「自分いじめ」をやめる

昨日は、きつい例を2つ出した。

あの話を読んで、厳しい、と感じた方もおられるだろう。

傷ついてしまわれたとしたら、ごめんなさい。

選択、という話で終わらせたのは、意図があった。

不幸を延々と繰り返し並べたてても、

きついだけであることを、わかっていただきたかったのだ。

人には、いろいろなことが起こる。

それによって、気持ちが落ち込んだり、鬱になったりする。

でも、起こった出来事自体は、過去のこと。

どんなに苦しんでいたとしても、それは今、初めて、起こっているのではない。

また、たとえ後悔しても、それは変えられないのである。

ただ、今から先は、変えられる。

そしてそこには、未知数の可能性が詰まっている。

今の状況がイヤなら。

イヤだから死にたくもなっているのだが、それを変化させることは可能である。

比喩ではなく、現実的な話だ。

そのための方法は大きく2つある。

ひとつめがまず、自分で自分をいじめるのを、やめることである。

あなたのすぐ横に、同じような外見をした、等身大の

ささやき人形が立っているところを想像してほしい。

その人形は、あなたにささやき続ける。

おまえはダメだ。おまえはダメだ。おまえはダメだ。

おまえはあんなことをした。だからおまえはダメだ。

おまえはあの人から、あんなひどいことをされた。

あいつは憎いぞ。あいつは許せない。

あいつのことは、忘れてはだめだ。

あいつを恨み続けなければ、おまえはだめだ。

あの人と一緒にいるおまえは、あんなに素晴らしかったのに。

あの人から離れてしまったおまえなど、何の価値もないでくの棒だ。

おまえはだめだ。

あのときのおまえは、あんなに出来たのに。

あんなに素晴らしかったのに。

それができなくなったおまえには、もう価値はない。

おまえはだめだ。

おまえの小さいころには、あんなことがあった。

こんなこともあんなことも、そういえばああいうこともあったな。

どうせおまえなんて、今までいつもだめだったのだ。

おまえはだめだ。

こうしてささやきを並べただけで、

この人形が、いかにひどいシロモノであるか、よくわかると思う。

だがあなたは実際、この人形を心の中に置いているのである。

気が向く、向かないに関わらず、24時間、作動させっぱなし。

気づいたら、そのささやきに耳を傾けては、自分を傷めつけている。

だからまずは、この人形を、止めよう。

たとえ何があろうとも。どんな仕打ちを受けようとも。

あなたは、だめではない。

あなたはひとりの、かけがえのない人間である。

あなたという人間は、この世に2人といない、唯一無二の大切な存在である。

過去に何があったとしても、その事実は、変わらないのだ。

未来は、自分で変えていける。

たとえ毎日、上司や家族からいたぶられていたとしても、

その受け止め方を変化させることで、未来を変えていけるのだ、本当は。

他の人はどうあれ、自分の場合はだめだろうか。

昨日の話に書いたように、家も仕事も、場合によっては愛する人も、

何もかも失って自暴自棄になる人は、もう、だめだろうか。

身体の機能の一部を失ってしまった人は、

あるいは身体の調子が悪く、入退院を繰り返す人は、

果たしてだめだろうか。

どうして自分だけは、だめなのだろうか。

なぜだめだと、思い込みたいのだろうか。

まずは、この人形を止めるだけでいい。

自分いじめを、やめるだけでいい。

心に優しいことをしよう、とこれまで何度も言っているのは、

それが、ささやきを止めるためのひとつの方法だからでもある。

ふたつめについては、また明日。

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