いろいろな本を読んでいると、心配には少しのメリットと大きなデメリットがあるとされていて、
私もそうだな、と思えてきた。
基本的に、何かを心配するのは「イヤなことが現実にならないか」という気持ちがあるからだ。
そしてそれを、難しいのだけれど、「そうなりませんように」という形で思えば多少のメリットになり、
「そうなったらどうしよう」と思うと、大きなデメリットになるように感じる。
例を挙げてみよう。まずはメリットのほうから。
誰かが外出するとき「気をつけて」と言う(これは言葉に出して相手に伝えることで、メリットになる)。
たとえば家族が朝、家を出ていくときに、いつもの挨拶としてなんとなく「気をつけて」と言い、
相手もいつものことだから深く考えず「うん」と返事をしているとしても。
もし外出中に一瞬、危ない目にあいかけた場合、その瞬間にこの「気をつけて」の言葉が
ふっと頭に浮かび、そこで動きが止まって、セーフになることがあるという。
十字路で信号を、赤になる直前に渡ってしまおうとしたとき、ふっと思い浮かんだために急ぐのをやめたら、
青になるのが待てなかった車がギリギリ発進してきて、渡っていたらひかれていた……というようなことが
あったりするらしいのだ。
でも、この「気をつけて」の言葉以外には、心配についての「メリット」の話は見あたらなかったように思う。
私も「気をつけて」くらいなら「無事に過ごせますように」という祈りの気持ちがこもっているように
感じられるが、それ以外には思いつかない。「ケガしないでね」も、「ケガをしたらどうしよう」という不安な
気持ちのほうが強いように思うし……。
そして、デメリット。これは一種の「暗示効果」のように感じる。
シンプルな例で考えてみよう。
心配性な母親、父親、祖母、祖父、あるいは友達、学校の先生、職場の上司、
誰でもいいので、1人、想定してほしい。その人が
「あなたがもし○○○になったらと思うと」
「それに、△△△しちゃうかもしれないし」
「万が一、×××になったりなんかしたら」
……このように毎日、あなたに言い続ける場面を想像してほしい。
鬱陶しいよね、正直。
「私は普段、口に出していうわけじゃないし、大事な人を心配して何が悪い!」と思うかもしれないが、
そのままずばりは口にしなくても、態度や言葉の端々に、その気持ちは現れてしまうものである。
不安そうな視線、暗い雰囲気の態度、悪い結果をあとで連想させるような言葉。
そりゃそうである。心配する人は、その瞬間、相手が失敗する、あるいはひどい目に合うことを
心の中にイメージしているのだから、相手が痛んでいる映像も頭に浮かんでいるのだ。
明るい雰囲気では話せないよね、普通に考えても。
実は、これも相手に届くと、その人に「可能性として植えつけられてしまう」ことになる。
「あなたはダメかもしれない」「あなたはダメかもしれない」「あなたはダメかもしれない」と
ゆるーく、耳元で繰り返されるようなものである。
……こう書くと、なんだかイジメをする子どものように思えないだろうか。
私には、心配による否定的な言葉は「ひそやかなイジメ」であるようにも思えるのだ。
「あなたはダメなの!」という強い否定を、少し「可能性」的な表現に和らげているだけで、
伝えている意味は、大きくは変わらない。
じゃあ、どう思えばいいのか。「大丈夫、あなたはきっと、○○○できる」である。
「そんな、おためごかしな」「いい加減な予想を」と思う人に、尋ねたい。
自転車に乗る練習をしていて「大丈夫、もうすぐ乗れるようになる」と言われるのと、
「もしかして、まだ乗れないかもしれないな」と言われるのとでは、
どちらが早く、乗れるようになるだろうか。「よし、乗るぞ!」と、思えるだろうか。
その人をよい方向、「成功」に導きたいなら、その秘訣は単純に「明るい未来予想」なのである。
電球を発明したエジソンが、発明までに1万回、失敗したことについて尋ねられたとき
「失敗ではなく、うまくいかないやり方を見つけただけだ」と言った、という逸話があるらしい。
彼ほど延々と、ポジティブさを保てるかどうかは別にして、
そんな消去法的なやり方であっても、結果的に成功すればいいのである。
実際そのおかげで、人は夜でも明るい光の元で過ごせるようになったのだ。
……勘がいい方なら、そろそろ私がこの話を書いている意図に気づかれるかと思うが、
そう、あなたが今、うまくいかない原因のひとつはきっと、周囲の人が、あるいはあなた自身が、
心配という名の「否定の暗示」を、自分にかけ続けるからだ。
最初はどんなに「ウソだ」と思えても、本心からでなくても、ちょっと無理をして「大丈夫」と思おう。
悪い予想を人から言われても、自分自身で思い浮かんだとしても、そのあとすぐに
「うん、でも大丈夫」
と心の中で、反射的に思い直そう。これも、ある種の慣れが必要なんだと思う。
そう思うと、呼吸も少しラクになる。自分の表情も、少しはゆるむだろう。
少なくとも身体はそれだけで、安心の反応を示すのだ。
この「大丈夫」という気持ちのことを、普通、人は「信頼」と呼ぶ。