マイナス思考からの脱却(3)

さて……。

「死」しかない、と思っていた自分が、「生きててもいいのかな」に変わり、

「どうしたらいいのだろう」がわいてきたとき。

ここからが大きな変化のスタートとなる。

それはもう姿や形まで変わる勢いの、変容(メタモルフォーゼ)、生まれ変わり、ともいえるくらいの

変化をしていける、ひとつのチャンスとなりえるのだ。

これまでの人生、これまで苦しんできたこと、これまで楽しんできたこと。

これまで「正しい」と思ってきたこと、「こうあるべき」と思ってきたこと。

もろもろすべてが、変わっていく。

これは正直、怖い人も多いと思う。単純に、「未知のゾーン」に突入していくからだ。

経験したことのない生き方をすれば、これまでの経験則が役に立たないこともあり、

「新たに自分で」感じ、それを考え、思いに変えて、行動していくことになる。

今までの長い道のりで慣れ親しんだ、「自分なりに捉えた成功法則」から離れていくのだ。

とくに、ものすごい成功(と自分で思えるもの)を経験し、そのあとで気持ちが壊れてしまった人は、

そんなことをわざわざする必要があるのか、イヤだ、とさえ、思うかもしれない。

わざわざする甲斐は、ある。

あなたがこれまで知らなかった価値観、知らなかった生き方、知らなかった人間関係、に出会えるから。

しかもそれは、ほとんどの場合「こんなふうにしてもいいのか!」という驚きと、発見の喜びと、

「楽しそうだ」と思えるような感覚つきで、現れてくる。

別に、楽観視しているわけでも、いい加減な慰め話をしているのでもない。

人は「知らなかった他の明るい世界」を垣間見たとき、ワクワクするようにできているからだ。

冒険、探検。生きていくうえで、それを行えるのである。

ただし、そのためには「慣れ親しんだつもり」の価値観や生き方、考え方を手放す作業が伴う。

その部分がやっかいであり、実際、大変だったりするのだ。

でも、考えてみてほしい。

もし、その価値観や生き方、やり方があなたにとてもフィットしていて、自然体で過ごせていたら、

そもそもあなたは、心の暗闇をのぞくことはなかった。

たまたま「周囲の人」や「身体の具合」のせいで、自分の気持ちが暗くなったとしても、

今までの枠のなかで十分、自由に切り替えていけるはずだ。

それができなかった、ということは。

どこかで、あなたが「何か無理をしていた」のである。

合わない「ヨロイ」を身につけていた、という表現なら伝わるだろうか。

そのヨロイは、親など周囲の人から受け継いだものかもしれないし、

自分が生まれて以降、徐々に手に入れて、組み立ててきたものかもしれない。

でも、今はもはや、どこかが「合わない」のだ。

組み立て方を間違っていた場合もあるし、もしかして、総取っ替えする必要があるかもしれない。

一部修理で済むか、ほとんど全部、新品へ交換するか。どれが当てはまるかは、人によって違うだろう。

ただし、次のヨロイは、ものすごく強いものになる。

なぜなら、あなたが「一番弱っている状態で、改めて組み直す」からだ。

最悪の事態の自分で、それでも大丈夫な価値観や考え方を身につけていくのである。

たぶん本当は、それこそが「ゆるがないもの」であり、あなたの「幸せの元」だったのだ。

ヨロイを組み立て治す作業では、痛みを伴うこともある。

なぜ自分が、こうして心の闇をのぞくようになったか、ヨロイのどの部分が合わなかったのか、

改めて見つめ直し、はずす作業が必要だからだ。

合わない部分にも、これまでの積み重ねがあり、思い出があり、

自分が大事にしてきたものが、ある程度詰まっているだろう。

それを「合わなかった」と認めること自体、つらいかもしれない。

でも、これまではそれが必要だったかもしれないけれど、これからはもう、いいのだ。

感謝して、手放していこう。

手放す方法そのものについては、今の私には語る資格がない。

誰かに手助けしてほしいなら、職業的には、医師やカウンセラーなどがあたることになるだろうし、

それ以外にも、もっと心の支えが必要なら、怪しくないと自分で思える宗教方面、

たとえばお寺へ説法を聞きにいったり、座禅してみたり、聖書を読んでみたり。

同じように「弱った」経験を持つ人たちの集まりへ参加する方法もあるかもしれない。

たぶん、そこに至った状況次第で、それぞれに「求める助け」も違うと思う。

そのすべての個別例を、私はここで語ることができないし、すべての人に共通するやり方はたぶん、

ないのだと思う。以前にも書いたが「魔法の杖を振ってくれるおばあさん」はいない、ということだ。

あとは、気になった本を読むことや、信頼できる人と話してみたりすることも、変わるきっかけになる。

とにかく自分を遠くから見直してみて、「交換が必要な部分」を探るつもりで、やってみてほしい。

これまでとはまったく違う本が目にとまったりすると思う。

ただし。自分が「組み立て直し」の最中であることは、十分に意識してほしい。

その部分の、心のヨロイは今はない。だから周囲から攻撃を受けると、これまで以上に弱いかもしれない。

とくに、これまでの価値観では、単純にこなしていけない部分(高給を取ってバリバリに出世する、とかね)で

あなたの「責任」を責める人が身近にいた場合は、それだけで心苦しく感じるだろう。

それは、周囲の人が残酷なのではなく、あなたもまた「相手にそう思わせていた」部分があったゆえ、だ。

悲しいだろうけれど、少なくとも心が弱っている今、それができないことを、誠心誠意、伝えていこう。

たとえば、先の高給取りの例で言えば、「お金」さえ得られればあなたは「責任」を果たしていたのか?

あなたの価値は「お金を稼ぐ」部分しかないのか? あなたとその人の関係は、それだけなのか?

また、さらには家族に対して、社会に対して、と、大きく捉えがちになるだろうが、

本当は、そんな「世間」という、とらえどころのない、訳のわからないものは存在しない。

「世の中」なら、上を見ても下を見ても、どっちでもいいはずだ。

でもきっと、あなたは「下」を見られない。

少なくとも「下」だとこれまで思っていたものには、関心がなかったはずだ。

本当は「下」は「横」かもしれないし、もしかして「上」かもしれない。

あなたがまったく知らなかった部分で、あなたの感覚のはるか上をいく、

大切なもの、強いものが存在するかもしれないのだ。

ただ、今はまだ、そこまで思い至る必要はない。

大切なのは、側にいる一人ひとりとの関係だ。

親、パートナー、子ども、友人、知人、仕事仲間。

その人たちとの関係の中であなたは「家族」を形成し、「社会的に」存在してきたはずだ。

その人たちが、あなたに対してどういう態度をとるか、を先に考えるのではない。

その人たちに対してあなたは、あなた自身が、これまで「どう接してきたのか」。

あなたはどんな考え方で、どんなふうに相手を見つめ、どんな態度で接してきたのか。

そして、たぶんそこから見えてくるであろう、

あなたがどんな考え方で、どんなふうに「自分」をみつめ、「自分」にどんなふうに接してきたのか。

自分にどんな役割を課していたのか。どんな役割を演じていたのか。

そういったことを、罪悪感なしに、捉え直してくのである。

反省は必要かもしれないけれど、後悔もするかもしれないけれど、

これからはもう、単純に、それをやめていけばいいのだ。

自分を偽ることも、無理することも、卑下することも、もう、必要ない。

人との関係については、別のテーマになっていくので、今はここで話をとどめておく。

……つらそうだよね。考えている最中は、また、いろいろと思い至るまでは。

だから、1人で作業するのには限界がある、ということなのだ。

これまでの思考パターンから抜け出すためには、「気づき」を伴わないといけない。

しかもその気づきは、あなたのなかに今、すでに準備されている。

まさにそのことに、今は「気づいてない」だけだ。

でも、あなたはどうしても「これまでのやり方」で、そこに至ろうとするだろう。

というか、それしか知らない、ってこともあり得る。

無知の知。

自分が知らない考え方、自分が知らないやり方や思考パターン、自分が知らない世界がある、ということだけ、

今は、わかっていてほしい。

長くなりすぎたので、つづきはまた……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

code