話は続くよ、まだいろいろと。長のおつきあいに感謝しつつ、進めますm(_ _)m
社会学の部分では、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」で知った山岸俊男先生の本がいくつか。
人は正直であるべき、とか、信頼と安心の違いなどについていろいろな著書を書かれていて、
自分の中にあった「日本人としての価値観」、でもちょっと、なぜそうなってるのかが疑問、という部分を、
解き明かしてもらえた。
もちろんこれも絶対ではなく、そういう解釈のうちのひとつなんだろうけれど、
「おお、そう考えていいのか」、「だからちょっと違和感があったんだ~」という感じで、
私には腑に落ちるような話がたくさんあった。
たとえば。
「昔の日本では家にカギをかけなくても、夜でも比較的安全だったのは、“村社会”があったため。
それぞれがみんなに顔を知られていたし、そこで悪さをしたら村を出ていかねばならず、生きていけなくなった。
だからそこには、実は“信頼関係”があったわけでない。『悪いことをしたら生きていけないから、
悪い人が現れない』という、暗黙の怖れのルールによる『安心感』があっただけ。
信頼と安心は違うのだ。私たちは今後、信頼を構築しなくてはいけない」とか、ね。
(引用元は「信頼の構造」、「安心社会から信頼社会へ」、「日本の安心はなぜ消えたのか」など……)
気になる方は、ほぼ日サイトで「山岸俊男」を検索して、まずは対談などをチェックしてほしい。
そこで紹介されている本を何冊か読んだが、それぞれにヒントがあったと、私には思える。
生物学、地学、科学の融合については、先日のブログ「生命というもの」でまとめて書いたけれど、
実はあそこで、あえて書かなかったことがある。
分子、原子……と、どんどん細かくして、「素粒子」という今、わかっている最小限のサイズまで
もし、目で見えたとしたら。
その、現段階で最小単位である素粒子は、雲のようにもやもやしていて、
さらに「振動しながら点滅している」のだ。
その状態をなるべく優しい言葉で、正確に言おうとすると
「自転しながらゆらいでいるような感じで、かつ、点滅していると言っても差し支えない状態」
なのだけれど、物理学者さんも、この辺はまだ、上手に説明することができない。
なぜなら、わからないことが多すぎるからだ。
ただ、素粒子そのもの性質はというと、「1ナノ秒、その姿を保てば、安定していると言える」らしい。
1ナノ秒といえば、10-9秒、つまり 0. 000 000 001秒。
……さあ、わからなくなってきたよね(^^;) とにかくそれくらいの感覚で「消えて現れてる」としか
今のところ、言いようがないみたいなのだ。
この辺をどうしても、多少わかりやすい範囲で知りたい方は、大学が共同で展開している
子ども向けの物理学のHP、その名も「カソクキッズ」(でも全然キッズ向けとは思えない。
ちなみにカソクとは、素粒子を調べるための巨大な装置、「加速器」のことね)を読んでみてほしい。
私は文系なので、このサイトの説明でさえもう頭がいっぱいいっぱいになって、はっきりとは理解できない。
http://www.kek.jp/kids/index.html
で、消えたり現れたりしてるのはなんでだ、どういうことなんだ、というところを考えようとすると、
「別の次元にいったん行って(つまり消える)、戻ってくる(また現れる)」という仮説に辿り着くらしく、
それを、重力や時間、何かその辺に関わっていそうなその他もろもろにまで全部、当てはめていくと、
11次元説が出てきちゃうらしいのだ。
はい、だからね、優しい解説本などから文系頭の私が捉えた、「私的な説明」で、ざっくり言うよ。
ものすご~く小さい単位でみてみると、私たちは点滅してブルブル震えながら不安定な状態で存在している。
私たちだけでなく、この世界すべてが、そうである。瞬間瞬間で、現れては消えている。
人が動く様子を撮った連続写真をパラパラマンガふうに見ると、まさに連続して動いているように見える、
それと同じ原理で、そもそも私たちは存在しているのだ。
ただ、私たちの感覚器はそこまでの細かい変化を捉えられない。
たとえば高速で動く車のワイパーが、なんとなく扇のような面に見えてしまうくらい、大雑把なのだ。
細かいものはもう、信号として無視しちゃうんだよね、目とか耳とか、触感とかが。
そこまで高速に処理できるような仕組みは、少なくとも人間には備わっていない。
本当は、レコードが再生する音の幅とCDが再生する音の幅も違うんだけど、同じように聞こえちゃう。
机も、点滅してるはずなのに、固い面のように感じる。
そういうふうに私たちは世界を捉えていて、そういうふうに世界も時間も、見ている、感じているということなのだ。
これを、ディーパック・チョプラ氏という、米国の医師でありながらインド的世界観にもなじんでいる
インド人のスピリチュアリストさんは、こう表現している。
「私たちは毎瞬、死んで、毎瞬、生まれている」と。
肉体的な死を「死」として捉えるのであれば、すでに私たちは、どんどん生まれ変わりながら
存在している、っていう話になるのだ。宗教的にでも哲学的にでもなく、物理学的に!!
……何か、とてつもない世界が、広がってくる感じがしないだろうか。
「生命というもの」でも書いたけれど、私たちは、私たちの感覚器官では捉えられない、でも何か
知らない力によって、存在しているのだ。
こうした研究をしている物理学者は、論文には書けないけれど、神がいてもおかしくない、と感じるらしい。
物質の安定性とか、星の誕生とか、そういったものを調べていけばいくほど、
私たちの世界がこうして今、出来上がっていること自体が、確率的には奇跡らしいから。
ものすごい確率を勝ち抜き続けた結果、地球や生命というものが存在している。
まるでそうなることを「誰かが意図して仕組んだ」としか思えないくらい、みごとな条件が揃って、
私たちは今、ここにこうして存在しているのだ。
そう、物理学的にみて、私たちは「生かされている」と言える。
素粒子の性質を調べる加速器や、ニュートリノを調べるカミオカンデ、「はやぶさ」ががんばって
持ち帰ってくれた、微量の物質から少しは見えて来るであろう、宇宙生誕の謎。
実際、「もし他の次元が存在するとして、素粒子が他の次元に行って戻ってくるのであれば、
こういう実験をしたらこうなるはず」という仮説の上で行われた実験は、成功しちゃっている。
つまり他の次元は「ある」と言えちゃったのだ! もちろん今後、他にも試されていくはずだけど。
これからもどんどん解き明かされていくであろう、そうした事実を、
あなたは「もうちょっと知ってみたいな」と、少しは思ったりしないだろうか?
そして、探してみれば、知ってみれば、いろいろ自分を変えられるものはあるかもしれない、
本でもそうだし、宇宙が、他の次元の何かが、変えてくれるかもしれない、って、
やっぱり思えたりはしないだろうか……?
(この項終わり)