私は食や心の専門家ではないので、ここでは自分の体験と、本で自分がつかんだ知識をもとに話をすすめていく。
自分には当てはまらない、または違う、と思われることもあるかもしれないが、その点はご了承いただきたい。
食べること。その行為そのものは、本来「うれしさ」や「喜び」を伴う。
例を挙げるまでもなく食べものを前に「わーい♪」と思ったことは、皆、あるはずだ。
でも、鬱になると、まず胃腸の調子が悪くなったりすることで、消化吸収の回路が不調になる。
加えて不眠などの体調の変化により、お腹が空く時間がまちまちになったり、
場合によってはお腹が空かなくなったりする。
甘いもの、油っこいもの、刺激の強いものを食べたい、と思う気持ちに至っては、
身体がその栄養分を欲するのではなく、脳が欲するらしい。
とある本で、これを「一時的な脳のごまかし」という感じで表現していたが、
つらさ(その理由が仕事、学問、人間関係、その他何であっても)を少しでも忘れようとするために
瞬間的・衝動的な欲がわくのだと思う。
こうした瞬間的・衝動的な欲というのは、基本、破壊の方向に進むことが多いだろう。
そして人は、「壊す」という行為そのものにも、どこかで一瞬「喜び」を感じるのだ。
私がずっと覚えている、中学生のときの、学校の先生の話がある。
立体図形の断面の切り口が、どのようになるのか。
それを知るために、授業で実際、立体を厚紙でつくり、線を引いたとおりにカッターで面を切っていく。
このとき、ほとんどの生徒がもれなく、「微笑み」を浮かべながら作業するのだそうだ。
自分もそのとき、ちょっとニヤッとしながら切っていたので、「へえ、なるほど~!」と思った。
が、しかし、この瞬間的・衝動的な欲(ここではわざと破壊欲、と呼ばせてもらうが)は、長くは続かない。
壊してしまえば、そこまでだからだ。1~2分は解放された気分になるかもしれないが、
たいていは、あとから「やってしまった」と思うだろう。
たとえば壁に向かって何か投げつけ、それが壊れたりゆがんだりすることで一瞬、爽快感を感じはしても、
あとに残るのは、壊れた残骸なのだ。少なくとも、ちょっとがっかりするよね。
甘いものやスナックなどを一気に食べた後も、これと少し似たような感覚を感じるように思う。
その瞬間はうれしくても、あとで何だか「あーあ」と思ってしまう。
ましてや、ご飯をまともに食べていないときには、余計に「何かが狂っている」感じがして、
イヤになってしまったりもするのだ。
たぶん、「過食」という状態のときの気持ちは、この延長線上にあるんだと思う。
私はそういう症状が出なかったので、実際のところはわからないけれど、
結果的には立体を壊すのと同じような、破壊的な「食べたい」という衝動と、そのあとの後悔。
拒食の人も、スナック類やチョコレートは口にできるそうなので、やはり少し、近い状態なのだろうと思える。
実際、私も1ヵ月半くらい、ほとんどチョコレートと甘いカフェラテだけで生きていた時期があった。
たぶん自分で、自分の気持ちを、ある意味さらに、破壊しているのだ。
そして、食べたものから身体が作られる、という点から考えると、
少なくとも「糖分」が脳に届くことで、瞬間、脳の働きが活性化される面はあると思うけれど、
それよりも余分な糖分や塩分、油分、刺激物などが、身体に与える影響のほうが大きいと思う。
普通に考えれば、血や肉をつくるたんぱく質、細胞の働きを助けるための各種ビタミン等の栄養素、
生の野菜や魚、発酵食品などから得られる酵素、といったものが不足しているのだから、
身体は衰えていくだろう。細胞の力は、弱まっていくと思う。
そこに、糖分や塩分など、限られたものだけを、入れていくのだ。
消化も悪くなって時間はかかるだろうし、刺激物によって睡眠時間は狂いがちになるだろうし、
何より、脳はまともには働いてくれない。
栄養が不足すると、身体の「必要最低限」の働きを維持するために、「最低限」以外の働きは抑えられるからだ。
たとえば甘いものを食べると、本当は体温が上昇するはずだが、そんな食べ方をしていたら
却って血行はにぶくなってしまうだろう。
血の流れが悪くなるから、脳の働きもににぶるし、老廃物の排出もにぶくなる。身体がだるくなる。
さらに体温が下がって寒さを感じるから、余計に活動意欲も衰える。
……単純に、状況は悪くなる一方なのだ。そこから逃げたくて甘いものを食べているはずなのに、
ますます深く、そこへ潜り込んでしまう。
さらに、これは、と私が思ったのが、「そう働くよう、身体の遺伝子に組み込まれている」ものが
ある、ということ。
たとえば大豆から摂取するたんぱく質が、女性ホルモンの働きを助ける、ということで、乳がんなどの
食事療法として話題になったことがあるのだが、西洋人が大豆を過剰摂取すると、
却って身体に悪い、という研究結果もあるそうだ。
日本では大豆製品を食べると、赤ちゃんに母乳を与えているお母さんはお乳の出がよくなる、とされている。
本当に昔から「おばあちゃんの知恵袋」的に、語り継がれていることだし、実際、効果もそれなりにあるらしい。
なのに、西洋の人が意識して摂取を増やすと、却って身体に悪い場合もある。
その理由として述べられていたのが、「食生活習慣」、食の環境だ。
アジア系の民族は基本的に、大豆を煮たり、煎ったりして、食事に加えてきた。
味噌類、しょうゆ類などの加工食品も発達し、「日常的に」大豆製品を摂ってきた。
それゆえ、身体の中で「悪く働く」面より「良く働く」面のほうが大きい、というのだ。
代々、受け継がれてきた「食事」は、遺伝子にも変化を与え(これって進化論を考えると、
まあそうだろうな、とも思える)、身体を健康に保つ秘訣も、そのなかにきっと、密かに組み込まれているのだ。
蛇足的に言うと、だから、海外で承認された医薬品を日本でも早く使えるようにするため、
海外での実験結果をもとに許可するよう法律が改正されたことは、私はちょっと怖いと思っている。
西洋の人に効いたからといって、東洋人に同じように効くとは限らないし、西洋人に出なかった副作用が
東洋人には出るかもしれないのだ。この改正って、バイアグラを使いたかった政治家が圧力をかけたという
話があるけれど、本当だろうか……。治療が難しい、難病などの分野に限ってほしかったな……。
閑話休題。
とにかく「食事」という行為は本来、「うれしい」ものだし、「健康を保つ」智恵まで含まれているはず。
「身土不二」(しんど・ふじ)という言葉もある。その土地でとれる食べものと、私たちの身体は
深くつながっている、という考え方だ。大豆のことだけで考えてみても、本当にそうだろうなと思う。
だからね。グルグルしている人に、伝えたい。
そこから抜け出したいのなら、なるべく「普通の食事」を食べようよ。
少量でいいから、できれば私たちの身体に負担が少ない、日本食を中心に。
お米を食べると、排泄も起こりやすくなる(これは、繊維質が多いからだそう)。
排泄が起こるということは「身体が働いて、悪いものが出ていく」ということ。
そう、身体から、悪いものが出ていってくれるのだ。単純にもう、物理的に。
しかも、「おいしい」と思いやすい食事であれば、心にもよい影響が起こる。
うれしいこと、心地いいと思えることを、1日のなかで増やせるのだ。
食べるのがつらい、それだけで心が苦しい、という人は、もちろんまだ、無理しなくていいけれど、
スナック類やチョコレートで生きてる人なら、白いご飯にごま塩をかけて食べるだけでも、何か変わってくるはず。
準備が億劫なことも、承知してはいるけど。
ご飯は、電気釜に任せよう。汁ものも難しく考えるのでなく、最初はインスタントの味噌汁やお吸い物でいい。
「とろろ昆布」をお椀に多めに入れて、しょうゆを少し垂らして、お湯をそそげば「昆布のお吸い物」になるし、
鰹節を1~1.5パック、お椀に入れて、お湯を注いでからお味噌を少し溶くと、鰹節が具になった味噌汁ができる。
野菜も、大根やキャベツやナス、キュウリなど、好きなものに薄く塩をふって、もんで絞れば、立派なおかずになる。
温かい白いご飯と汁もの、薄味の野菜。それだけで少し、ホッとした気分になれるはず。
スナック類やチョコレートと違うのは、食べたあとも罪悪感がなくて、お腹が満足して、身体が温まる、ということ。
そして、悪いものも出ていってくれる、ということ。
食べることのうれしさを、ほんの少しでも取り戻して、身体の力を、少しでも取り戻していけば、
そこから抜け出す力もきっかけもまた、単純に湧いてくるのだと、私には思える。