ちっぽけな自分のままで

自分は何もできない、たいしたことのない人間だ、と思っている人。

その認識はある意味、「人」として正しい。

有名な人だって、最初から有名だったわけではない(たとえ親の七光りであってもね)。

本人が何か行動を起こすことによって、初めて人に知られる。

ということは今、心が痛んでしまって動けないあなたは、もともと「人」が持っている「最小サイズ」であるのだ。

一番の、基本サイズ。単なる原点だ。

それまでの自分は立派だったのに、という人。

ごめんね、はっきり、書いてみるけど……。

会社の看板を利用してなかった?

一部の人からの評価だけ、じゃなかった?

「すべて自力」と言えるなら、無理してなかった? 無茶してなかった? 自分だけよければ、じゃなかった?

……正直、何かを成し遂げる人っていうのは、本人の才能と環境だけじゃないよ。

そこには必ず「それに向かう姿勢」がある。努力も。当たり前だよね。それはわかるよね。

で、自分は何をも成し遂げられない? 何を基準にしてそう思ってるの?

誰を基準に? どんな「成功」を夢見てる? あなたの描いているものは「地位」や「名誉」や「お金」?

テレビや雑誌に出ること? 人からの賞賛?

以前、糸井重里さんと誰かの会話(その誰かを忘れてしまった……)で書かれていたんだけど、

なんか最近は、勝ち組とか負け組とか、そういう成功基準でしかものごとを見られない人が多くて、

たとえば映画をつくっている若者でも「ビッグになりたいんです」「成功したいんです」としか言わない、と。

昔の人はよかった、というじいさんのような話をするつもりはないけれど、確かに以前は

「この人と仕事ができるようになりたいんです」「こういう映画を自力で撮れるようになりたいんです」

といった感じで、到達地点が「現実的」だったと。

そこに向かってきちんと歩いていけるような、具体的な夢を語る人が多かった、と。

これ、なんとなくわかる。今の夢って、先に回答や結果を求めすぎに感じる。

「どうしたらいいんですか?」と、つい聞いてしまいやすい。

たとえば仕事の面でも、「○○○○のやり方でいいんですか?」なんて聞く後輩、減ったもの。

何も考えない「指示待ち」の人、多いよ~。それか逆に、妙に自信満々で、自分で勝手に判断して動いて、

失敗してクライアントに迷惑かけて、それで怒られたら、次からいきなり「どうしたらいいんですか」って。

いや、自分で考えようよ、まず。お手本や見本は、そこら中にいっぱいあるのに。

先輩の電話の応対内容に耳を傾けるだけでも、先輩が顧客と何をどう話して、

どんなふうに進めているか、ヒントを見つけられるよ。打ち合わせなんかに同席したら、もっとヒントがあるよ。

感心して終わりじゃ、もったいなさ過ぎる。

そのなかから自分に合ったやり方を自力で盗んでいこうよ、と思ってしまったことは、何度もある……。

それが「自分のやり方」になっていくんだし、自分の「糧」になっていくんだよ?

言いたいことが、わかるだろうか。

何かをするのに正解とか答えなんてないし、マニュアルもないし、

具体的な、現実的な地点に辿り着かずに「ビッグになる」ことも「成功する」こともないの。決して、ね。

本来、人間はちっぽけなのだ。70~90年の人生と言うけれど、

20歳を過ぎるまでは「大人」扱いもしてもらえない。

楽しんでやれること、真剣に打ち込めること。

今の自分で工夫できること、面白いと思える部分。

それをまず、自力で探そうよ。

そうしたら、結果や見返りよりその過程のほうが、よっぽど楽しめるようになるから。

有名かどうか、劇的に儲かるかどうかなんて、関係なくなるよ。

それに打ち込めるだけで楽しいし、充実していく。

たとえば、50年、畑と向き合ってきた農夫は、すごくないのかな。

どんな天候であっても畑を守って、毎年ちゃんと実りをつくりあげ、

自分と家族を養えてきたって、すごいことじゃないのかな。

同じようにコツコツと生きてきた、工場の職人さんは、すごくないかな。

退職まで勤め上げた、サラリーマンのお父さんは?

みんな、無名だから、平凡だから、すごくないのかな、ダメかな……。

何を自分の目標にするか、何を糧にするか、何を喜びにするか。

そういう視点を、今、やっと「周囲に流されずに」見つめ直せる機会に、あなたは立っている。

ちっぽけな自分を、ある意味「やっと認識できた」んだから、そこから、変わっていける。

本当に自分が喜べる生き方、を、改めて見直せるのだ。

そこには、見栄も、プライドも、派手さも、賞賛も、金額も、別に関係なくていいんだよ。

本当は、必要ないんだよ。これ、説法じゃないよ、別に。

逆にそれだけを夢見て、自分は飼われてる魚のように、じっと口を開けて待ってる?

何も自力で楽しんで作り上げることなく? それが一番?

本当にそうだと思う? ラク? 楽しい?

自分がやったことに対し、あとからそういった「付加価値」が還ってくることが、

たまにはある。見返りは、付加されるだけだよ。本質じゃない。

見返りだからこそ、うれしい。

身近な人に感謝されることも、「還ってくるもの」として、すごく大切だよね?

もし何かを「成し遂げる」とか「守る」っていうのなら、本当にそうしたい、というのなら、

周囲に流されない、脅かされないもの、自分が楽しめるもの、打ち込めるものを見つけていこう。

結果じゃなく、過程を楽しんでいく視点を持とう。

ちっぽけな自分のままでも、できることがある。たくさんたくさん、あるのだ。

あなたが視点を変えるだけで、たくさん、ね。

心が痛んでしまって時間がある今、そういうふうに、あらためて自分を見直してもらえたら、と思う。

ある意味「変な」価値観から脱することができて、本当に幸せな気持ちで生き方を変えていける人が、

これからたくさんたくさん、増えていきますように……。

心から、祈る。

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