自分が生か死の出口しかない、真っ暗なトンネルにいたときのことを思い出してみると、
「何もできなくなったこと」に対するショックが一番、大きかったように思う。
もちろんそれは、鬱という病のなせる「思い込み」だったが、とにかく頭も働かず、
身体も動かせない(動かしづらい)状態だったので、「もう二度と働けない」と思っていた。
それまでの働き方は、あきらかに「自己犠牲」だった。「仕方ない」をすべての言い訳にして、相当、無茶していた。
胃は除菌が必要なほどピロリ菌が増えて、ずっと胃潰瘍続きだったし、微熱も出してたし、寝不足だった。
そう、今から考えてみれば、そんな働き方なんて、二度としなくて正解なのだ。
自分をそこまで痛めつけ、犠牲にしてまでやらなくちゃいけない仕事なんて、そもそも間違っている。
ほんの半年とか、そういう「期限」があるのなら、まだ修行だと言えなくもないが、
2年間も延々続いて、その翌年も同じような働き方が待っていた、という現状自体、まともではなかった。
そうやって、あとから冷静に考えてみたら、「それでよかったのだ」と思えることは、
きっとそれぞれの人にあるのだと思う。
人との関係、仕事との関係、自分自身の思い込み、etc.
種類は違うけど、何らかの、そういった「強制終了」が必要なものがあったからこそ、鬱にもなったのだと。
であれば、「あの日には、もう二度と戻れない」ことに、こだわる必要はないのだ。
あなたの身体が、あなたの心が、あなたを守りたくて、ストップをかけてくれたのだから。
今は無理でも、いつかそう思える日が来ると思う。
だから、これからの自分が変わっていくことを(変わっていってしまう、と思えるだろうが)、
どうか怖れないでほしい。
その変化は、徐々に、でも確実に、あなたを別の道へ導いてくれるものだ。
元に戻れないことを悲しむより、この先、変わることを怖れるより、
自分をより大きく、優しく成長させるためのきっかけにしていってほしい……と、心から願う。
あなたの身体と心は本当に、そんなにまで変化して、あなたを守ろうとしてくれているのだから。
たとえマイナス方向に変化していても、それはまさに病気ゆえの影響だろうし、
身体がもう、なんとか「変わろうとしている」証拠ではあるのだ。
今日は短めだけれど、思い出がよみがえってきたので……こんな感じで。
つらいけど、どうか、乗り切ってください。
自分の弱さを「絶対」「一生」と決めつける必要は、まったくないのだから。