さて、昨日の続きで、次はマザー・テレサ。
彼女は18歳のときカトリック系の修道女として英国統治下のインドに赴き、
教会内で子どもたちに地理などを教える教師として長年務めたのちに、
38歳から単身スラムに入り、瀕死の人々を救う活動を始めた女性である。
私が知っているのはノーベル平和賞受賞後の、お年を召された彼女だけだし、
本屋でよく見かけるのは「神の言葉としての愛」を語ったものだったりするので、
はなからもう、信仰心の厚い、強い女性なのだろうと思っていた。
が、たまたま目にとまった「マザーが唯一、公式に認めた評伝」という肩書きの本を読んでみたら、
信仰心はもちろん厚かったが、スラムで活動を始めた初期の頃には、
その彼女でさえ、孤独感でくじけそうになっていたことが書かれていたのだ。
考えてみれば、そりゃそうだろう。独立運動、イスラムとヒンズーの国家分離、大飢饉、その他で
国中が荒れ果て、難民、流民が街中でバタバタと倒れている状態なのである。
いくら信仰心があっても、3枚のサリーと十字架、ロザリオ、頑丈な皮サンダルだけ持って
スラムへ入り、家を探して、女性がひとりで活動を始めたのだ。
彼女は、神から使命を受け取ったため(何らかの言葉が降りてきたらしい)、
この活動を決意し、托鉢という形で寄付集めまでする。無理解な人々に怒りながらも、
学校や診療所を次々に作っていった。手伝ってくれる元の教え子などはいたが、
最初の2ヵ月間はスラムでひとり暮らしだった。身の危険も感じただろうし、
その孤独さゆえに、長年暮らした修道院の温かさを思い返すのは、当たり前の話だろう。
無理ならば戻ってきてもいいと、指導者的立場の神父から言われてもいたため、心が揺らいだようだ。
彼女は神父への手紙で、涙を流しながら孤独に耐えていることを書いている。
「私は耐えられるでしょうか。神よ、弱さと闘う勇気をください。私は間違っているのでしょうか。
慈悲深き母よ、どうぞあなたの子どもに哀れみを」(※)
彼女もまた、こんな弱い面を持っている、ひとりの普通の女性なんだ、と、初めて知った。
それでも「なぜこんな試練を」とは書いていない。「やれる勇気」を求めているだけである。
彼女はすでに、街中で倒れている人を、自分が少しでも助けられると「わかって」いた。
それは物理的な世話とともに、精神的にも安らかになってもらうという仕事であり、
今の自分にそれができると信じていたから、教会を離れたのだ。
「私にできることは、目の前の人を救うことだけです」と彼女は何度も述べている。
そこに神の姿をみるから、である。彼ら一人ひとりが、キリストの姿なのだ。
「そう思ってなければ、さすがにお世話はできませんよ」と、なんと彼女自身が語っている。
だからだろう、彼女の行動はシンプルだ。規律に沿って生活しながら、目の前にいる人を助け、施設を作り、
必要なら托鉢なども行い、困ったことが起きたら即、どうするか考えて対処する。その繰り返しなのだ。
彼女としてはただ、そこにいる一人ひとりのキリストに、手を差し伸べ続けただけだったのだろう。
でもそれは、やがて周囲の人々を動かし、インドの街から「道端に倒れたまま亡くなっていく人」が消えていく。
さらにその活動は、世界中へと結果的に広がっていくのである。
たぶん、助けた人々や、その家族から受け取る感謝の言葉に、彼女は日々、支えられてもいただろう。
奉仕は行ったあとで初めて、「人の役に立てる喜び」という恵みを自分にもたらすのだ。
それにしてもただ素直に「これを、私はやる」と思えた彼女はすごい。
肉体的にも精神的にも、単に思い入れが強いだけでは続けられなかっただろう。
そしてその清貧さ、我欲のなさ、世界の捉え方はもちろんのこと、何も求めず先に差し出したからこそ、
結果としての恵みを受け取っていた彼女のその姿勢が、昨日のマイケルとは対極にあるように
思えるのは、私だけではないだろうと思う。
今の自分が差し出せるものをシンプルに差し出し、それが役立つことで、気持ちの上で恵みを受け取る。
目の前の小さなこと、たとえば席を譲るとか、迷っている人に声をかけるとか、ゴミを拾うとか、
そういうレベルであっても、もし自分が日々、無理のない範囲で自然にできるようになれば、
きっと今より少し、穏やかな気持ちで生きていけるような気がする。私も、やってみよう……。
マイケル、マザー、学びをありがとうございました。どうか今は、安らかに眠られますように……。
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※出典:上記「愛の軌跡」p86