巻き始めたら、

どうか「あ、また自分でグサグサやってる」と、思ってほしい。

こうした思いは、必ず浮かぶだろう。そのときには好きな音楽でも聴いて、

あるいはもう寝て、その思考を自分から切り離してほしい。

どうか、自分が楽になれる時間を、今は少しでも過ごせますように……。

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