昨日は、津波の中継映像などを見て、どのように言葉を紡いだらよいのかわからなくなりました。
あの中でまさに今、お亡くなりになられている方がいらっしゃるであろうと思うと、
見ていることさえ不遜な気がして、ただ、心苦しく、悲しくて、途中で映像を切りました。
被災された方やそのご関係者、あの地域をよくご存じであられる方は、今、大変、おつらいことと思います。
慰めの言葉をお伝えしたところで役に立つかどうかわかりませんが、
どうか、悲しみを少しずつでもいやせますように、お祈り申し上げます。
戦争などが起こると、自死の数が減るそうです。
毎日のくらしに生死がかかるとなると、自死という選択を悩んでいる場合ではなくなるのでしょう。
また、自分で死を選ぶのはいいけれど、他国の人に爆弾等で無理矢理、死をもたらされるのはゴメンだと
思うのかもしれません。
昨日、亡くなった方々も、あのような形で自分に死が訪れるとは、思っておられなかったでしょう。
突然の、逆らいようのない死の訪れ。
友人の事故死のときにも感じましたが、それは怖くてつらい、悲しい出来事です。
そしてたぶん、そう感じることは「人間という生物」としての本心の一つなのでしょう。
死後の世界があるかどうか、私にはわかりません。来世というものがあるのかどうかも、わかりません。
ただ個人的には、今回のように突然、死を迎えてしまわれた方たち、
生きたかったのに亡くなってしまわれた方たちが、もう一度生きて、
今度は突然ではなく、最後まで幸せに人生を全うされる可能性があればいいと思います。
何かの本で読んだ話だと思いますが、中国の、とある自殺名所の川の側に、
人助けをするおばあさんがいらっしゃるそうです。
死にたい人が飛び込んだとき、彼女が長い竿を差し出すと、ほとんどの人が、
反射的にその竿をつかむそうです。死にたいはずなのに。
つまり本当に死のうと思っていても、最後の最後に、生きていたくなる可能性があるということです。
そのおばあさんのような人がいてくれれば、幸い、ふたたび生きることができますが、
いなければ、「やっぱり死ぬのはイヤだ」と思いながらも、無念の気持ちで死んでいくことになります。
昨日、痛感されたと思いますが、自分にいつ、どのような形で死が訪れるかは、予測ができません。
でも間違いなく、いつか、自分にも死はやってくるのです。
だからどう、というその先のことは、私に言う資格がないかもしれませんが、
いつか必ず死ぬのであれば、今、本当に急ぐ必要があるのかどうか、
自分は本当に、後悔など絶対に一切しないのかどうかを、もう一度見つめていただければと思います。
今は、生きる希望がまったく見えないとしても。
明日には、1年後には、わかりません。
この先の道が見えない方は、どうせ死ぬのであれば、一度、可能な範囲で情報・物資の提供や
被災地でのボランティアなど、直接、人の役に立てることをしてみるのもいいかもしれません。
自暴自棄になって犯罪などに手を染めるのではなく、素直に、真摯に、人の役に立ってみる。
死ぬ前にあとひとつくらい、そういう経験をしてみると、
その中にまた、道が見えてくることも、あり得るだろうと思います。
今日は思いつくままに書き連ねました。つながりのない話ですみません。
最後に、亡くなられた方のご冥福とともに、できるだけ多くの方が助かりますよう、
また、心が傷ついた方々がどうか気をしっかりお持ちになり、
いつの日か立ち直られていかれますよう、心からお祈り申し上げます。